中野信子さんを擁護する中で「学問」の専門分野の知とその一般知への応用、さらに哲学の「標的」について触れたいち考察

〈脳科学者・中野信子さんに対する、とあるグループでの無理筋「批判」に苦言を呈する所から「哲学」の「標的」についての言及にまで至った「学問」の専門分野の知とその一般知への応用についてのいち考察〉


中野信子さんは脳科学の研究者であって、論文でもない限り、テレビや一般書ではああいうスティルになると思いますよ。

例えば、現代社会を「分かりやすく」説明する「シャーデンフロイデ」の概念の提示・紹介とか。

中野さんはそういう事を日常の学究活動でなさっているのではないと思いますけども。

一般書はあくまで編集者が企画を持ち込んで執筆依頼した「わかりやすい入門書」ですので。


私は本業が牧師ですし、趣味も哲学プロパーですので、脳科学という領域にあまり関心はありませんしこれからも突っ込んで読むことはないと思いますが、より一般的な視点からまとめられたWikipediaでの論文のリストを見るとだいたいの研究実績はつかめますよね。

学術論文
Hara, N. & Mima, T. Anatomical correlates of absolute pitch studied by VBM. Neuroscience Research 65, S209-S209 (2009).
Hara, N. F., Nakamura, K., Kuroki, C., Takayama, Y. & Ogawa, S. Functional neuroanatomy of speech processing within the temporal cortex. Neuroreport 18, 1603-1607 (2007).
Nakamura, K. et al. Task-guided selection of the dual neural pathways for reading. Neuron 52, 557-564 (2006).


これとか。
https://ci.nii.ac.jp/author?q=%E4%B8%AD%E9%87%8E+%E4%BF%A1%E5%AD%90

こちらとか。
https://scholar.google.co.jp/scholar?hl=ja&as_sdt=0%2C5&as_vis=1&q=%E4%B8%AD%E9%87%8E%E4%BF%A1%E5%AD%90&btnG=

英文はこちら。
https://ci.nii.ac.jp/nrid/9000364802068

または、こちら。
https://scholar.google.co.jp/scholar?hl=ja&as_sdt=0%2C5&as_vis=1&q=nobuko+nakano&btnG=


ちなみにどんな資料も哲学の方法論の視座から読み直せば「中身がない」ものなどないのではと感じます。

私個人としては、中野信子さんは研究成果を入門書としてまとめておられる知見のダイジェストだけでも助かります(今から脳科学を学び直しもできないので。ただ放送大学の「脳神経科学」の授業は全編録画して視聴しました。印刷教材を買わずに放送教材だけならただですので。)し、刺激的で興味深かったです。

ちなみに、アニメやポピュラーミュージックなどのハイアートではない、いわゆるサブカルチャーも、哲学の対象として重んじています。

というのは、それらがメディア論的に、私たちの生活せかいに占める地位は小さくありませんので。

あと、私は、「神は細部に宿りたまう」と信じていますので。

その手法は、必ずしもジジェクやマルクス・ガブリエルの〈模倣〉ではありません。

ただ、同時代の鏡としての〈ミーメーシス〉という「意味」では「共時的模倣」と言えるかもしれませんが。


哲学は、どんな事象「について」も考察し得る、いわば思考法ですよね。その哲学をあえて例えればの話ですが、例えば「猟銃」という道具=「方法論」だとすると、その「視座」は私たちの「目」です。


で、少し離れた所に動く「標的」がある。

アーチェリーの的のように止まっていてくれないのでなかなか狙いを定めにくい。実際の現実の出来事ですから。

その「標的」がここでは「脳科学」や「テレビドラマ」「美術やクラシック音楽などのハイアート」や「アニメやロックなどのサブカル」、どれも哲学という「方法論」で狙いをつけることができますでしょ?

つまり哲学という方法論の視座からそれら諸事象を眺め論じる事ができます。

例えば「脳科学論」「数論」「メディア論」「音楽論」「ポピュラー音楽論」そして「アニメをテツガクするアニメ評論」も書けますよね。

(例えば私は「エヴァンゲリオンを論ずる」のが好きです。)


で、それを探究時点で発表するなら「研究論文」の形になり、

中野信子さんのように「売れる=多くの人が読みたいと思う」人が、万人に分かる入門書を、売れる=買われる事を見越して(出版社もお仕事ですので)執筆を求められて書くのが「一般書」ですわね。

そういう消息ですけど、この例え、うまく伝わりましたでしょうか? 今思い付いただけの例なので、この「猟銃」、結局「標的」に向けて「発射」しませんでしたが、その「射撃」の行為が「論ずること」「立言すること」ではないかと。

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