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久しぶりにリアルで人に会うと、どんな驚きがあるだろうか

自慢じゃないけど、結構「3密」を厳守している。電車に乗るのも、打ち合わせで人に会うのもやめていて、もう一ヶ月ほど妻以外の知り合いと会っていない。

そのかわり御多分にもれず、zoomの頻度がますます増している。日に2本から5本、オンラインミーティングがあり、中には、zoomで「初めまして」とお付き合いが始まった方とも、何の違和感もなく、仕事やプロジェクトの話をしている。

いまのような状況でオンラインミーティングを頻繁にしてみると、その便利さが浮き彫りになる。打ち合わせのための移動がないため、実質的な時間短縮につながる。おまけにお互いの都合が合えば、夜なども実施可能で、以前であれば親しい人同士でないと会わない時間にも打ち合わせが可能になった。

場所の離れた人との距離感も狭まる。以前は東京で人が集まって、そこに地方や海外からオンラインで加わると、そのオンラインの参加者だけ遠い存在になりがちであった。ところがいまのように皆ながオンラインだと、東京の人もボストンの人も同じ距離感になる。関西在住の方は「以前は東京の会議にオンライン参加していたらアウェイ感があったが、今ではそれがなくなった」と語っていた。

だからと言って不自由がないとは言えない。なぜだがオンライン会議は疲れる。相手の様子が画面でしか伝わってこないので、より集中して聴こうとし、より注意深く画面を見ようとしいているのかもしれない。こちらも、増幅させた話し方を心がけているかもしれない。テレビに出演している人に実際に会うと、テレビで見てた印象よりもはるかに、表現力の圧が強いと思うことがよくある。それと同じように、画面を通して伝えようとすると、僕らも無意識のうちに普段より表現の仕方を増幅させているのかもしれない(オンラインが疲れる問題についてはこちらの記事が参考になった)。

こんなちょっとしたストレスを抱えながらもオンライン会議の効用を目の当たりにし、おそらく外出が可能になった世界に戻っても、以前のような「会って打ち合わせ」が標準ではなくなると確信している。これからも「オンラインでいいね」に以降するものが相当多いのではないだろうか。

そんな中、コロナが明けた後に僕が楽しみにしていることがある。それは、久しくなかったリアルに人に会うとき感じる驚きである。

海外に長くいて日本に戻ってくると、馴染みの日本でありながら新鮮な気づきがあることがある。僕は2年前ベトナムとラオスに住んでいて日本にたまに戻る生活をしていたが、東京では一人で行動している人がこんなに多いんだと驚いた。ベトナムやラオスは家族や友達と一緒に過ごしている人が多く、東京のカフェなどほとんどのお客が一人で黙々とPCに向かっている光景がやたら新鮮に目に飛び込んできた。

慣れたことから離れることによって、それまでの当たり前が新鮮な体験として体に入ってくる。今回の「自粛」もその新鮮な体験を得るまたとない機会になるに違いない。なんせ、1ヶ月間、リアルに人に会わなかったことなど、物心着いてから僕の人生でおそらくなかったことだ。

リアルで会うと、どんな挨拶をするのだろうか?会話はスムーズに流れるだろうか?相手のどこを見るのだろうか?こんな想像は大げさかもしれないが、少なくても、「オンライン」と「リアル」の違いがより如実に感じられることが間違いない。

そしてその新鮮な気づきは、面白い体験としでではなく、人が人に会う価値を再確認させてくれるものになるはずだ。リアルに人に会ってみると、それほど楽しくないかもしれない。まどろっこしいことが多いかもしれない。逆に、オンラインでのストレスが一気に解消し、会話がさらに心地いいと感じるかもしれない。言いたいことが言いやすいのか、言いにくいのか。考えたら、新鮮な驚きの候補は無数にありそうだ。

さらにいうと、これはちょっと怖いが、リアルな世界が再び開いたら、自分はどういう状況で、どういう人に会いたくなるのか。会話をするだけなら、オンラインが圧倒的に効率的で、リアルで会うことの「高いコスト」を自覚してしまった僕らは、その稀少な機会を今度どのように、誰のために使うのか。

人と会うことの価値、人と一緒に同じ場所で同じ時間を過ごすことの価値。これまであまり考えもしなかった、人との関係性を改めて考え直す格好の機会になるに違いない。

人にリアルに会わないとどうなるか。そんな実験はしたくても無人島にでも行かない限り現実困難であったが、いま、不幸中の幸いで、多くの人がその実験の渦中にいる。そこからリアルに戻ることによって、リアルの価値を再発見できる。これはどれだけ貴重な機会になるか。この実験結果を楽しみに、僕はまだ外出を控えることにする。

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