ナンパはコミュニケーションスキル?
私は小学校、中学校と共学でした。
中学校の頃、私の学年で10名ほどのヤンキー君たちが幅を利かせていて、女生徒にも人気があり、私はおとなしい部類なので女の子と付き合うなんて夢のまた夢で、てとっても憧れていました。
モテるヤンキ君たちがとてもうらやましかった。
ヤンキー君ばかりではなく、男女とも人気があるのはルックスに恵まれた子たちがほとんど。
中学3年生の時でしょうか、内気で別にルックスがいいわけでもなんでもない私の心の中に、「どうしても女の子と付き合いたい」という気持ちが湧き起こり、2度アタックするも2度とも玉砕。
それがキッカケというわけではもちありませんが、高校は共学に行きたいという気持ちが強かったと記憶しています。
高校入試の第1志望は公立の共学の学校を選びました。
そしてすべり止めは私立で2校受験し、双方とも男子校。
いくら共学に行きたいと思っていても、まずは高校には進学が第一の目標です。
すべり止め2校のうち1校は筆記試験の他に面接があり、その面接を受ける前に生徒が何か講堂のような場所に集められ、各自の順番を待ちました。
そしてその順番を待っている時、私の座っている座席の前の席の背もたれに男の子二人の名前が相合傘で並んでいるのを発見しました。
冗談の落書きだったのでしょうけれども、私はその相合傘を見ていたたまれない気持ちになったのを覚えています。
女の子より男の子の方が好きということであれば、何もいたたまれない気持ちにはならなかったでしょう。
あー、男子校に進んだらどうなってしまうのだろう?と不安を感じたわけです。
もし私が男子校に進んでいたら、きっとコンプレックスを抱えていたに違いありません。
「自分には女の子なんて縁がないんだ。」というコンプレックスです。
「そんなもん、他の学校の女の子に声かけるとか、いっくらでも方法はあるでしょ?」と言われそうですが、そんな度胸があったら、共学にこだわったりはしません。
私は無事第1志望の共学の学校に合格しました。
公立の中学校は学力ではなく、学校近隣の地域の生徒が来るわけで、学力も生活スタイルも様々。
高校はエリアが広がる上に、入試というフィルターを通すので生徒の学力はある程度のレンジに収まります。
私の入学した高校は普通校で偏差値は中の中くらい。成績だけではなく価値観や気質もなーんとなく似たような感じの子が多く、それこそヤンキーみたいな突出した生徒はいませんでした。
まぁそれでもルックスが良かったり、スポーツ系の部活で活躍している男の子がモテるというのは中学校と変わりありませんでしたが。
それでも、中学校では目立たずおとなしかった私にもチャンスが巡ってきて、彼女もでき、女の子との距離感はぐっと縮まった3年間を過ごすことができました。
女性に声をかけ続けるアルバイト
高校を卒業し、ここからちょっと話は飛びます。
大学を卒業したあと就職しなかった私はフリーターで、何年かアンケートに関わる会社でルバイトをしていました。
ある時団地の一角に設けた会場で、女性にとある商品を実際に使ってもらって、使用感をアンケート方式で答えてもらうという仕事をする機会がありました。
私の仕事はそのアンケートに答えてくれる”女性”をゲットすること。
団地ですし、対象は主に主婦でした。
最初声をかけることに抵抗があったのですが、何人かに声をかけるうちに、「ま、断られて当たり前。引き受けてもらえればラッキー!」ということが分かってきて、いつの間にか平然と女性に声をかける自分がいることに気が付きました。
確か週末の土日の二日連続でこのアルバイトをしたように思います。
最後の方はもう、声をかけることに抵抗は全くなくなっていました。
ただ、これはアルバイトとはいえ仕事なので、ミッションがあるわけですね。
で、もし断られたとしても、必要なサンプル数(回答者数)を得るために、ひたすら声をかけ続けなければならないというノルマが存在します。
確か年代別の必要サンプル数も設定されていたと思います。
だからその日終わりころになると「30代をあと2人、40代をあと3人」みたいな感じで、さらなるノルマが課せられるわけです。
ナンパのミッション
ところがプライベートでナンパ、となるとそのミッションやらノルマは自分で自分に課さなければなりません。ここが大きな違いのような気がします。
一人目に声をかけ、ダメ、二人目に声をかけ。これもダメ、三人目に声をかけ、またまたダメ。
別に外圧としてのノルマはないわけですから、そこでやめるのは本人の自由。「今日は無理だな。このあたりでやめとこ。」みたいな。
そもそも内気であれば、女性に声をかけるというミッションを自分に課したりしないでしょうし。
私はそのアルバイト先ではそういった仕事だけをしたわけではなく、事務作業の仕事がメインでした。
そして他のアルバイトの子が女の子ばかりだったため、別に街で女の子に声をかける必要もさしてありませんでした。
今ちょっと残念思うのは、その団地で主婦に声をかけるという仕事のあとに間を置かず、街に出て見知らぬ女性に声をかけるというアクションを継続していれば私の人生もすこし違うものになったかもしれません(笑)
軽率な行動とばかりは言えない
街ゆく未知の女性に声をかけ、わずかでも一緒の時を過ごすには、それ相当の努力や話術も必要だと思います。
相性だってあるでしょうし。
学校や仕事、クラブ活動やサークル活動などでは、同じ環境や同じ経験という共通項に支えられてコミュニケーションを開始できます。
しかし、話したことも会った事もない人を相手に、そうした共通項はなく、何かないかと一生懸命探り当てながら会話を続けていくのは間違いなく知恵とエネルギーが必要だと思います。
「ナンパ」ってなにか軽率な行動に聞こえるかもしれませんが、ナンパする以外の場面で役に立つコミュニケーション能力を多分に秘めているのではないでしょか?
それは相手が異性であっても同性であってもコミュニケーションをとるという点においてはきっと役立つはず。
それに気づくかどうかは、単にナンパ師で終わってしまうか、あるいはそれ以上の何かに飛躍するか、の分かれ道のような気がします。
反対に素晴らしいコミュニケーション能力を持った男性は、本人が気づいていない、あるいは興味がないだけで、ナンパしたらかなりのヒット率をあげられるのでは?と。
と、ここまで書いてきて、ふと思ったのは、私は人とのコミュニケーションに対して臆病だったのでしょうね。
外国人とひとくくりにしてしまってい良いかどうか分かりませんが、私の経験では、彼らは話上手なタイプが多い。
旅行で知り合った人、乗り物で同席した人、そういうたまたま出会った人同士でもはたから見ると旧知の仲のように話が続いていく光景を何度も目にしたことがあります。
日本人とは何か根本的なところに違いがあるような気がします。
何か努力して身に着けた能力という感じではなく、育成過程で自然に身に付いた姿勢という感じで。
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