見出し画像

韓国ドラマ「SKYキャッスル」を見て思ったことメモ

尊敬する知人に教えてもらって、韓国ドラマ「スカイキャッスル」を観ました。ストーリーが良く練られていて、最初から最後まで一気にハラハラドキドキ楽しみました。ドラマの感想ではないのですが、視聴している間、とりとめなく思ったことをここにも書き留めておこうと思います。(ちなみに、韓国ドラマを見たのは10年以上ぶりなのと韓国文化に関する知識も不足しているので、初心者の思いつきメモだと思って読んでいただけると嬉しいです)

婚外子への感情

父親を知らず育ったけれど母親の死をきっかけに父親を知ったキム・ヘナの周りの態度の描き方が興味深かったです。彼女は、母親が亡くなった後、自分のことを他人だと思っている父親の家に住み込み家庭教師として入り込みましたが、ドラマの中で、彼女は不遇ではあるものの日本で同様の境遇で描かれるよりも社会から排除されていないと感じました。実際の韓国ではどうなのだろうと興味を持ちました。

「戸籍」の存在

彼女は「父親と同じ戸籍に入りたい」と切望しています。ヘナの感情の描き方を見て、自分の父親が誰かということ、その父の子であることを公式に認めてもらうことがかなり重要なのだろうと感じました。この様子から、父系血統中心主義、父親重視の社会フレームがあるのだろうか?と推測しました。

ドラマの中で「戸籍」という単語が出てきましたが、日本によって韓国に持ち込まれた戸籍制度は2008年に廃止されているはずなので、この2018年のドラマに「戸籍」の言葉が出てきたのはどういうことなのだろうか?と思いました。これは訳によるものなのか、コンセプトがまだ生き続けているのか、どちらなのか知りたいと思いました。

重荷としての祖父母世代の価値観

このドラマでは、富裕層が子どもの学歴のために親が手を尽くす様子を描かれています。「ソウル医大出身者を三世代つなげたい」という上昇志向を軸にストーリーが展開されているのですが、この価値観が、祖父母世代(今の70歳代くらい?)からきているという描かれ方が面白かったです。このドラマの登場人物は「富裕層ではあるけれど、伝統的資産家(財閥)ではない」というように見えましたが、三世代つなぐことで、家名を上げて資産家階層の仲間入りしたい、ということなのだろうか?あるいは中産階級の最上位として固定化させたい?と解釈したのですが、どうなのでしょうか。

はっきりモノを言う

登場人物が、同性同士に限ってですが、何でも思っていることをはっきりと伝える様子がとても興味深かったです。ドラマとしての演出もあるのでしょうが、日本のドラマがハイコンテクストな(含みが多い)のに比べて、言葉で表されていてとてもスッキリ分かりやすくて良いなと思いました。そして、日本の「出る杭は打たれる」「輪を乱す(意見言う)ものを排除する」というのはないのだろうか?とも。

… 先ほど「韓国は日本以上にハイコンテクスト文化で…」みたいな表現をしましたが、同時にローコンテクスト文化的なロジカルにハッキリと表現する様相もあります。大陸であったり、儒教文化の歴史的経緯が影響しているのではないかと思いますが、世の中ホント単純ではないですね。日本はムラ社会的ハイコンテクスト文化とでもいうんでしょうか?

気になって韓国語について調べたら、通訳者のブログにこのような記述がありました。興味深いです。

上下関係 

一方で、上下関係の厳格さも感じました。儒教によるものなのでしょうか、言語によるもの(敬語に厳格?)なのでしょうか。一昔前ではありますが、アメリカで出会った韓国人留学生(彼らは今40歳代だと思います)は、初対面の人に年齢を聞かないと落ち着かないようで、なぜなのか聞いたら韓国語の敬語が影響していると思うというようなことを教えてくれました。そんなことも思い出しました。

漢字と知性教養

ドラマの中で漢字で知性をアピール、自分が上位であることを示そうとしていた場面がありましたが、アメリカに語学研修留学していた韓国の官僚(今50歳代だと思います)のことを思い出しました。自分が多くの漢字を読めることを非常に誇っていて、漢字が読めるから日本の新聞も読めるのだ、ということを語っていました。

日本よりエリートであることに対して知性教養が重要視されるのだろうか?と思いました。日本は上位階層であっても男性は文化資本が低い(女性は高い)という研究結果もあるのですが、科挙の韓国と武士の日本との違いなのだろうか?などと(ざっくりですが)思ったりしました。

また、民族としてのアイデンティティにハングル、漢字のそれぞれがどのような捉えられ方をしているのかにも興味が湧きました。

出身階層、生まれ順、性別

受験の様子を描きながらも「出身階層の呪縛から逃れ、ヒエラルキーの上を目指す」というテーマで進むドラマということで、出身階層差別の様子は随所で描かれいました。しかしながら、日本の古い世代で見られるような、「子どもの生まれ順」や「子どもの性別」による差別はないように見えました。

つまり、日本でいう「長男だから」とか「女の子だから」という家庭内身分の差別意識は韓国には存在しないのだろうか?という疑問です。彼ら親世代では男性と女性の役割上下関係がずいぶんとはっきり描かれていましたが、子ども達に対してはその様子がなかったのが不思議でした。ドラマとしての演出なのでしょうか。 

勉学優秀な女子

このドラマでは、階層上昇のために富裕層の親たちが子どもの受験に狂奔する様が描かれているわけですが、勉学優秀な「女子」が主人公であることはドラマならではの演出でしょうか。実際はどうなのでしょうか。日本ならば、親が「良き結婚」について心配する様子も描かれたりするのでしょうが、そのような描写が一つもなかったのが興味深いと思いました。「結婚できる、できない」だけでなく「男の子から好かれるために」という要素がないのも面白かったです。

これは、女子エンパワメントのために意図されたことなのか、それとも実際の韓国社会でも同様なのか、とても興味を持ちました。育ちの良いお母さんが大学院卒として描かれていたことからすると、階層上昇婚にも良い学歴が必要なのでしょうか。「結婚」がどのように扱われているのかも気になりました。

直後に、日本映画「あの子は貴族」を観て

「スカイキャッスル」も「あの子は貴族」も、どちらとも現代社会の階層と女性が描かれている作品です。私の個人的な感想としては、現代日本の方が庶民の階層移動が難しく、女性の抑圧も根が深く、希望が持てないように思いました。なぜなら、日本は今でも、結婚(婚姻)が階層移動の装置で、女性にとっては「勉学よりも結婚」という仕組みなのだと再認識できてしまったからです。女性が自力で人生を切り開くよりも、結婚と出産を期待される日本は恐ろしいとあらてめて思いました。(日本では離婚してから女性自身の人生が始まるという示唆も含め)

社会規範フレーム

「スカイキャッスル」では「ピラミッド」を象徴として度々登場させていましたが、韓国は厳格なピラミッドが、誰から見ても分かりやすくあるのろうと思いました。日本は「あの子は貴族」にもあるように、「イエ」フレームで社会ができているのですが、あまりにも内在化されていて、誰から見ても分かりやすくはなっていないように思います。

例えば、日本では、外国に引っ越す人を「日本を捨てた」とか、外資系企業に引き抜かれた技術者を「日本を裏切る」と言う人がいますが、これは「イエ」社会に生きているために生じる感情。それに対して、韓国では、外国に引っ越すにしても、どの国で何をするのか(おそらく国にも序列がある)、外資系企業に引き抜かれたとしてもどの外資系でどのポジションなのか(それぞれに序列がある)、つまり、「ピラミッド」のどの部分に当たるのか、ということが重要なのでは?と推測してみました。

経済発展と人の移動

ドラマの中では、三世代の価値観の差、育ってきた環境の差も描かれていました。韓国の経済成長の様子からすると、現在はその世代間価値観の差が非常に大きい時期なのではないかと想像しました。日本は、1960年代の「農村から都会へ」の移動した人たちの孫世代での「教育格差」が明確になっているのが現代だと思うのですが、韓国もじきに似たようなことになるのだろうか、庶民の中での「ピラミッド」が固定化するのか、それともピラミッドではないフレームに変わるのだろうか、などとぼんやり考えてみたりしました。

おまけ:スカイキャッスルの住居

富裕層の象徴として描かれた集合住宅が高層ではないのも興味深かったです(豪華さや広さはさておき天井が高いのと道幅が広いのは羨ましい)。また、ゲートコミュニティで敷地内の様子がアメリカの影響を受けている様子だったのも興味深かったです。90年代以降の個人的な感想ではありますが、ファッションや音楽の志向から、韓国は日本よりもアメリカを見ているよう感じています。さらにドラマの中ではシドニーの親戚という話もあり、オセアニアも見ていて、オーストラリアの永住権もステータス(ピラミッド上位として)なのだろうか、などとも思いました。

最後に

パラパラを思いつくままのメモ羅列ではありますが、先々の出来事に流されるように生きていて忘れっぽいこともあり、主に自分用メモとして思いついたことを記しておきました。

メモにもかかわらず読んでくださり、ありがとうございます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?