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切り株

日曜日のランニングは、海峡の人道トンネルを抜ける門司港を目指した。自宅から海峡までは、最短ルートでなく、走行距離を稼ぐため、下関駅周辺の市街地を抜ける廻り道のルートを選んだ。

道中、国道やバイパス沿い、終始人の目に触れる場所では、表面的に化粧を施されたような造成地の真新しい建材が、多少は目にはいる。

しかし、一歩路地に入ると、半世紀前に僕が生まれた頃の街並みのまま、時が停まっている。看板一つ動かされていないのではないかと、勘ぐりたくなるほど、ただ、年月だけが重ねられ、すべて錆びついた街並み。

駅周辺は、繁華街の空きテナントと売りビルが、大通り沿いにも居並ぶ。それは、コロナ禍のとどめを刺された町の墓標のようだ。

駅の全国チェーンのカフェと水族館と魚市場のみピンポイントで、休日の観光客が集結しているが、それらもわずか50メートル離れると、また真空のように空気はどんより澱んでいる。

水族館と遊園地に隣接する絶好のロケーションの土地には、某全国リゾート会社の給食工場プラントの建造物が作られ、昨年まで国道からのぞめた海峡の眺望もそこにはない。

65年前に開通した海峡のトンネルを抜けて対岸の九州に移動しても事情は同じだった。人工的なレトロ地区と門司港駅のみスマホと、観光地みやげの加工食品をぶら下げた人の波のみがあるものの、周辺は、崩壊しかけたシュールすぎるリアルな「戦災復興の昭和レトロ」な裏路地が続く。

インスタ映えする「ノスタルジー」だけを切り取りたい若者か、SF映画のタイムトラベラー気分の観光客なら、多少の高揚感をもって、街並みを味わえるだろう。

しかし、現実にこの街に生まれ育ち、おそらくこの地で生涯を終える人間にとってそれは過酷で厳しいドキュメンタリーフィルムの光景以外のなにものでもない。

現首相が先週末、東京から国政補欠選挙の応援に訪れた本州側に対して、今週は、連立政権与党の閣僚が県議会議員選挙の応援に、九州側に来ていた。二人ともこの地域に、何の縁もゆかりもないので、地域の街並みの疲弊になど眼中にないだろう。タッチ・アンド・ターン。使い古された定型の選挙演説を済ませたら、とっとと東京に帰還する。

下関市は、全国4位の人口減少率。北九州市の都市高齢化率は日本一。
奈落に落ちるような下降線。人の流出はすでに止まらず、医療機関や教育のみならず、生活インフラの維持存続ができるかが、目下最大の課題のはずだが、地方局のテレビニュースでは、新捕鯨船が完成したことが、あたかも地域に明るい兆しでも呼びよせるかのように、アナウンサーが朗らかな笑顔で放送している。

粉飾決済するのはもうやめにしたほうがいい。

僕は何も「新しさ」のみが、「善」だと飛躍した乱暴な議論をしたいと言っているのではない。

温故知新。新しいものへの探究心と古きものへの温もりある眼差しとは、本来、地域の両輪として共存するはずだ。でも片方しか車輪が、見当たらないこの町の風景は、ただみすぼらしかった。

若者に希望を抱かせる未来志向の新しいものが何一つない。その光景は、1980年代、大不況の嵐に見舞われたイギリスの炭鉱の街を彷彿とさせた。

12キロ走って、埠頭にたどり着いた。20年前は、真新し鈍く光っていた、大型船を停泊させる係船柱(ボラード)もサビ腐食が進行して崩壊が進んでいた。

まるで森林火災のあとの焼け焦げた切り株のようだった。

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その時、私は主の声を聞いた。
「誰を遣わそうか。誰が私たちのために行ってくれるだろうか。」

私は言った。「ここに私がおります。私を遣わしてください。」

主は言われた。
「行って、この民に語りなさい。『よく聞け、しかし、悟ってはならない。よく見よ。しかし、理解してはならない』と。この民の心を鈍くし 耳を遠くし、目を閉ざしなさい。
目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず 立ち帰って癒されることのないように。」

私は言った。
「主よいつまでですか。」

主は言われた。
「町が荒れ果て、住む者がいなくなり 家には人が絶え 
その土地が荒れ果てて崩れ去る時まで。」

主は人を遠くに移し見捨てられた所がその地に増える。
その中の十分の一は残るが これも荒れるに任せられる。
切り倒されても切り株が残る
テレビンの木や樫の木のように 聖なる子孫が切り株となって残る。

   (旧約聖書「イザヤ書」6章より抜粋)
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トンネルを抜け16キロ地点、人通りのまばらな門司港の港湾の端っこにある、黒田征太郎さんの作業場に辿りつくと、心よく招き入れてくれた。前夜、激しい演奏を繰り広げるドラマーと、熱のこもったセッションパフォーマンスを終えたばかりの家主は、すぐにまだ産まれたてホヤホヤの作品集を見せてくれた。

休日の作業場には、ランニング姿の僕以外にも多彩な人々が集っていた。天草から父娘で車を飛ばしてきたイラストレーターは、個展の下見。海外から移住してきた画家はカメラを携えて丹念に室内を撮影中。また、黒田さんの活動をサポートしながら、地域で住み人の絶えた古い家屋を管理して、若者たちに提供する地元生まれの地域プロデューサー。

海峡の傍にポツンと佇む色鮮やかなアート要塞。最前線の戦場だが、切り株の根となり地中深く伸びる塹壕ネットワークは世界に繋がり、そこに集う戦士たちの表情は明るい。

まさに黒田征太郎さんという大樹の木陰で、創造の泉はコンコンと湧いていた。

帰路は、海底トンネルを抜け、地上に上がると、小雨が降り始めていた。予報通りの冷たくない春の雨を全身に浴びながら、僕は、往路とは違う最短ルートを走って家路についた。

そう、切り株は残るだろう。