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台東区/ 「鳥越神社」について


鳥越神社(とりこえじんじゃ)は、東京都台東区鳥越にある、とても伝統のある神社の一つです。
例大祭(鳥越祭、鳥越まつり)の千貫神輿は都内最大級といわれています。

白雉2年(651年)、日本武尊(やまとたけるのみこの)祀って白鳥神社と称したのに始まるとされ、前九年の役※のおり源義家がこの地を訪れ鳥越大明神と改めたと伝えられています。

※ 前九年の役(ぜんくねんのえき):  永承6年(1051)から康平5年(1062)にかけて、陸奥むつの豪族安倍頼時とその子貞任さだとう・宗任むねとうらが起こした反乱を、朝廷が源頼義・義家を派遣して平定させた戦役です。後三年の役とともに源氏が東国に勢力を築くきっかけとなりました。

・所在地 東京都台東区鳥越2-4-1
・主祭神 日本武尊

例大祭に出る千貫神輿は都内最大級といわれる。例大祭(鳥越祭、鳥越まつり)は、例年6月に開催される。

例大祭(鳥越祭、鳥越まつり)
例大祭に出る千貫神輿


■歴史 

景行天皇の御代に、この地に日本武尊が良き斎庭と定めて皇祖二柱の大御神を祀りました。

その後、白鳥村とよばれたこの地に白雉2年(651年)、村民が「白鳥明神」として奉祀したのが由緒とされています。


前九年の役征圧のため源頼義、義家父子がこの地を通った際、白い鳥が飛ぶのを見て浅瀬を知り、大川(隅田川)を渡ることができた。それを白鳥明神の加護と称え、「鳥越大明神」の社号を奉りました。


江戸時代までに、ここには三社の神社が成り、一帯の約2万坪の広大な敷地を所領していました。

元和6年(1620年)、江戸幕府が全国の天領からの米を収蔵するため、隅田川沿いに蔵(浅草御蔵)を造営することとしました。

この埋め立て用に大明神のある鳥越山を切り崩すことになり、土地を没収されてしまいました。

さらに、大明神の北側にあった姫ヶ池も鳥越山からの客土で埋め立てられ、大名屋敷などの御用地とされてしまったのです。


三社のうち熱田神社は今戸(現・台東区今戸一丁目および今戸二丁目)へ、第六天榊神社は森田町(現・台東区蔵前三丁目)に遷され、残った大明神が現在の鳥越神社です。

鳥越神社の境内


参照元: 「ウィキペディア」webサイト

以上

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