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4月のわたしと哲学対話との出会い

最近ご無沙汰してます
絶賛就活中でどうしようもなく忙しく日々を過ごしています
そんな時にもいい出会いはあるもので。
どんなに忙しくてもちゃんと文字化することは続けたいです。

あたらしい”キヅキ”でいうと、
本が読めなくなるって本当にあるんだなと最近実感してます。
友人がこの本をおすすめしていて、ここ最近少しずつ読み進めています。

84名の方の”もやもや”や、憂鬱をまとめたエッセイになっている本。
コンセプトもまたいいなと思い。

”本が読めないときに”というメッセージがついていて、
そんな人もいるのか、「ほう」と思っていた数週間前。
数日前にこれが急に現実的になって、私も”読めなくなりました”。

というより私の場合は”読みたくなくなる”だなあ。でも私は本がとても好きなのでショックで心がわさわさしていたけれど、どうしようもなくて。そんな時に助けてくれる一冊になるといいな。今はゆっくり読んでます。

✴︎✴︎✴︎

さて。最近の出会いについて。
これは、何かと言いますと、、(引っ張る)
哲学対話との出会いです。
私が活動している学生コミュニティの一環で哲学対話を開きました。詳しくお話しすると、以前に他のコミュニティメンバーの方が企画していた哲学対話(哲学者の永井玲衣さんをお呼びしたもの)を無事開催し、その会に私も参加させていただきました。参加する前からこの本を読みながら、自分の中で「あ〜これかも」という感覚はあったのですが、、、

『水中の哲学者たち』を書かれた永井玲衣さんです。


参加してみると、すごい。とにかくいいなと思ったのは、間違ってもいい。人の目を気にしない。ルールに縛られない。という”ルール”があること。
参加してみんなと言葉を交わすうちに、哲学対話は、私の求めていた場所だったと気がつきました。そして、私が意見を言えるのも、他者の言葉があるからこそだと。普段から感じているモヤモヤに向き合う2時間でしたが、知恵熱が出るんじゃないかと思うくらいに頭を働かせました。笑
それまでは一人でぐるぐると考えて気持ちの行き場がなくなって落ち込むことが多かった私は、光が差したような感覚を持ちました。

私が言葉がいいなと思う理由は、言葉には、その人の個性が宿っていると思うからです。言葉にはいろんな種類があるけれど、ひとの言葉を自分の言葉として喋っている人には惹かれない。自分の考えを自分の言葉で表現できる人が好きです。そして同時にそれはある種の才能でもあるのかも・・・。やっぱり人の言葉や考えを聞くことって大事なことなんだなと感じました。一人じゃあどうしようもないことを誰かとなら乗り越えられる。これこそ人間にできる素晴らしい営みなのではないかと思うのです。

汚いメモ書きで恐縮ですが、今回の「対話」はこんな感じです


哲学対話でテーマになるのは「日常の中でぐらっとする経験」と永井さんはお話ししました。日常で感じた「?」を立ち止まってぐるぐると考えることこそ、せわしなく生きる私たちにとって必要な時間ではないでしょうか。終えた今考えると、本当に唯一無二な貴重な経験だったし、とにもかくにも「私がしたかったことってこれだあ〜〜〜(大声)」という自分の中の”キヅキ”に圧倒され、この出会いの大きさに震えるくらい感謝しています。参加してよかった〜

この出会いを無駄にしたくないし、色々興味があることがたくさんある。挑戦したいことも。哲学対話をもっとしてみたいし、それをみんなと共有するスペースなども作ってみたい・・・。
前の私みたいにもやもやを一人で抱えている人たちの「あ〜これだ!!」というものを模索しながら一緒に作っていきたい!


ひとまず今は就活で身動きとれないけれど、就活が落ち着いた頃には改めてまた何かあたらしいことをスタートできたらいいな。

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noteは就活中でも細々と続けていこうと思います。

自分のために。誰かのために。

ここまで読んでくれてありがとう✴︎

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