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懐疑的だったSDGsに賛同できるようになった本

SDGsを初めて知ったのは、2016年だったと思う。当時編集していた米国ビジネス誌の日本語版で紹介されたのだが、デジタル化に遅れた日本企業にはSDGsに取り組む余裕などないだろうと思っていた。なので正直に言うと、今のSDGSブームは僕の想定を超えていて驚きである。企業の、自社の利益を超えた社会貢献活動がここまで大きくなるとは思っていなかったのだ。 

その一方でブームに踊らされているだけじゃないかという懐疑的な見方もしていた。未来や地球規模の発想をするなら、SDGs以前に自社の事業を見直したらどうか。その事業は、本当により良い未来にとって必要なのか?それを先に問うべきじゃないかと。今年の秋にもあるテレビ局は「SDGsウィーク」と称し局を挙げてこのテーマを掲げていたが、その時も「スポンサーが集まるからなのかな?」と勘ぐったし、そもそも普段の番組作りでその未来思考があるのか甚だ疑わしいと思ったものだ。

 そんなSDGsへの懐疑的な見方を変えてくれたのが、本書『SDGsがひらくビジネス新時代』である。著者は元ハフポス編集長の竹下隆一郎さんである。以前からの知り合いであり、仕事や人への向き合い方が素晴らしく、尊敬していたこともあり読んだのがよかった。 

本書はSDGsについて詳しく書いてあるわけではない。有名な17のゴールをきちんと解説しているわけではなく、むしろ、今なぜこのSDGsがこれだけ注目されているのか、その時代背景について理解が深まるような本だ。竹下さんの主張は明快である。SDGsの広まりは、それが儲かるかどうかという企業の論理でなく、SNSを使いこなす若者世代が、このスローガンにピュアに賛同し拡散したことから始まるという。それはスウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんの活動が全世界で共鳴したように。

若者にとってこれが「きれいごと」か否かは関係ない。むしろ、SDGs 的な価値観が彼らのアイデンティティを体現していたのである。オーガニックコットンを使ったTシャツをかっこいいと感じ、人種差別に反対するメーカーのスニーカーを進んで購入する。それはあたかも、選挙で一票を投じるかのように、自分のアイデンティティを提言してくれる企業に、購買という行為で「投票」しているのである。

著者の竹下さんは、この動きをインターネットが登場した時と同じと断言する。インターネットが登場した1990年代当時、ネットに懐疑的な企業は珍しくなかった。会社案内はDMで送った方が効果的であり、問い合わせは代表電話にかけてもらえば済む。ネットの活用は具体的なニーズと効果が見えてからでいい。そう考える企業があった一方、この新しいツールにいち早く飛びつき、キャンペーンをしかける企業もいた。当時、その差はわずかだったかも知れないが、それがやがてネットで成功した企業と立ち遅れた企業という大きな分かれ道となった。 

SDGsもネットのように、「未来の当たり前」になると竹下さんは断言する。それは経済が動く原理がお金から「アイデンティティ」へとシフトするからだ。自分の好きなもの、自分の好きな価値観で買われる時代、そして働く組織も自分の価値観と合うところが優先される社会になるという。つまり購買も働く場所も、価値観で選ばれる社会。それは経済行動そのものが、実現したい未来への投票になる世界。しかも決して損得で未来が決まる世界ではない。この世界の到来は僕も素晴らしいと思う。ハフポスで多くの若い世代と対話してきた竹下さんはそれを予測できたのではなく、確信できたのであろう。

その竹下さんは今年ハフポス編集長を辞任し、PIVOTという新しい経済メディアの立ち上げに執行役員として参画された。肩書きは「チーフSDGsエディター」である。経済メディアでもその中核にSDGsがあってしかるべしという確信があったからではないか。さらに言えば、SDGsの活動が高まる社会が世界をより良い方向へ変えるという信念と、そのためにこれまでの経験を全て投入するという覚悟ではないかと思った。 

ジャーナリストとして編集者として経済と社会を真摯に見つめ、そしてメディアの新しいジャンルを確立されてきた竹下さんが、新しい挑戦の核にすえたテーマがSDGs。僕のようにうがった見方をしていた人にもぜひ読んでもらいたい。

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手前味噌だが、僕がコンテンツづくりをしている音声メディアのおVOOXでも、竹下さんにこのテーマで語っていただいた。「SDGsはきれいごとか?」と言う少しひねくれたタイトルをつけたが、竹下さんのピュアな考えが十二分に伝わってくる。本書と合わせて、聞いてもられれば幸いです。





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