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生理前の自分を信用しない

この一年くらいで実践しているのだけれど、生理直前の自分が思いついたこと、決めたことは、採用しないようにしている。

わたしは低用量ピルユーザーで、ほぼきっかり28日周期で消退出血がやってくる。
ピルを飲むようになる以前(10年以上前だ)には生理をどう乗り切っていたのか、もうあまり思い出せない。
ただとにかく腹痛と貧血が酷かった。熱が出ることもあったし、肌荒れもするし、毎月毎月散々だった。
ピルを服用するようになって生理にまつわる体調不良はかなり軽快し、今は快適に暮らしている。

が、まだ厄介な不調が残っている。
生理直前、黄体期の変調だ。
ピルの3列目に入る頃になると唐突に便秘になり、なんとなく四肢を動かすのが億劫になる。ほんのり浮腫んでいるらしい。
食欲が増して、普段は大して食べたくもないスナック菓子が欲しくなり、なんとなく睡眠が乱れる。
そういった些細な不調に我慢していると、次第にイライラし始める。
そしてイライラから逃れたくて、パーッと羽目を外したくなる。
もしくは、保留中の懸案事項を全部その場でやっつけてしまいたくなる。

大きいオーブンレンジ買おうかなあ。
なんだか温泉に行きたいなあ。
難しい仕事の依頼が来てたけど、とりあえずやるって言っとこうかな。
欲しかった本、買っちゃおうかな。
勉強会、お金ないけど参加しとかないと話ついていけなくなるし、行くか。
友達が誘ってくれてたイベントも行っちゃおうかな。

パーッとやっつけたくなるあれこれ

オーブンレンジはずっと欲しいと思っているのだけど、なければないでどうにかなるので買っていない。プライムデーなどで安くなっているのを見ると欲しくてウズウズしてしまうが、生理直前にはそのウズウズがやたら強力になるのだ。

こうして挙げてみると、生保暮らしで普段からできるだけ節制している部分が、生理直前に爆発しそうになっているのが分かる。
今のわたしにとって「羽目を外す」ということの実態は、なんの気兼ねもなくお金を使うということらしい。
それから、なんとなく負担が大きいと分かっていることを、わざわざ買って出ようとするのだ。
「できないかもしれないから無理をしない」という判断ではなく、「できないかもしれないなんて甘えだ」という思考に偏ってしまう。

自分を労わることを優先したがらないという点では、昨日の話に近いものがある。

今のわたしは、黄体期に発生するそういったあらゆる思いつきや決断を、できるだけ採用しないようにしている。

Amazonでなにか買い物をしようとしても、絶対にカートまでにとどめておくとか。
友達からライブや遊びに誘われても「ちょっと考えるから待って」と返すようにするとか。
請求書や営業メールへの返答は期日の猶予がある限り、触らないでおくとか(もちろん黄体期までにやってしまうのがベターだが)。

そうしておいて、全部あとで決めるのだ。

期日が決まっているから今すぐに決めてくれという事柄がやってきたら、楽そうなほうを選択する。
しょっちゅう出現する「楽するのは悪だ、楽をしてはいけない」という自分の脅迫を無視して、真逆を選ぶのだ。
楽そうなほうに決めてしまえば、理屈はあとでどうにでもなる。

「今日は買わない」
「それはやめておく」
「今回は辞退します」
「とりあえず参加しない方向で」
「またの機会にします」

とりあえず楽なほうで決める

そうして、さっさと風呂に入って寝てしまう。

黄体期の自分を信用しないというのは、信用できない自分がいるという事実を知ることだ。
不可抗力で不調に陥っている自分をなだめて落ち着かせ、物事の判断という負担から解放することだ。

別にそれを今日決めなくてもいいのだ。
今それを決めなきゃいけないなんて決まりはない。
それを今すぐ選ばなくたって、別に死にやしない。

生理が始まって冷静になれば、生活を正常に動かすことができる。
出血による煩わしさと腹痛はあるものの、黄体期の制御不能ぶりに比べれば全然大したことはない。

Amazonのカートを確認し、なんでこんな物を買おうをしていたんだと首を傾げながら中身をカラにする。
オーブンレンジは買わないし、温泉にも行かない。
でも銭湯には行くかもしれない。
この世でもっとも面倒な請求書作成という大仕事に取りかかり、2回3回の指差し確認をして、ミスがなければ取引先にメールする。
お金の都合がつけばライブのチケットを予約するし、誰かと会う予定を立てることもある。

そうやって、自分と折り合いをつけている。
まだまだ万事うまくいっているというわけではないけれど。

「あ、今黄体期だったわ。決めるのやめよ」

そう思い出せるようになっただけでも、大した進歩だと思う。

本当なら黄体期だけに限らず、あらゆるタイミングと場面で、
「今は判断したくない。決めたくない。決めるべきじゃない」
そう気づいて立ち止まりたいところだ。
今のところ黄体期だけは、積極的に“自分ファースト”を実現できている。
黄体期の自分には判断ができないと知ることが、自分を大切にすることに繋がっている。

昨日の記事と同じだ。
社会生活の中でなにもかもを自分の都合に合わせることは不可能だとしても、もう少し自分の都合を優先したっていいんじゃないかと思う。


今日はこんなところ。
では、また。

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