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季節外れの冬休み

今日は1日残っていた冬休みをとった。疲れをとるための休日のつもりだったので、いつもより少しだけ朝寝坊して部屋着のまま午前中を過ごした。
けれど、職場のことが気になってしまい、チャットを見たりメールを送ったり、ちょこちょこと事務処理をしたり。
実際のところ、たいしたことは何もしていないのだけれど、何かとPCを見る時間が多い休日だった。
「休まないといけない!」と「休んでいていいのか?」の中間で、どちらつかずの中途半端な休日を過ごしてしまった。

多分だけど、こういう状態をワーカホリックという呼ぶような気がする。

今の会社で働き始めた数年前、働きづめの上司から「自分は仕方ないし自分の意思だから全然良いんだけど休みがない。」「クライアントのためになるならどんどんやるべきだよ。」と、その背中を見せられてきた。
おそらく、自分みたいになってほしいとは思っていなかったけれど、速く助けてくれる人材に育ってほしいという願いはあったのだと思う。
実際、遅くや休日に業務連絡があったり、はじめからハードルが高めに置かれていた気がする。

わたしは天邪鬼だけれども、感覚的に刺さるものがあれば、疑いもなく他人の言うことを真に受けるところがあるので、自分もそうあるべき。といつの間にか思い込んでいたのだと思う。
そしていつの間にか、わたしは自身を「みんなはそこまでやらなくてもいいかもしれないけど、自分はやらないといけない人」認定してしまったようだ。
他人にわざわざ言うことでもないので「小人さんの仕業」のごとく、人知れず帰宅後や週末の隙間時間でさえも、常に仕事を優先した生活するようになってしまった。
繁忙期は、遅くまで仕事して帰宅後ごはんを食べてお風呂に入って、疲れていても、眠る時間を削ってついつい作業をしてしまう。誰にも頼まれていないのに。特に言う必要もないので、誰も知らない。
コロナ渦という状況もあいまって、それは加速していった。

そうして数年後。会社は当初より大きくなり、残業を減らすことを目標に掲げている。当然だ。会社の理念は変わらないとしても、社会悪になっては元も子もない。

わたし自身は実践できていないけれど、仕事が属人化し過ぎないように人を育てていこう、休みたいときは気に病まず休める環境を作っていこう。と思ってはいる。
そして実はわたしのチームはスタッフがそれぞれ休みたい時に休んでもまわるチームになっている。これって結構すごいことだと思う。
切り取ると本当にネガティブなことも多いけれど、大きなトラブルもなくきちんと成果をあげているのは事実。
上司にわたしの仕事が見えていないのと同じで、わたしに見えていないスタッフの仕事がきっとたくさんある。スタッフから見たわたしだってそうだ。
良くないところは目についてしまうけれど、見えていないみんなの努力や工夫でまわっていることは事実なのだ。
そのことはしっかり理解して感謝しなくては、と思う。

わたしはと言うと、上司の助けになる人材を目指したはずなのに、その上司に事あるごとにネガティブなことを言われ続け、結構なダメージを受けてきた。
何なんだよ!と腹が立つことや悲しくなることが多いのだが、わたしは生活費を得るために労働している会社員だし、どうせ働くならクライアントのために。と思って存分に働けているし、案外オッケーなのだ。
上司個人のために働いているわけではないのだから、上司に嫌なことを言われたからといってそんなにダメージを受ける必要はない。
合わないんだな、くらいに受け止めよう。
誰かに相談したり愚痴をこぼしたりすると、それは良くないね、問題だよ!となってしまうものだし、共感・同意されると、ぼんやりしたことが事実のように輪郭を描き始める。自分が思っているより悪くはない。
自分のワーカホリックの方がよっぽど問題だ。

愚痴っぽい内容が多い記事になってしまったが、ワーカホリックの起源を辿っていろいろと書いているうちにスッキリした気がする。
書くことで考えが整理できるなら、やっぱり雑記どんどん書くべきだなー。



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