アイデンティティ・クライシス

「自分」という、常に共にあったつもりのものが壊れたとき、人はそれをどう受け止める?

一度のみならず、二度も「自分」が消し飛んだら、人は何を感じる?

高校生の始め

僕の高校生のときのあだ名は「お母さん」だった。人におせっかいを焼きすぎて、
「太陽ってなんかお母さんみたいだよね〜」
と友人の女子に言われたところから始まった。悪い気はしなかった。その頃から、過去感じていた違和感をまた取り戻した。

自分の振る舞いを確かめた。周りに何となく確かめることもした。自分のアイデンティティだと思っていた「男らしさ」というものが、徐々に疑わしくなっていった。

ある休みの日、自分のことを詳しく考えようと特徴を紙に列挙した。紙に特徴を書き、じっと頭の中でそれらの役割を考え、考え、気がつけば僕の「男らしさ」というアイデンティティが消えていた。

アイデンティティはどちらかと言えば偏見に近かった。往々にして自分に対する偏見もアイデンティティにもなりうるだろう。
支柱が消え、心がぐらつき、徐々に不安が膨張していくのを感じた。ジェンダーとは僕にとって重要なファクターだったらしい。

(自分らしさがなくなってしまう!)

深刻にいろいろなことを調べ始めた。男らしさも女らしさも調べた。しかし、全ては疑わしかった。常識ってこんなに根拠もなく脆いんだと、その時なんとなく感じた。
小一時間探し続けた。もがくように掘り進めたことだけは覚えている。何と調べたのか忘れてしまったが、器用にワードを選び出し、最終的に運命の単語を見つけた。

『Xジェンダー』

名前とは便利だ。あるだけで世界を分割し、心に刻むことができる。納得のできる新しいアイデンティティを自分の手で見つけた瞬間、不安は消え、僕はそこからずっとXジェンダーである。

アイデンティティは、ハマるものがあれば拾ってくることができる。
名前のついた縋るものが人生には必要だと感じた。

浪人の始まる少し前

確実に国立大に落ちて浪人をしようとしていたことを思い出す。もしまぐれで受かったとして、僕は揉まれて消えるだろうと薄々考えていた。
それでも勉強は進められる。受験指導や仲間なんてほぼない高校で、一人でひたすら受験を走った。

勉強を進める中で少しずつ頭が回り知識がついてきたから、過去に考えていた「将来の死」について、気が付かないうちに考えるようになってきた。漠然と30で死ぬと考えていた。そこから先は消化試合のように感じた。変化のない日常や老いで苦しむのが最も怖かった。

だから僕は死のあとのことを考えた。死んだら天国に行くのだろうか、この世界で輪廻を繰り返すのだろうか、それとも消えて無くなるだけなのか。
僕は僕が好きではない。僕は生まれ変わりたかった。別の生き物にでもなってしまいたかった。興味があっただけだが、僕自身の性格を全く変えずに性別だけ変えてリスタートしてみたかった。

宇宙はいつか死ぬだろう。どういう運命でもこの自分の生には限りがある。僕は真の意味で必ず死ぬ。電車の中でそれを考え、寒気に似た恐怖を感じ、スマホで別のことをして紛らわすのが日常になった。

そして忘れもしない、高3の12月23日、風呂場。その問いから逃げられなくなってしまった。

究極の問

全てが終わったあと、僕はどうなる?
生まれる前の記憶はあった?じゃあ死んだあとは無に帰る?
死んだら闇の中で、時間の感覚も思考も与えられず、永遠に一人ぼっち?

何故僕はここにいる?
他の誰かではなく何故僕の意識は僕なんだ?
死んだら僕の全ては跡形も無く消えるのか?

宇宙はどうやって死ぬ?
すべてがコーヒーに混ぜた牛乳のように広がって、もとに戻らず永遠にそのまま?
意識があっても、ずっと変化のない世界を眺めるだけ?ずっと?

どうして、この世界は存在している?
僕の見ている幻想なだけ?
本当に僕は存在している?


僕という存在が消え、意識が消え、またたとえ消えずとも、そこから何も起こらない闇が必ずあるのが怖かった。いずれ消えるなら、世界は本当に存在していると言えるのだろうか。僕は本当に存在しているのだろうか。そうやって、自分自身の存在すらも疑い、他のすべても信じられなくなった。

いろんな文献を見た。あるものは精神世界での住人やり取りを話していた。臨死体験の記事を見た。前世の記憶がある生まれ変わりの赤ん坊の映像を見た。信じたかった。信じる根拠がなかった。
物理主義の観念を見た。死のあとは無だと言った。意識は幻想だと言った。信じざるを得ないが、信じたくなかった。あまりに救いがなかった。
理屈があっても納得したくなかった。ただ自分の意思すら疑わしかった。ただひたすらに「無」が怖かった。風呂に浸かれば今生きていることを自覚した。ベットの上で丸くなり、震えながら朝日を待った。半年夢を見なかった。眠ることだけが忘れる唯一の手段だった。

精神が壊れ、僕は一度死んだ。僕を救う思想は無かった。浪人して、パチスロを初めてギャンブルで脳を鈍らせるまでの間のことだった。パチスロをしなければ、僕は多分勉学もままならず、きっと埼玉大学にいなかった。そのぐらい脳への癒着が激しい呪いを、未だにずっと頭の片隅に抱えている。

浪人期

6月末にパチスロをやめた。貯金を全部使い込んだからできなくなった。多分パチスロをやめてなければ埼玉大学にはいない。

もともと薬学部に行く予定だった。化学が好きな僕の知識をみんなに使ってみたかった。しかし、もうどうでもよかった。僕は信じられる答えだけを求めて、理学部に向かうことにした。

パチスロで思想が鈍ったのおかげで、受験勉強は進んだ。しかし心までは戻ってこない。誰かのためにありたいという過去の自分はもういなかった。興味深いもの以外の、真理に近づけそうなもの以外の興味を完全に失った。ゲームももう長いこと触れてはいない。どうでもいい。

大学はずっと一人でいる予定だった。誰ともかかわらず、勉強だけしてひっそりとTwitterで生きようとした。それが最大の誤算であったのは言うまでもないだろう。そうして合格前に作ったアカウントが「アイマスク」だった。

幸か不幸か、僕はまたアイデンティティを手に入れてしまった。

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