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方法論的不眠症論-まあ頑張っても治らないなら

※この文章には科学的裏付けは全くありません。完全に雑記です。

僕は、すごい眠りが浅かったり、途中覚醒をしてしまったりと不眠気味のときがある。

まあ、病院に行った方がいいのだろうが、そこまで悩むほど頻繁でもないのが病院に行かない理由になってしまっている。

ひどい時は1ヶ月くらい不眠気味になるときもあるが、それ以上はないのでこれで病院に行くのも微妙だなってのが個人的な感覚だ。

まあ、不眠で辛いときは好きな読書も意識が散漫になってしまってなかなかできない。

メラトニンや睡眠系のサプリ、瞑想などを試したこともあるがそこまで効いた感じもしない、なんとなくやり過ごしているうちに治っていくって感じだ。

実際、今日(2023/08/27)も不眠症気味でこの文章を書いている。そのため散漫な文章なっていると思う。

まあ、今回書きたい本論としては不眠を利用できないだろうかということだ。

そりゃあ、治るならそれに越したことはないが、治らないなら利用した方がいい。プラグマティック的な考えだ。(哲学的な意味とは異なる)

まず、不眠の時に考えたりすると論理が飛躍する。注意力が足りないため厳密なことが考えられない。

しかし、論理が飛躍するということは、本来のフレームワークで考えることを超えられるかもしれない。(これも論理の飛躍かも。)

ある意味で散漫的な思考だからこそ、また厳密さがないからこそ、欠けているからこそ、描ける思考があるかも知れない。

そこで、不眠のときに考えたことは、すぐに忘れて、いや後で思い直しても、無駄な思考に思えるかもしれないが、貴重な散漫な思考としてメモしておくのがいいのではないかと思う。そうすると、いつか役に立つかも。

そんな散漫な思考でテキトーなものを書いてみた。どうだろう役に立つだろうか。それとも、やはり、不眠は治すべきだろうか。この文章をから判断していただければと思う。

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