忘れたいこと、忘れたくないこと

たとえば、自分の身を守るために吐いた嘘のこと。
たとえば、客がくれたチップの500円が死ぬほどありがたかったこと。
たとえば、クローゼットに眠るオレンジ色のスカートのこと。
たとえば、iPhone着信音の「ストラム」が怖くてたまらないこと。
たとえば、危険な行為を迫ってくる客を拒否して「誰がお前みたいなブスのことを本気にするか」と吐き捨てられたこと。
たとえば、力任せに挿入してこようとする客に“笑顔で丁寧にお断りする”以外の抵抗ができなかった時のこと。
たとえば、わたしのロッカーからウェトラを盗んでいた彼女のこと。
たとえば、誰もいない夜中の待機所で打ち明け話をしてくれた彼女のこと。
たとえば、70歳80歳を間近に控えてソープ嬢をしていた彼女達のことと、彼女達が毎日のように待機所に持ち込みふるまってくれた、手料理やくだものや菓子のこと。
たとえば、いなくなってしまった彼女のこと。


忘れるものか。
わたしの記憶、そして今なお続いているこの世の現実。
わたしが今いる安全地帯と、地続きにある現実。


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