1964年 東京オリンピック
伝説の祭典は、東京の街の表情を変えた。いまも現存する代表的な建造物も多い。
〈目次〉
1.はじめに
2.1964年の東京オリンピックを振り返る
3.国立代々木競技場第一体育館
4.駒沢オリンピック公園総合運動場
5.メインスタジアムの国立競技場
6.日本武道館
7.ホテル
1.はじめに
世界中が注目するオリンピックは、スポーツの世界大会というだけでなく、国が総力を注ぎ、自国の技術や文化を世界にアピールする場でもあります。
とりわけ国が成長期にあるときは、知識や技術を駆使して多くの建物を手がけ、国内外に国の文化的成熟度をアピールできる絶好の機会となります。
日本でも1964年に開催された東京オリンピックを機に多くの建物が作られ、50年以上を経た今も街のランドマークとして親しまれています。
2.1964年の東京オリンピックを振り返る
現在の姿からは想像もできませんが、1964年以前の東京は、道路や地下鉄、空港、下水道などが十分とはいえず、木造バラックの家がひしめいていたといいます。
先進国からは“東京ムラ”という蔑称で呼ばれることも少なくなかったようです。
東京オリンピック開催に伴い、新しい建物が次々と作られました。同時にインフラも整備され、東海道新幹線が開通し、羽田空港も整備されました。首都高速道路や主要道路の一部が拡幅および開通、新たな地下鉄やモノレールの開通など、交通網も大きく変わりました。
1964年の東京オリンピックは、大型都市計画を伴い、街の風景そのものがガラッと変わったのです。その中にはもちろん、競技会場などの建築物も含まれます。
3.国立代々木競技場第一体育館
1964年の東京オリンピックのシンボルとして、今も現存するのが、主要会場の一つとなった国立代々木競技場第一体育館(旧・東京オリンピックプール/国立屋内総合競技場)です。
吊り橋の吊り構造を用いたシャープにして優美な、日本の伝統美にも通じるところのあるデザインは一度見ると強く印象づけられます。
国立代々木競技場第一体育館のデザインを手がけたのは、1990年代に東京都新庁舎やフジテレビ本社ビルをデザインした丹下健三氏。戦後日本のモダン建築スタイルを世界に発信した第一人者です。
4.駒沢オリンピック公園総合運動場
現在も様々なスポーツ大会の会場として利用されている駒沢オリンピック公園総合運動場も、1964年の東京オリンピックの第2会場として使用された場所です。
公園やいくつもの競技場を擁し、その歴史は1949年に開催された第4回国民体育大会の、ハンドボールコートとホッケー場の建設に始まりました。その後、バレーボールコートや弓道場が造られ、1964年東京オリンピック開催に際して、弓道場以外の全面的な改修整備が実施され、陸上競技場、体育館、屋内球技場など6つの施設が完成しました。
また、駒沢オリンピック公園総合運動場で思い起こされるのは、中央広場の北側に設けられたオリンピック記念塔ではないでしょうか。公園全体を見渡すと低層施設が多い中、50mの高さがあるこのオリンピック記念塔はひときわ目立つ存在です。
5.メインスタジアムの国立競技場
旧国立競技場は、もともと1958年5月に開催された第3回アジア大会のために建設されたもので、その後、拡張工事を経て、東京オリンピックではメイン会場として開会式、閉会式のほか、陸上競技やサッカー、馬術などの競技で活用されました。オリンピック後も数々のスポーツ大会やイベントの会場として親しまれましたが、2015年、新国立競技場建設のために解体されました。
6.日本武道館
意外な印象を持たれる方もいらっしゃるかもしれませんが、東京・九段下の日本武道館も、1964年の東京オリンピックをきっかけに建てられたものです。武道館という名前が示すように、柔道会場として使われました。
武道館の建物は、日本の武道精神を象徴するようなデザインになっており、エントランスやロビーなどに日本的なスタイルが取り込まれています。形は正八角形で東西南北の方位を明確にしており、奈良の法隆寺・夢殿を彷彿とさせます。
7.ホテル
東京のシンボルとして語り継がれる建築物が建てられたのは、競技場に限りません。オリンピックに合わせて来日するアスリートや観光客のためのホテルも、多く建てられました。ホテルニューオータニ、ホテルオークラ東京(旧・ホテルオークラ)、東京プリンスホテルなどがそうです。
以上
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