『玉美』
知る人ぞ知る、上野・アメ横で70年超、最古参のインポートショップ
戦後間もない時代から、同じ場所にどっしりと腰を据え、お客さんと共に歩み続けている、アメ横最古のインポートショップが『玉美(たまみ)』である。
いまでも、東京・上野のアメ横エリアには、終戦直後のマーケットの名残が残っている。
この一角に『玉美』は、店を構え続けている。終戦から、わずか5年後の1950年に創業し、今も変わらず、同じ場所で営業を続けている。
玉美を訪れると、まず目を引くのは、ずらりと並ぶカラフルな柄シャツである。
他の店では、お目にかかれないような、さまざまなプリント物の商品に圧倒される。
また、アメ横では定番のドリズラージャケット(※)など、こだわりのメンズウエアが並んでいる。
(※)ドリズラージャケットは、1940年代に
登場したシャリ感のあるブルゾンのことで
ある。メーカーによって、ハリソンジャケ
ットとも言われる。
インポートショップは、1990年代の半ばから.セレクトショップと言われるようになった。
玉美は、自ら自分の店をセレクトショップ"と呼ばない。
玉美自身は、自らをインポートショップと言いつつけている。
セレクトショップという言い方は、『SHIPS』や『BEAMS』がブームのようになった1990年代半ばになってからである。
1995年になると、セレクトショップという言葉が一般化した。
しかし、そのころに成長をとげた、セレクトショップは、主力商品としてオリジナルブランドを置き、そこに仕入れたインポートブランドを足したようなところが多かった。
『玉美』のような、インポート者を中心とする、こだわりのショップではない。
また、インポートブランドそのもののあり方がどんどん変わってきた。
大手の商社が代理店となって、日本の市場で売れやすい商品ばかりを輸入するようになったり、ブランドのライセンスを使った日本企画の商品が出回ったりした。
また、メーカー自体が方針転換したり、資本的に経営者が変わったり、従来とは似ても似つかないような商品を作ることが多くなった。
定番を定番として扱いつづけることは、実は非常に難しいことである。
お客さまが、このブランドのこの部分が良い、気に入っている、と思っていても、昔とは全く別物になってしまってしまったりする。
例えば英国の老舗『バラクータ』は、2013年からイタリア資本の会社に変わってしまった。
名品のハリントンジャケットも、現行のものは腕がすっきり細くなってしまっている。
これはこれでスタイリッシュではあるが、昔からのこのジャケットのファンは、ゆったりとした動きやすい、実用的な袖ぐりが気に入っている人も多い。
玉美のこだわりは、単にブランドの商品を仕入れだけでなく、もともとそのブランドがどういう哲学を持っていて、どんなもの作りをしてきたかを、はっきりと理解し、その商品を取り扱いしつづけている。
そのために、昔の商品のレプリカを作ったり、メーカーに細かく別注をかけた商品を置いて対応している。
『玉美』には、次々と常連のお客さんが訪れ、じっくりと商品を吟味して購入していく。
商品のブランドや素材、生産の背景などについて、店長やスタッフと語り合えるような、知識が豊富なお客さんも多い。
お客さんは、ここに来れば昔と変わらないものが手に入るとか、他にないものが見つかるとか、期待をこめて来店する。
どの商品の店や企業では絶対に手に入れることができない商品ばかりである。
また、国内の丁寧な工場にお願いしていて、特別に少ないロットで商品を仕立ててもらったりしている。
また、あの時のアレと同じものが欲しい、というお客さんも多い。
玉美は、少ないロットで柄のバリエーションをたくさん作るといった、手間のかかることをやり続けている。
玉美は、お客さんの期待に応えて、お客さんは長く玉美に通ってくれる、という好循環が生まれている。
玉美は、お客さんの期待をとらえて、真摯にそのような店であり続ける、こだわりのある店である。こうして、アメ横の小さな店は、まねることのできない、確固たる地位を確立した。
追記:
私は台東区生まれ、台東区育ちである。
学生の時、玉美が伝統ある老舗店であることは知らなかった。
玉美はとても小さな店ながら、あまり他の店では取り扱っていない服が多く、学生の時、数着購入してことがある。
以上
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