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我が子の失敗を認めない親|Apr.18

夜、私がうつらうつら寝ていたとき、お兄ちゃんの部屋で寝ていた娘が、いつまでも寝ずにうるさかったとか?で夫に叱られ、でも、夫の叱り方もどうなんだ?と悶々として、寝られず…また本を読む。「一切なりゆき〜樹木希林のことば〜」

7時過ぎに起床。夜中に起きてしまって、寝覚めが良くない。ラジオ体操はせず、瞑想を10分だけ。

瞑想中に思う。

人生に生きる意味も目的もない、生まれてきた意味なんてそもそもない。とかいう一文を何かの本で読んだけど、もし意味なんてないのだとしたら、探すこと自体バカバカしいよなぁと思う。ないのだから、探しようもないし、みつかるはずがない。そもそも探さなくていい。なぜ人は生きる意味を考えてしまうんだろう。

生まれてきた意味なんてない、その考え方はいいかもと思う。

朝ご飯はパン。何となく週末だけ、パンを食べることにしている。娘がアトピーなのもあって、小麦を取りすぎないように。私と娘はフレンチトースト。夫と息子はツナとキャベツのトースト。

朝ご飯が終わり、ゆっくり新聞でも読みたいのだけど、さっそく娘が遊ぼうと言っている。リビングにシルバニアファミリーを出してきて広げて「おかーさん、いっしょにやろう」と。私はキッチンで夫が淹れてくれたコーヒーを飲みつつ、「待って〜、あとで行く」と言って新聞を読み、夫と話す。

しばらく静かに1人で遊んでくれるのだけど「おかあさ〜ん、まだ〜?待ってるよ」と諦めないので、仕方なく合流。シルバニア、私も子どもの頃ほしかったな、憧れたよな。買ってもらえなかったけど。でも今は何をして遊んだらいいのか、全然分からない。

シルバニアに飽きて、今度はYouTubeを見ながら、踊ることにする。ミスチルの旅人、ヒゲダンのなんか、アンパンマンなどを流しながら、ライブに行ったときのように飛び跳ねる。飛び続けていると、意外と疲れる。よくライブでずーっとあんなに踊っていられたなと思う。たぶんアドレナリンがでているんだろうな。

でも家でライブ映像見ながら飛び跳ねる分にも充分楽しく、テンションが上がってくる。はぁはぁ息を切らしつつ踊る。私は疲れて座り込み、その後も娘は何曲も踊り続けていた。スマホで撮っておいた。

そんなことをしていたら、もう!お昼だよ!生産的なことを

な・に・も・し・て・い・な・い…!!!

寄り道とか、人生に何の意味もない無駄なことが許せない私であるので、こういう時間が本当にもったいないと思ってしまうのだけど、無駄なことができる人になりたいのだよなとも思う。

なんせ、子育てには無駄なことしかなく、その無駄をたくさんさせてあげることがすごく大事だからというのは頭では分かっている。頭では。

お昼ご飯は…えーと…何を食べたのか?毎日同じような状況で昨日と今日の違いがわからなくなってきた。

お昼から、近所の友だちの家に行く予定になっていたのだけど、お昼ご飯の時間がずれたので、少し遅らせてとLINEが入る。こちらも例に漏れず遅れているのでもちろん!

空いた時間に、Amazonプライムで「ワンダー 君は太陽」を見る。誰かが見てよかったと言っていたのを見かけたのだ。

(ウィキぺディアより)
オーガスト(オギー)・プルマンはトリーチャーコリンズ症候群が原因で顔の形が変形しており、27回の手術を受けるなど長らく入退院を繰り返していた。容態が安定したオギーは学校に通うようになるが、クラスメートたちの差別によるいじめを受けふさぎこんでしまう。オギーは自分の顔が普通ではないことを嘆いたが、両親の励ましを受け立ち直り、学校生活に適応するため、家族に支えられながら懸命に行動を起こす。当初、オギーの顔の形がみんなと違うと囃し立てたクラスメートたちも、彼との交流を通して「人間の内面の価値には外見で推し量れないものがある」ということを学んでいき、相互理解を得るようになる。

自分の顔を普通ではないと自覚しつつ、受け入れ、学校生活になじもうとするオギー。見守る家族。なんかもう、私ならどうするだろうとジュリアロバーツ演じる母親を見ながら思う。そしてもし私がオギーなら。

映画の中で、オギーをいじめた男の子がいた。お金持ちの子で、両親はその学校にたくさんの寄付をしていた。いじめっ子はいじめていたことがバレ、両親とともに校長に呼び出される、が、母親は我が子がいじめをしていたとは認めない。相手のせいにしたり、学校のせいにしたり。絶対に失敗したことを認めさせない。我が子が間違いをするわけがないと認めない。揚げ句に、そんなことを言うなら、学校を転校させると立ち去る。自分に非があると分かっていたいじめっ子は、校長先生にそっと謝る。

親が子供の失敗を認めてあげないということは、なんと酷なことだろう。失敗を認めないということは、失敗することを許さない、ということだ。失敗をなかったことにする。その子に責任を取らせてあげない。それって、その子の人生を奪っているようなものだ。私の母親もそうだったんだよなと思って、見ていて辛くなってきた。

その後、友だちの家へ。すでに3家族の子が集まっており、子どもたちが総勢6人!もいるところへ、娘も合流。初めましての子ばかりでなかなか馴染めないけど。手作りおやつをみんなで食べて、子どもたちはドラえもんを見はじめる。

友だちは自宅作業へ。私は読書。

夕方、近所の公園にみんなで散歩。行く途中、雲の隙間から光が差す、天使のはしごが見えたので写真に収める。

いつもは行かない方角に向かって歩くと、「こんなところに公園があるなんて」というところに行き着いた。10年住んでてるけど全然知らなかった。

公園で子どもたちが遊ぶ様子を見ながら、友だちと子どものこれからの教育のことなどを話す。知識を詰め込むばかりの学校よりもっと自主的に学びたくなるような学校に行かせたいよね。休校の日々が続くけど、実は子どもたち、今の方がよっぽどのびのびとしてて、楽しそうで結果良かったのかもね。あんな、みんなと同じことをしなきゃいけない学校なんて窮屈…などなど。

友だちは少ない方だし、積極的に友だちも作れないけど、近所に気の合う友だちができて、本当に良かったなと思う。

夕飯は、鯖の味噌煮とじゃがバター、タラコの焼いたの、味噌汁、ご飯。


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京都在住エッセイスト・ライター、ときどき大学講師 江角悠子
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