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なぜ読書ゼミを開催するのか?――問い読(問いと対話の読書ゼミ)

今回、「問いと対話の読書ゼミ」なるものを開催する。これまでずっと「本は一人で読むものだ」と思っていた。そんな自分が、なぜこんなことを始めるようになったのか? 自分の考えの整理も兼ねて書くが、その前に簡単にこのゼミの話の紹介をさせてほしい。

この「問い読」(といどく)は、毎週1回3ヶ月(合計10回)にわたりオンラインで開催され、課題図書2冊を読み、問いを元に参加者同士で討議を重ねる講座である。こちらからの講義は最小限に留め、参加者が自分の考えを語ることを中心に設計されている。課題図書は、経済学者の安田洋祐先生(大阪大学大学院)に選書をお願いした。安田先生の協力のもと立ち上がった講座でもある(下記は内容紹介の動画)。

読書会で面白かった経験がない

そもそも僕は、勉強会や読書会などに参加して面白かった体験が乏しい。多くの場合、「なんだかな」と思って帰ることばかりで、もう一度行きたいと思う会はなかった。

面白くなかったのはなんでだろう? まず主催者が「この本はこう読むものですよね」という前提を感じるとつい反発したくなる。また、本に興味を持って参加したのに、参加者の中には自分の承認欲求を満たそうとする人がいて、そういう現場に遭遇するとゲンナリする。「この本の内容をよく知っている」「本を一生懸命読んできた」「この本のテーマと関連して、自分はこんな活動をしてきた」など、他人のいい話を聞かされるばかりなのだ。

他人の話を聞くのが嫌なのか?もっと自分が話したかったのか?答えは半分イエスだと思う。自分が考えたことを話したいという欲求は常にある。ただし聞いてもらい、フィードバックをもらいたい。フィードバックは自分の考えを肯定してもらいたいわけではない。「こういう考え方もあるのか!」と自分の思考の外にあるものに気づくことが楽しいのだ。

そして、他人の話を聞くのが嫌いなわけでもないと思う。ただ聞きたいのは、考えたくなる話をなのだ。その人がいかに知識があるか、いかに稀有な経験をしてきたのかよりも、その人がどう考えたのかを聞きたいのだ。

同じ本を読んで集まる読書会なのに、そのような経験は皆無だった。そしていつからか「やっぱり本は一人で読むものだ」と思うようになった。

『シン・ニホン』アンバサダー講座の体験

もう5年前になるが、『シン・ニホン』(安宅和人著、NewsPicksパブリッシング)をプロデュースし、編集者と一緒にこの本の熱心な読者を集めて「読者アンバサダー制度」を作ろうと、その「養成講座」を開催した。この講座は、アンバサダーが読書会を開催するためのスキルを身につけてもらうことを目的で始めた。始めてみると最初はうまくいかなかったが、回を重ねるごとに講座の内容が充実してきた。読んできて、問いを出し、それを元に対話するというシンプルなものだったが、(自分で言うのもなんだが)とても好評で、かつ自分の中にも手応えがあった。そうだ、自分が参加したくなる読書会を作ろうと思ったのだ。

これが契機となり、その後NewsPicksのNewSchoolという講座でも何度か読書ゼミを担当させてもらった。これらの講座で目指したのは、参加者が内容を理解するだけでなく、自分で考えざるをえない状況を作ること。同時に「自分なりに考えるのが楽しい」という経験をしてもらうことだった。またまた自分で言うのもなんだが、参加者の満足度は高く、講座の内容に自信が持てるようになり、その後、企業研修や大学なども開催されてもらうようになった。

なぜ「問い」なのか

いくつかの変遷の中で様々な言葉を使ってこの読書会を説明してきたが、残った言葉は「問い」と「対話」であった。これらの言葉には、自分の編集者としての原体験がある。

僕はビジネス誌の編集長も経験し、経営者をはじめ多くの方々にインタビューさせてもらった。当然、盛り上がるときとそうでない時がある。最初その違いは、相手との親密さや相性の良さなどかと思っていたが、どうやら違う。初めてお会いし、人としても相性が良くなさそうな人とでも盛り上がることがあったのだ。

わかったのは、当たり前だが、質問項目が相手にとって面白いかどうかであるということだ。質問が面白いと相手は前のめりで語ってくれる。この「面白さ」は何か。いくつか要素があるが、自分の語りたかった質問であると相手は喜ぶ。ただ、インタビューは相手を喜ばせることが目的ではない。もう一つの面白さは、相手が聞かれて初めて考える「問い」である。
しかもそれは、初めて聞かれるだけでなく、瞬間的に本人が「考えてみたい」と思うものだろう。もっと厳密にいうと、「考えたことはあるが、きちんと言葉にしたことがない」という問いなのだと思う。目の前で、相手が自分の考えを初めて言葉にする瞬間に立ち会っているようでゾクゾクする。

こういうインタビューだと、相手の人が「またお話したい」と言ってくれる。事実、インタビューがきっかけでお付き合いするようになった経営者が何人かいた。よい問いは人の思考を引き出すと同時に、コンテンツの質もを引きあげるのだ。

思えば、この「問い」とはインタビューだけではなく、編集者として本を企画する際に無意識に使っていた。本にはそれぞれ個別のメッセージがある。その本がどんな内容なのかというと、多くの場合、このメッセージ、あるいは著者の主張がクローズアップされる。しかし主張の前に、本には問いがあるのだ。その本はどんな疑問に答えるものなのかが。この場合「問い」は読者の知りたいこととは限らず、むしろ著者が「解き明かしたい」ことである。日本経済の本なら「どうすれば日本経済はかつての競争力を取り戻せるか」が問いの例であり、著者はその問いに対する自分なりの考えを提示する。この「著者が主張していること」はその本の「答え」に過ぎず、実は何に答えようとしているのか、その本の「問い」があり、本の企画の出発点ではこれを常に探していた。

つまり全ての書籍は「問いと答え」でできている。そして、答えとは、著者の考えた「仮説」である。そもそも書籍の「問い」は「正解のない問い」がほとんどであり、だからこそ「考えて自分なりの仮説を打ち出す」著者の動機をくすぐる。

なぜ「対話」なのか

対話については、雑誌の企画会議の体験だ。
次号の特集テーマを決める企画会議では、各編集者が自分のアイデアを持ち寄る。編集長である僕も企画を出すが、立場上どうやら自分の案が通りやすい。最初の頃は大人気なくそれで喜んでいたが、だんだん面白くなくなってきた。他の編集者のアイデアをどうすれば引き出せるか。いろんなことを試してみた。

仮に5人編集者がいて5つの企画があるとする。編集長の企画が通るのが最悪のパターンだとすると、次によろしくないのは、いくつかの企画を統合してバランスのいい企画が決まることだ。この場合、みんなの意見を取り入れたように見えて、実はそれが皆のアイデアを殺しているのだ。読者から見ても悪くはないが面白みに欠けたものに映っただろう。次によろしくないのは、この5つのコンテストになることだ。この場合エッジの効いたものにはなるが、誰もが自分の案を通そうとすると、他者のアイデアに耳を貸さなくなる。自分の案がいかにいいかばかり考えてしまう。これではせっかく5人で会議していても、お互いの思考が重なることがない。

理想的な会議の経験が何度かある。それは、5人が5つの企画を出し、話し合う中で、それまで5人の誰もが考えなかった第6のアイデアが生まれることだ。誰かの企画に違う誰かが思ったことを口にする。すると、そこから皆の視野が広がり、これまで考えなかった視点が登場する。こんなやりとりの中から、誰かの言葉がきっかけとなり企画が形を表す。この場合、このアイデアを誰が出したのかも明確でない。むしろ、5人が5人とも自分で出したかのような錯覚が生まれる。なので、こういう会議が終わると皆、誇らしげに会議室を後にするものだ。後から思い出しても「よくあんな企画が生まれたな!」と思えるような企画が対話の中から生まれたのだ。

これら「問い」と「対話」を軸に、自分が参加したくなるような読書会を作ってみたい。こうして出来上がったのが、今回の「問いと対話の読書ゼミ」である。

このゼミでは何が得られるのか?

問いと対話の読書ゼミでは、毎週読む箇所が決められる。大体80ページ前後である。そしてゼミ当日では、こちらが用意した「問い」に沿って、グループで対話してもらい、その内容をグループごとに発表する。問いは該当ページに関連するが、そこに何が書かれていたかを問うものではない。そこから「どう考えるか」を問うものであり、正解はない。そしてその分野に精通している人が答えやすいものではなく、読んできた人ならバックボーンを問わず、フラットに議論できる「問い」である。こんなゼミを3ヶ月で10回連続で開催されるが、これらを通し、参加者には以下の3つを身につけてもらおうと設計している。

1. 馴染みのない本でも読めば理解できる「読書力」
2. 「正解のない問い」を考える「思考力」
3. 他者の考えを引き出す「対話力」

本が好きな人も、普段あまり一冊の本をじっくり読むことは少ないだろう。今回はその経験をしてもらい、「知らないことでも本を読めばわかる」という自信を裏づける読書力を身に付けてもらおうと考えている。

同時に、本を読むというインプットも頭を使うが、自分で考えをアウトプットする頭の使い方とは違う。このゼミでは、皆さんが自分の考えを語る機会が圧倒的に多く、「自分で考える」思考力を鍛えてもらう。

そして最後に対話である。ここでは「話す」力よりも「他人の考えを引き出す」力を重んじられる。どうすれば新しい考え方を引き出せるか。そのヒントは対話において、いかに「いい問い」を発するかなのだが、その実体験をぜひ味わってもらおうと思っている。同時に「いい問い」の要件も学ぶ。

今回の読書会で用いる本は2冊。選書していただいた安田洋祐先生(経済学)のご専門はゲーム理論である。その安田先生が選んだ2冊は、同じテーマの本でありながら、真逆と言えるほど違う結論を提示する。さすが安田先生の選書だけあり、本の難易度も読み進む面白さも絶妙である。講座では安田先生は登場しないが(「サプライズがあるか?)この2冊についての解説を動画でしてくれる。

ゼミは全部で週1回で3ヶ月(合計10回)と長丁場だが、この3か月、2冊を熟読し、参加者同士で毎週議論する体験は、仕事や普段の生活ではあまりない濃い時間になるだろう。ご負担も大きいだろうが、先の3つの力の習得を目指した「日常にない知的体験」をぜひ体験してもらえれば幸いである。
皆さんのご参加をお待ちしています。


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