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不機嫌は、金を払ってなるものへ

SDGsかまびすしいけど、人間関係の持続可能性はどんどん低下している。ハナから持続する可能性とか期待せずに人と付き合っているかもしれない。

年代、世代ごとに、人間関係を固定するためにする事(お互い支配的になる)があるような気がして、
40代以上(後半くらい?)が、
相手の足を引っ張り自分のレベルにまでさげる
30代が、
陰鬱に引きずり込む
20代が、
存在価値でマウントをとる
と思ってる。

足を引っ張りは、当然その下の世代には受け入れられなくて、もはや「パワハラ」として捉えられているはず。
これがコミュニケーションとして当たり前だったという事が日本の成長を阻害したといえる気がする。実際、この世代の人達はやたらに組織論を持ち出すが、自分自身にその組織論を適用しているか怪しい。例えば「上意下達」と言うが、自分自身は下達しなかったり、あるいは上意が無かったりする。上意が無いのに下達しろというのは「俺の面目が保たれるようにお前らで考えて配慮しろよ」という事に過ぎない。
ある人の面目を守る必要があるのは、そうする事によって組織全体が守られ、それにより自分が守られるからというはずだけど‥
何だか、他責的な人が言う自己責任論と相似形と思う。

陰鬱で共感の依存関係に引きずり込むという事、これも今の20代には許されない事だけど、その事に30代はあまり気づいていない。自分達は戦うべき時に戦えなかった老害だという事を。足を引っ張るような攻撃性がないから許されると思っているのだろうけど、今度は誰かに自分自身を引っ張らせようとする主体性の無さで汚らしい大荷物だと。
この共感至上主義が下地になって、後の世代に続くポリコレ潔癖社会を生み出しているのでは?

存在価値でマウントを取り合うというのは、低め合うとは逆のベクトルで良いように見えるけど、どんどんと即物的になっていき、最終間引きの思想に繋がる。


以上の事を踏まえて、カウンセリングの需要が爆発的に増えると思うのです。
それぞれの世代毎に病理があり、だけどそれによる軋轢は自己責任で個人個人が解決すべきものという流れにどんどんとなっていってると思うんです。

保険適用がどうとか多分関係なくて、
若い世代が神経質にこだわる「脱毛」とかと、同じ立ち位置になるってこと。

有り体に言えば
「不機嫌は、金を払ってなるもの」
という価値観になるという事。


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