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月日

月は東に日は西に。

与謝蕪村の句「菜の花や月は東に日は西に」
または、わかつきめぐみが白泉社『LaLa』で連載していた漫画作品。
同名のゲームもあるらしい。略称が「はにはに」で可愛らしい。

月が東に昇り、日が西に沈んでいく情景。
沈みゆく太陽と昇る月、そのふたつが同時に空に浮かぶ、昼でも夜でもない時間。
おまけに与謝蕪村の場合、眼前に広がるのは、一面の菜の花の海。
あわいの中に溶けだして迷子になりそうな、不思議ワールドが広がる。

しかし。
なんとなくイメージで太陽は昼のもの月は夜のものと思っているけれど。よく考えたら月は昼だろうが夜だろうが地球から38万4,400kmの地点に浮かんでいるわけで、別に昼間は存在しないというわけではないのだ。もちろん太陽も地球から平均距離1億4,960万kmをぐるぐる巡る(巡ってるのは地球のほうです)。
見えないところにいるだけで、いなくなってしまったわけではない。
月と太陽と地球の位置関係は季節の流れによって移り変わっていく。太陽と月が同時に空に見える時期も周期的に巡ってくる。月は東に日は西にというのはある意味、当たり前に起こる事象ではある。

当たり前ではある、けれど。こうして実際に言葉にされてみると、やっぱりどこか不思議な気持ちになる。不思議で、どこか懐かしいような、何かが寂しいような。
太陽と月が一緒に空にいるところを見て、あれあなたたち、いつの間にそんなに仲良くなったの?みたいな気分になったり。
真っ昼間のうすら白い月を見てると、思ったより昇る速さがずっと速くて、そのままふいっとどこかへ行ってしまうんじゃないかって気になりませんか? なりませんか。

太陽が西に沈む時刻に東の空に月が昇るということは、太陽と月は地球をはさんでほぼ一直線に並んでいる状態。つまり、そういうときの月は満月、らしい。月の明かりは太陽の光の反射なので当然の話ではあるけれど、情景としてはあつらえたかのように完璧である。
ただし。完全に一直線に並んでしまうと今度は地球の影になって、月食になってしまうとも。なかなか塩梅の難しいものだ。


というようなことごとについて、わかつきめぐみの「月は東に日は西に」を久しぶりに読んだので、思いを巡らせたりしていたのであった。

「楽描倶楽部」という、美術部のハミダシ者たちが集ってできた弱小クラブの物語。予算がないので、ほかの部活からバイト仕事を請け負い資金を稼ぎ、文化祭に作品を出品している。
我らが部長、高橋茗を筆頭に楽描倶楽部の、ちょっと変わり者、だけどバイタリティと描く楽しさに溢れた部員たちが東奔西走、駆けていく。それにOBの先輩たちや、美術部の石原今日子、ハイパー母さん、それから犬のササニシキ、コシヒカリ、コシジワセ、などなど。賑やかな面々が傍にいる。
ゆったりした時間の中を、夢中になって走っているうちにいつしか、秋から冬へ、そして春へ。夏、秋、冬、そしてまた春へ。季節が流れ、代はかわってゆく。

昔は昔 今は今 
ゆっくりと でも 確実に
時間は流れているんでしたっけ

時は移り変わってゆく。けれど、受け継がれるものも、積もっていくものも、ちゃんとある。

忘れてしまうわけ
ないじゃないですか
そおでしょお⁉

当たり前、だけど言葉にしてみると、なんだか不思議なくらい、愛おしく思えるような。
そういう月日の話です。


80年代の漫画、特に少女漫画には、一種独特の空気が漂っている。上記引用部の「そおでしょお⁉」のように、オ列長音にそのまま「お」を当てたり、やたらと伸ばし棒を多用して、どことなくつかみどころのない台詞調にしたり。逆に語尾にちっちゃいつを使いまくったりして、ざーとらしいくらいカワイイ感じにしてみたり(茅菜ちゃんなんて、「きゃぴ!」ですからね。「きゃぴ!」の種族はまだどこかに生き残っているのかしら)。
あるいは、コマ外とか新聞に細かくローマ字で、全然関係ないこと(私信とか、ファンレターの返事とか)書いてあったり。固定電話のコードを指でくるくる手遊びしたり。
背景に星とか、キラキラしたものが、たくさん散ってたり。

そういう、ちょっとしたちゃめっ気ですわ。

それらの要素、というより、それらが織りなして描き出される世界から、ふわりと立ち昇ってくる、かたちのない薫りのようなものに
何故だか不思議と、なつかしさを感じたりもするのです。


西の空に夕日。東の空に月。

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ちょうど見えたので撮ってみたけれど、両方が同時に空にあっても、両方をいっぺんに視界に入れるのは難しいみたい。特別なレンズなら、もしかしたらできるのかもしれない。

満月にはまだ早かったし、菜の花もなかった(スーパーに買いに行ったけどなかった)けれど、桜が綺麗でした。


月と日を浮かべた空のあいだにて

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