小説? 随筆?「Suicide or Last Elixir」

 今宵もまたふざけた文章を綴ってしまった。小説としておきたいが、そういうわけにもいかないような。だが、活動報告としておくことで、私のふざけた作品を世に出すことにしよう。

 さて『自殺してはならない』との戒めは、むしろ自殺者にとっては格好の餌に過ぎない。その言葉の強迫が、さらに死の耽美な喜びを与えたもうことは、識者には理解せられるであろうことを信じている。彼らをその言葉を以てして救うことが出来るのであれば、とっくに自殺者は大幅に減っているはずである。いやしかし、厚生労働省に曰く、ミレニアムあたりと比較すれば近年の自殺総数は減っているそうだ。喜ばしいだろうか? 芳しいとも、そうではないとも思わない。世を生きることは少なからず苦痛を伴っているのだから、もはや少数になってきた彼らの死を止めようとも思わない。しかし、なぜだかは知らぬが『自殺してはならない』という確固たる決意が人間社会から感じられるので、ひとまず私も論じておこうか。なァに、メシアになって、原罪の精算をしたいのではない。人もすなる『社会貢献』というものを、ゴブリンの私もしてみむとてするのである。
 自殺者に対しての延命処置は、日頃からの逃亡と、ちょっとした贅沢があれば可能である。世の中のごくわずかにある良い面だけを見て、行く先々に敷き詰められた絶望を忘れるのも時にはよかろう。そのための娯楽であり、そのための外食である。苦痛はしばしば遮断してやらねばならない。どこか後ろめたい気持ちになったのなら、こう考えてみるがよろしい。『自殺するくらいなら、贅沢をするのもよかろう』。社会規則第一主義な大部分のパリサイ人でさえ、こう言えば納得してくれると信じている。いや、信じるのは辞めておこう。人を信じても碌な目に遭わない。
 しかし、それだけで仕舞とはいかない。あくまでその一日を無理やり生きているのであって、今後生き続けようという気概を与える行為ではない。『延命処置』という言葉を用いたのは、そのためである。今日におけるアルツハイマー型認知症への対応と同じである。治療薬はなく、進行を妨げるその場しのぎの対策なのである。しかし批判してはならない。その場を凌いでいるだけでも、及第点を差し上げることにしようではないか。しかしそれでも、自殺に半永久的に効く、特効薬があったらなァ……。と読者諸君は思わされたか知らん。

 ここで全く関係のない『ラストエリクサー症候群』の説明を付け加えておく。お恥ずかしながら、私はファイナルファンタジーの類を遊んだことはないので、私のようなずぼらな方々にも分かるように説明せねばならぬ。『ラストエリクサー』というのはゲームにおけるアイテムで、非常に強力な効果を持つ。回復薬の最上級アイテムと称して問題ないと思われる。その代わり、通常の方法ではほとんど入手不可能と言っていいほどで、よっぽどのことがない限り使用がためらわれるであろう。
 こういったレアアイテムの使用がためらわれ、一度も使用せずにゲームクリアしてしまうことを『ラストエリクサー症候群』というらしい。考えてみれば明白で、他の量産可能な回復薬で代用可能ならそちらを使用したくなるのが、人間心理であろう。最上級の手段は基本、その他の手段で代用するというのが合理的なのである。

 ここに自殺を当てはめてみる。人生を何らかのゲーム作品で例えるのなら、自殺とは『人生で一度だけ入手可能な、どのような嫌なことからも逃げられる最上級アイテム』と捉えることが可能である。すなわち、自殺とはラストエリクサーである。この考えを、すべからく自殺志願者は所有しておくのがよろしかろう。どのような苦痛なことがあっても、その苦痛から逃げる手段は他のアイテムから得るのが良い。離職、離婚、プチ贅沢、サボタージュなど、合法であれば何のアイテムを使用してもよろしい。こういった『アイテムの効率的配分によって、苦痛にまみれた世界を、自殺以外の要因での死というゴールまで走り切る』というのが『人生』というゲームの趣旨である。制作陣を非難したくなるほど愚劣なゲームであろう? すぐにでも辞めたくなるであろう? しかしやめるには、『ラストエリクサー』を使用せねばならない。すなわち自殺である。しかし、一度きりのアイテムなのだから、容易く使ってはならない。合理的ではないからだ。他のアイテムで代用するほうが、『ラストエリクサー症候群』の観点から言って合理的なのである。
 しかしまあ、逃げのアイテムを使った結果、人生を不利にさせられるのだから、プレイヤーの視点を一切考慮しない最悪なゲームであると、人生をそう形容できる。結果自殺が合理的であるとの話に帰結してしまって、残念ながら社会貢献ができなかった。残念極まりない。日頃から人のために生きる人々を尊敬する。私はきっと今後無駄に生きていてもそれは不可能であろう。こんな生物が生きているなんてと、読者諸君から忌み嫌われてしまいそうである。自殺を強要されている気がするが、いや待てよ。私は『私の好きなように生きるという甘言』を以てして、『ラストエリクサー』の使用を拒もうじゃないか。ケケケ、ざまをみろ世界よ。またまた私を自殺させることは出来なかったな。私の勝ちだ。

 最後に申しておくが、こんな自殺者を止めようなどと思い上がった私如きが自殺した場合は、人それぞれが取り得る最大限の努力でもって、私を嘲笑していただきたい。さて、自殺の晴れ舞台を作るために、もうちょっとだけ私は、作家業をする人間として有名になっておかねばならないか知らん。

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