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読めるnoteの長さ

私はネットを使うようになって本が読めなくなってきました。
長いブログも。そしてこのnoteもよっぽど内容に興味がある場合は別ですがそれでも概ね2000文字程度の記事がちょうどよい感じです。

SNSのタイムライン上を次から次へと断片的に流れて行く情報の受け取り方に慣れきってしまったのでしょうね。

映画も去年見たのは5本くらい。1カ月以内という制約で無料で見れるサービスがあったのでがあったから見れたのだと思います。もしそういうリミットがなければ、多分1本も見なかったような気がしてなりません。

かつて学生の頃、ある友人の家に行ったところその友達はテレビのチャンネルを次から次へと変えて、一つの番組をじっくり見る、あるいはのんびり見るということをしませんでした。ちょっとびっくりしましたが、自分ももしかしたら同じようなことをしていたのか、それほどの違和感は感じませんでした。

考えてみるとテレビはリモコンが登場してからそういう見方が可能になったような気もします。
昔はダイヤルのようにチャンネルがテレビ本体についていたわけですから、チャンネルを変えるにはいちいちテレビのところまでいかなければならないし、そうガチャガチャチャンネルを変えていたらテレビが壊れてしまうでしょう。

そして今リモコンではないにしろ、クリックするだけで、色んな情報にアクセスすることができる私たちは、ある一定の時間内でどれだけ多くの情報に接するかで満足の度合いが決まってくるのかもしれません。

つい一昨日くらいに知ったのですが、今は映画やドラマの配信サービスの利用者の中には早送りしたり、自分の興味のあるシーンだけ見たりということをする方たちもいるそうです。

自分の好きな俳優が写っていない風景やらは飛ばし、あるいは友人との話題に共通点を持たせるために、一本の映画の概略を知るために早送りしたりという使い方をするそうです。

かつてロシア出身のタルコフスキーという映画監督がいて、まるで映画を絵画のように作る人だったのですが、彼の作品は一つのシーンがやたら長かったり、とにかくアメリカ製のアクション映画の対局にあるくらい、カット数も少なく、ほんとうに映像美を楽しむための作品ばかりでした。

今、彼の作品を見る人はほぼいないでしょう。
正直かったるい。(私は慣れていますが。)

私が去年見た映画5本(くらい)のうちの一本に彼の作品がありました。
彼の映画は何本か見ていたのですが「惑星ソラリス」(1972年)という作品が抜け落ちていたので、やっと鑑賞したのですが、やはりとってもゆっくりと物語は進行し、なおかつ彼のどの作品にも言えるのですが、難解極まりない。

ついでにリメイクされた「惑星ソラリス」(2002年)も見ましたが、んー元の作品がタルコフスキーだけに、スピード感という点においては大きな違いがなかったように思います。
こちらはアメリカ製でした。

それでも映画5本も、よく通して見れたと思います。

私は、ゆっくり本を読むことができる人、映画一本をしっかり鑑賞できるようになりたい。
いつかそんな自分で戻れるでしょうか?

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