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大場ノート1:「栄養」のこと

「栄養」ってなんだ?

「栄養」という言葉は日常的によく使うし、よく耳にする言葉ですね。ところで「栄養」とは何を意味する言葉でしょう?「Nブックス 三訂 基礎栄養学」(2015, 建帛社)には以下のように書かれています。

生命現象における栄養(nutrition)とは、生物が体外から取り込んだ物質(食物)を分解(消化)・吸収する段階から活動に必要なエネルギーや有用物質を産みだす代謝過程とともに不要となったものを処理・排出することも含む全体の結果を指すことになる。

「Nブックス 三訂 基礎栄養学」(2015, 建帛社)p1

よく解らないと思います。日常的には「○○には栄養たっぷり」とか「野菜の栄養が~」とかいう使い方をするので「何か違う…」と。
「栄養」は「現象」なんです。
上述の「栄養」をもう少しかみ砕くと…
・生物が生きるために
・外部から物質を摂り込み(食べて)
・消化、吸収して
・体内で使い(代謝し)
・排泄する。
この過程で起こること(および過程そのもの)を指します。
更に砕くと「生きるために必要な物を、摂り入れて、使って、捨てること」です。「栄養」はこのような意味合いなので、例えば臓器や細胞などに対し「栄養する」という表現も用います(例:「肝臓を栄養する血管」など)。少し奇異に感じるかもしれませんね。

栄養素

栄養の過程で摂り込む「生きるために必要な物」が「栄養素」です。日常会話で”栄養”と呼ばれるものですね(細かく言うとそうでない場合も…)。こちらは物質です。
栄養素は大きく、たんぱく質、脂質、炭水化物、ビタミン、ミネラルに分けられます。この内、たんぱく質、脂質、炭水化物を「三大栄養素」と言い、三大栄養素はエネルギー(熱量、日常の言葉では「カロリー」)を有します。これにビタミン、ミネラルを加えて「五大栄養素」と言います。それぞれの内容は膨大になるので、またの機会に回します。
※余談:世の中には更に何かを加えて「六大栄養素」「七大栄養素」最近では「八大栄養素」など主張する方も居られます。ですが、オーソドックスな栄養学では少なくとも今のところ「五大栄養素」なので、それより多かったり、代わりに見慣れないものが入っていたら、その方(ないしその方が属する団体)の独自の考えと思って良いでしょう。まぁ…「ボクが考えた最強のガン〇ム」みたいなもんです。

どうして栄養するのか?

端的に言えば「しないと死ぬから」です。
生物の身体は、安定して変化が無いように見える状態にあっても常に変化し、合成と分解が起こり、入れ替わっています。この生体活動にはエネルギーが必要であり、材料となる物質も必要となります。使い終わった物質は元の物質からは変化し使えなくなるため、適切に処理され排泄されます。近年話題のオートファジー(拡大解釈されているきらいはあります)のように、一部リサイクル出来る部分はありますが、とても生体を賄えるほどではありません。そのため生体活動の維持(及び成長)のためには、必要な物質(栄養素)を外部から新たに摂り込む(栄養する)ことが不可欠です。また多くの栄養素は多量に貯蔵できないため、定期的に摂取する必要があります。

栄養素は「身体に良い」のか?

栄養素は外部から摂り入れなければならない必要な物ですが、「身体に良い」という表現が当たるかは疑問です。と言うより不適切でしょう。「良い-悪い」ではなく「要る」なのです。
「無ければ支障をきたす」ということは、「有ることで初めて身体が正常に機能する」であって、「摂ることでプラスになる」ではない。「食べれば食べるほど良い」というものではない。無いと不調ですが、有っても“正常”までしか期待できないです。
また、栄養素の中には摂り過ぎることで不調をきたす物もあるので(過剰症と言います)、その点でも「身体に良い」は適切な表現ではないでしょう。
栄養素の適正な摂取量や過不足に関しては、多くの知見が積み重ねられており、不確定な部分もありますが現在地として「日本人の食事摂取基準」が定められています。また疾患によってはガイドラインが定められているものもあります。

栄養素と食品成分

栄養素は食品に含まれますが、食品成分の全てが栄養素というわけではありません。栄養素は「生きるために必要な物」なので、外部から摂り込まれずに貯蔵も尽きると、生命活動に支障をきたします。逆説的に、食品に含まれる成分で、食べると良い作用がある物でも、摂り込まなくても特に支障が無い物は栄養素ではありません。例えば、香り成分や色素はその食品を特徴づける大きな要素ですが、多くは栄養素ではありません(成分に栄養素を含む場合はあります)。
食品学の分類に「食品の3つの機能」があり、一次機能:栄養機能、二次機能:嗜好性機能、三次機能:生体調節機能となっています。この内、一次と三次の違いが分かりにくいですが(二次は要は「美味しさ」)、一次(栄養)は「無いと不調になる」、三次(生体調節)は「無くてもいいが、あるとプラスになる」くらいに考えて良いでしょう。例えば、サプリメントでよく見る色素成分の「ルテイン」は、「強い抗酸化作用、抗炎症作用を有し、活性酸素によるダメージから目を守る」などと紹介されますが、摂らなくても生命活動に支障は無いので栄養素ではなく、機能を分類すれば三次機能になります。
現状「有用」とみなされていない成分も含めて、食品は様々な成分を有しています。食品は様々な栄養素を含みますが、構成する栄養素だけを組み合わせても”その”食品にはならないのです。我々は「栄養素以外」も食べています。

栄養はヒトと食品のインタラクション

栄養は「生きるために必要な物を、摂り入れて、使って、捨てること」でした。これには、主体であるヒトの生命活動全般と、摂り込まれる(食べられる)側の食品とその栄養素が相互に関わり合います。どちらか一方だけでなく、栄養はヒトと食品のインタラクションです。
ちなみに栄養学はこのインタラクションに含まれる全てを範囲とする学問です。ともすれば「○○には△△が含まれる」といった食品側の事情ばかり扱うように思われがちですが、「ヒトが食べたらどうなるのか?」の視点が常に存在しています。※“いわゆる健康食品”や”いわゆる健康記事”ではその視点を外していることが度々あります。

結び

栄養の話を書き始めるにあたって、「栄養」とは何かを大まかに記しました。それぞれの話題はこれから書いていこうと思います。




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