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カップの底に茶色い輪っかができる頃


苺のジャムと、クリーム。

銀色のスタンドにはすました顔できちんと並んだスコーンと、ブロックのように敷き詰められたサンドイッチ。おまけにペストリー。今日は苺にコーヒーを混ぜこんだようなブルーベリー色のタルト。


気持ちのいい午後2時過ぎの陽射しは、すり硝子の窓越しに私のことを包みこむ。この席に座って15分ほど経っただろうか。コーヒーが好きな私は、珍しく英国風のカフェに来て紅茶を頼んだ。店内は落ち着いた照明で、外の光と混ざりあってちょうどよい明るさだ。ミルクグリーンに小花柄のテーブルクロスや、小棚に飾られた花、おもちゃの兵隊さんたちが目に映る。

しばらくして、ポットに入れられた紅茶と、ティーカップが運ばれてきた。

「砂時計の砂が落ちきったらお飲みください」

注文した軽食たちが運ばれてきた頃には、私の背中はすっかり暖まっていて、砂時計の真白な砂はもう全部落ちていた。
ビンテージ風スタンドがテーブルに置かれる。お店のひとは一度戻ると、またすぐに私のいるテーブルへやってきて、サンドイッチ、スコーンとジャムとクリーム、タルトの皿をそれぞれスタンドに並べた。

「ごゆっくりどうぞ」

そう言われればそれはもうごゆっくりと過ごしますよ。そのつもりでこんなに豪華なセットを頼みましたからね。

そう思いながら会釈をすると、お店のひとはレジのあるカウンターへ戻っていった。私より先に来ていた客が席を立つのを横目に見ていたそのひとは、まるでパフォーマンスでもしているような身のこなしで接客している。そんなお店のひとを横目に見ながら、私は先に私のもとに到着していた紅茶セットにようやく手をかけた。

ステンレス製の小さな茶こしを白いカップに引っ掛けて注いでいく。つやつやと注がれるあかい液体が陶器のカップに満ちてゆく。なんとも言えない、いい香りだ。白い湯気がゆらゆらと踊っている。あいにく紅茶には疎いので、“本日のおすすめ”とやらを注文してみた。本日のお紅茶はダージリン。澄みきった濃いあか色が美しい。

口をつけるとまだ少し熱かったので、ちびちびと飲んで、すぐにソーサーにおいた。


アフタヌーンティーは初めてではなかった。もともと“アフタヌーンティー”とは、イギリス貴族たちの大切な社交の場だったという。映画で時々見かける、ティーカップの持ち方講座は彼女らにとってとても重要なお作法だそうだ。

カップを持つときは小指を立てて。お食事はサンドイッチから順番に。スコーンを間にいただいて、最後にデザートを。


キュウリが挟まれたサンドイッチは、一つひとつが小さく切り分けられていて、一口で食べられる。断面が上を向いたり寝そべっていたり、石畳のように敷き詰められたサンドイッチは、塩っ気がありつつも口の中がさっぱりとして、空の胃の中にやさしく積み重なっていく。シャクシャクと咀嚼しながら、少しだけその味に飽きてくる。

三段に積み重ねられたスタンドの中段に、プレーンなスコーンがある。手に取り、はちきれそうになってできた裂け目にそって、上下半分に割る。
子どもの頃、オレオのようなサンドイッチ型のお菓子を半分に割って片方に偏ったクリームをつけたり、牛乳に沈めて柔くしたりしたらお行儀が悪いと怒られたものだ。なんだかわからないけれどおいしかったし、その自由に楽しめるカスタマイズ感が楽しかった。

そんなことを思い出しつつ、左手に持った下側のスコーンに、ジャムとクリームを塗る。まずは苺のジャムと、クロテッドクリームと呼ばれるバターのようなクリームの両方を塗りつけてひとくち。ジャムのみずみずしい口当たりの中に、クリームのこっくりとしたミルクのような甘味が、スコーンで奪われかけた口内の水分を補う。

丸くてごつごつと歪な形をしたスコーンはさっくりとしていて、歯を立てると簡単に口の中に転がりこんでくる。中はしっとりほろほろとしていて、それだけでも十分甘みを感じるけれど、ジャムをつけると、よりまったりとした味わいになる。

ケーキは自由に選べるので入店したときに選んでいた。こういうとき、だいたい苺のショートケーキかフルーツタルトを選んでしまう。いろいろなフルーツがのったタルトやレアチーズケーキ、チョコレートケーキだけで3種類はあった。ひとしきり悩んで選んだベリーのタルトは、見ているだけで甘酸っぱい。

三角形のタルトが少しずつ欠けていく。甘いものを食べていると、味のシンプルな暖かいものが飲みたくなる。休みやすみ紅茶を飲みつつ、タルトの面積はあとひとくちほどになっていた。



胃が突然満腹宣言してきたので一度食べるのをやめた。


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カフェに入るといつも思い出すことがある。
人生で初めてのアルバイトは年配の常連さんが多い喫茶店だった。

友達に誘われて応募したら私だけ採用されて、その後1年間お世話になった。一緒に受けた友達はその後、喫茶店の前のファーストフード店でアルバイトをはじめた。高校生の頃は人見知りで、接客なんてできないと思っていたけれど、はじめると案外楽しかった。コーヒーの匂いやトーストの焼ける匂い。お昼時になるとドライカレーの匂いがしてくる。

シルバーやソーサーを乾拭きしたり、レジ打ちしたり勘定を済ませたテーブルの食器を下げたり。初めてのバイトなりに、いろんなことをさせてもらって、マネージャーに気に入られて軽食作りもさせてもらうようになり、1年経った頃にコーヒーの淹れ方を教えたいと言われた。

でも、結局私が淹れたコーヒーを提供することはなかった。

今まで生きてきた中でそれなりに後悔してきたことはある。でも割と受け入れて前に進んでいくタイプだった。あえて後悔していることをあげるなら、喫茶店でコーヒーを淹れられなかったこと。喫茶店で働いていた頃のことを思い出しては、また働きたいなと今でも思っている。バリスタと呼ばれたい人生だった。

最近はシンプルな内装だったり、ナチュラルな雰囲気のカフェをよく目にする。デザインの凝った内装やコーヒーカップなんかを見ているのが好きだ。


でもやっぱり純喫茶のような雰囲気に憧れるのだ。

あの頃を思い出して懐かしくなるし、近くに落ち着く雰囲気の純喫茶があったら通ってしまう気がしている。残念ながらいま住んでいるところにはないけれど。

私は喫茶店が好きだ。
コーヒーが好きだ。

喫茶店やカフェに入るたび、いつもそんなことを思い出す。さっきのお店のひとをみてまた、昔の自分を思い出していた。いつかもう一度喫茶店で働きたいと想像だけを巡らせる。




普段は何も考えずにコーヒーを頼んでしまうところを、今日は紅茶にしてみた。コーヒーよりもさっぱりしていて、飲み口が軽い。苦味と酸味がおもてに出るコーヒーと違って、甘みと渋みが癖になる。

そんな風にもの思いに耽っているうちに、温められていた背中が少し冷えはじめていることに気がついた。外を見るともう陽が落ちはじめている。



たまには紅茶もありだな、と思いつつ、またサンドイッチに手を伸ばした。