レディーファーストから考察する「恵み」の価値観

「レディファースト」を強調する社会の風潮は、むしろ男女差別的?

また、感謝の念もなく、「優遇されて当たり前」と思っている様なタイプの女性については、そもそも「レディファースト」の恩恵を享受する資格などない


この問題提起に対して。

「レディーファースト」は、「人間の盾」説などもあるようですね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88

それはそうとして。

キリスト教の価値観の文脈では、間違いなく「弱い人」「この世で価値なき者とされている人」優先です。

それはこの世の価値観に打ち込まれたキリストの十字架の価値観です。

世は言うでしょう。強き者、価値ある者、賢い者、未来の、つまり、将来性のある者、総じて生産性の高い者が生き残るべきであると。

でも聖書は告げています。

"そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、子どもたちがみもとに連れて来られた。すると弟子たちは、連れて来た人たちを叱った。
しかし、イエスは言われた。「子どもたちを来させなさい。わたしのところに来るのを邪魔してはいけません。天の御国はこのような者たちのものなのです。」
そして手を子どもたちの上に置いてから、そこを去って行かれた。"
マタイの福音書 19章13~15節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

ここに、「子どもたち」とは、近現代的な視点による存在ではありません。

すなわち、子どもたちを守るべきなのは「かわいい」からでも「愛らしい」からでも「輝かしい未来の可能性を秘めている」からでもありません。

現象学的な還元によって先入見を廃して直観すればキリストの意思が浮かび上がってきます。

子どもたちを大切にすべきなのは、ただ彼らが「弱く」「無価値」な存在だからです。

キリスト教は世の価値観を覆すくさびであり剣です。

また、"父である神の御前できよく汚れのない宗教とは、孤児ややもめたちが困っているときに世話をし、この世の汚れに染まらないよう自分を守ることです。"
ヤコブの手紙 1章27節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

とも言われます。また、旧約聖書の律法にもこうあります。

"寄留者を苦しめてはならない。虐げてはならない。あなたがたもエジプトの地で寄留の民だったからである。
やもめ、みなしごはみな、苦しめてはならない。
もしも、あなたがその人たちを苦しめ、彼らがわたしに向かって切に叫ぶことがあれば、わたしは必ず彼らの叫びを聞き入れる。"
出エジプト記 22章21~23節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

つまり、この世の価値あるものが高ぶらないために、主はこの世の価値ない者、受けるに値しない者を神は選び、高く上げられます。

それは「恵み」が「恵み」であるためです。

何らかの人の功績に対する世の「報酬」という価値観を逸脱・破壊する「恵み」の価値観です。

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