新年 西郷隆盛と鷗外と漱石の話

あけましておめでとうございます。

書きかけのnoteを見て思い出したがそういえば年末に大きめの買い物をして本当に心が満たされ、ああもう十分だ、みたいな気持ちになったのに、今日働き初めでとっても心が荒れている。

昨日は眠れなくて、まあ多分今日もあまり眠れない、なぜなら夜変な時間に一瞬寝ちゃうから。バカバカ。今年もそうやって生きていくのね。

無欲に至りたい。=西郷隆盛になりたい。なわけだけど、まあ別に西郷隆盛だって無欲に至ったわけじゃないかもしれないし、あれが無私の境地みたいに言われ過ぎなだけで西郷に聞いたら「いや別に…」みたいに言われるかもしれないけど。いや西郷隆盛はこんな暗くないか。なんだろ。文学者との会話を重んじ過ぎて、それ以外の偉人の想像がつかないのキモ。

ていうか無欲に至りたいなら『高瀬舟』を読めば全て解決なので、読もう。最悪読まなくても『高瀬舟』のことを想起するだけで…みたいなね…。にやり

あーあーもー年取りたくないとか海外行けないとか緊急事態とか言って仕事以外のことが何も出来ないとかどんよりと最悪な気分で年始からもーーーて感じだけど

『高瀬舟』さえ読めば全て解決。

わかってるんだ。人がこういう時のために鷗外は筆を執ったんだよね。知ってる知ってる。ありがとね。

鷗外は自分のエゴの整理のために舞姫を書いたかもしれないけれど、結局『阿部一族』とか『ヰタ・セクスアリス』とかに帰結していくのよね。ほら、鷗外はああいう人だから…漱石なんてなんにも帰結してないからね。言っておくけど。巨匠?巨匠とは?鷗外のように「帰結させた人」のことじゃないんですか?
漱石のアンチみたいになってるけど。

大学1年生の春に友達が「私は漱石が好き」とか言って、夢十夜が好きとか言ってたしまあ良いんだけど、その後その子は(なんだかなー…)という言動が多かった。………まぁそういうことっていうか、なんていうか…ボソボソしゃべってごめんなさい…
でも『それから』の主人公長井はほぼほぼ私だと思うよ。あの雑さ…。
因みに私の安吾好きは日文では尽く弄られ、それが本当に愉快だった。安吾が好きなんてね、別に人に言うもんじゃないから…ああ、ウケるね


新年一発目、何の話?とか思ったけど良いんです

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