残酷なものを見たくない無関心なひと達

駅前を通ったら、国境なき医師団の職員が寄付の呼びかけをしていた。
すでに他団体に寄付をしているし、そもそも生活保護世帯なので過分な寄付はできないというのに、まんまと呼び止められて話を聞いてしまった。

大学生のように若い職員が、丁寧に団体の活動について教えてくれた。
大判の資料ファイルを目の前でめくりながら、この活動がどこで始まり、どういう理念で活動しているかと話してくれた。

途中、資料の中に飢えてガリガリになった幼児の写真があった。
職員は資料のページを一旦戻してから、
「すみません、いきなりこんなの見せて。大丈夫でしたか?」
と、言った。
わたしは面食らって、
「え?どれのことです?なにがですか?」
と聞き返してしまった。
すると若い職員ははじめからずっと低かった腰をさらに低くして、
「こういった写真を見たくないとおっしゃる方が結構いまして…」
と、ガリガリの子どもの写真を示して言うのだった。

そこは結構にぎやかな駅前で、飲食店や商業施設がたくさんあって、晴れた昼下がりで、駅に隣接した児童遊園には子ども達の歓声が響いていた。
そこを通るひと達は、飢えてガリガリになって、餓鬼草子のように腹だけ膨らんだ、遠い異国の黒人の幼児の写真など、見たくないのだという。

まあ、そうかもしれないな。
そう感じた。
それはとても素直な感想だった。
誰も、現実の不幸の匂いなど嗅ぎたいとは思うまい。
今この社会が豊かとは言い難いのだから、なおさら。
晴れた土曜の昼下がりに、見ず知らずの子どもの死にそうな姿など見せてくれるなと言いたくもなるのだろう。

ひどく腹が立った。

いつだったか、わたしが生活保護受給者だと知らない知人がSNSで、
「30代や40代で本当に困って生保もらってるやつなんかいないよ」
と言っていた。

いるけどね。
生活保護を受給するしかなかった30代も。
食べるものがなくて飢えて死にそうになっている子どもも。
5歳になれずに死んでいく乳児も。
見たくないだろうけど、あなた達と同じ世界に、いるからね。

冒頭で書いた通り、わたしは別の団体に寄付をしているし、そもそも生活保護世帯なのでこれ以上の定期的な寄付はできない。
だから丁寧な説明をしてくれた職員には礼を言って、チラシだけもらってその場を去った。

生活保護を受給していなくとも、お金がない世帯は無数にある。
今の日本がどんどん貧しくなっていることは分かっている。
そしてわたしは寄付をしろと訴えられる立場ではない。
でも、餓死しそうな子どものために寄付をしてほしいという主旨の資料の写真さえ「見たくない」と拒むひとを、
生活保護を求める困窮者を年代で雑にくくって「そんなもの存在しない」などと嘯いてはばからないひとを、
わたしは軽蔑する。
その無関心さを軽蔑する。


今日はそれだけ。

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