写真がうまくなりたいと思うのは不毛だと感じ始めた
どうもEzogeekです
普段他の場所では書けないような自己満足の鬱憤を書いていこうかと思います
というのも写真に関わることです
写真を撮っては選定し、編集し、投稿し、評価されるという道のりをしていくうちに自分の気持ちが変わっていくように感じます
毎日凄い写真家さんたちの上手い写真をいくつも見て自分もこんな風に撮りたい、評価されてみたいだとか考えていましたが
それはとんだ思い上がりというべきものなのだと感じ始めました
不毛、無駄な感情とも表現すべきものか
どちらかというとその写真家たちのようになりたいという気持ちは必要のない、持ってはいけないことなのではないかと
私のカメラの始まりはこの綺麗な景色を収めたい、記録したいという気持ちで始まったものです
純粋に、そして何も気にせず自分が求めるものだけを追っていました
去年の夏頃から「ただ記録するだけでいいのか」という気持ちの元、ブログやSNSを始めたのが不毛な悩みとの始まりでもありました
ブログもSNSも最初は純粋に楽しく書いていましたが、日にちが経つにつれ現実が見え始めてきます
評価されない自分と本質からずれていく写真
他人と比較すればするほど写真から味が消えていくように感じます
あの人の写真のように撮れない、うまくなれない、この写真のほうがウケる
言い方を変えれば真剣に取り組んでいるからこそ試行錯誤しているとも言えますが、ただの迷走です
写真を公開することにより得られるものもありましたが、自分のいらない自己顕示欲が悪い形で形をなしているようにも感じます
写真を撮るという根本的なことから離れ
どう編集するか、アピールして人に見てもらうかなどの方向へ
一人の無名カメラマンというより人気のないアフィリエイトブロガーのように思考がシフトしていくのが嫌でした
撮ることより編集に重きを置いていることにも
今の時代、ネット上に写真を公開するということはそういうことなのだとは理解しています
全ては実力がないゆえの情けない敗北宣言だとも言えます
うまく言葉にはできないけれど、これは違う、これは違うなという漠然とした気持ちだけはあります
ただ自分が楽しむためだけに写真の撮りたい
他人の写真と比べることも他人の評価を気にすることも写真がうまくなりたいと思うことも不毛なことだ。大きな意味があるわけじゃない
私がもらう程度のちっぽけな評価に悩むぐらいなら開き直って評価を捨ててしまうのが良い
評価はなくともそのうち個性が出てくるかもしれません
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サポートしていただきますと私の現像環境がサクサクになっていきます