現代美術館特別展感想、旧優生保護法について
まじでコロナ後遺症うつ引きずりすぎてやばかった。
まだ仕事のやる気は全然ないけど、当初よりは全然ましだ。
休みをとって東京都現代美術館の企画展に行った。「私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ」という企画展で、タイトルが去年の夏からずっと考え続けていることそのものだ。
内容で印象に残っているのは日本の優生思想に基づく法制度や事件の歴史年表と相模原障害者施設殺傷事件の被害者の部屋の展示。
そこから清澄のブルーボトルでずっと優生保護法について、加藤シヅエについて、マーガレット・サンガーについて、調べていた。
「障害者の遺伝子を残さないために障害者に強制的に(最初は任意)避妊手術を受けさせよう」というこの法律を日本で施行するよう進めたのは、女性解放運動家の女性議員たちだった。なんで?戦後人口が増えすぎて食糧も住むところも足りなかったため世界的に人口抑制が深刻な課題になる中で、彼女たちは産児制限を第一に訴え、女性の中絶の権利、避妊、性教育の概念を日本に持ち込んだ。そこまではわかる。問題はそこからで、「中絶を許し避妊を勧めてしまったらお金のある優秀な人たちばかりが産まない選択をし、無自覚な障害者や貧困者は行わないために後者の人口が増え、国力が落ちる」という思想のもと、「産まない」と「産めない」を同時に成立させる法律が必要だった。とのこと。(間違っていたらご教示ください)
彼女たちの親族の1人がインタビューに答えている記事があって、「誰もが生き延びるだけで精一杯だったあの時期、よかれと思って法律を作ったのだと思う。(優生保護法が)障害者差別だとは気付かなかった。そういう時代だった。」という風に言っていた。法律を作る時、お金を稼ぐ時、学問をする時、そこに差別意識が内在するなんて、誰も気付かない。あるいは気付いた敏い人はいるかもしれないけれど、その人は議論のテーブルには乗せてもらえない。結局我々というのはずっとそれを、繰り返している。
権力者は誰かが傷つくことをわかりながらもしょうがなく進めたんじゃなくて(本当に、気付かなかったんだよ)というのがあるのかもしれないな〜ということ。
あと興味深いと思った点はもう一つあって、戦時中に優生保護が進められなかったのはなんで?って思ったんだけど、戦時中は国民はみな天皇陛下の「神の子」だったため、「産めない」ようにすることに抵抗があった、けど戦争が終わって天皇が人になったから、優生思想が進んだらしい。
人が人のことを「人か、人以外か」というのを判断することと、人が人の産む権利を奪って良しと判断することが同時に起こっている身の毛もよだつ恐ろしさ。
こういうことを「恐ろしいよね」なんて言っている私だって時に誰かを見下したり、決めつけたり、勝手にカテゴライズしたりしている。人間はもっとそのことについて自覚的であるべきで、どこまでいっても消せないマウンティングの欲望に負け続けていることこそが「生活」かもしれない。
などと、思いました。
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