簡単だからこそ
最近snsからしばらく距離をおくようにしていた。
それは、snsは自分のいい一面だけを載せていくもので、しかもそれを周りに「見せびらかしている」という感覚に気がつき、急に嫌になった。つまり、はっきり言って仕舞えば、snsのプラットフォームってマウント取るためだけじゃん。他人のそれをわざわざ見て、いいねする必要ってあるの?と思ってしまって。
(個人的に、twitterはリツイートや、画像なしのつぶやきができて、自分に有益に思うのであまり嫌悪を抱いたことがない。まだ「救い」だとは思うけど…でも、私が単に友達と交換していないからかもしれない。それも、リアルな友達とtwitterで友達になってたらわからない、実はtwitterも本当はマウント王国なのかもしれない…ということは置いておいて。)
そこまで考える方がおかしいのかも?と思うのだが、私は「いいね」の制度に自分なりの見解がある。
世間的に考えると、どうなのだろう。たまに、ニュースフィールドに流れてきた投稿は既読感覚でいいねを押すと言っていた友達がいる。
それを聞いて、「ほう。そういう人もいるんだー」と思う。
なにしろ私は、
自分が本当に「いいね」と思ったものにしか「いいね」を押したくない。
たまに、私がいいねを押すことで、私のページにわざわざ来てくれていいねを押してくれる人もいる。
でも、私は自分への「いいね」が欲しくて「いいね」を押すのでもない。
周りの人に言えば、「いいね」ごときで、なんて頑固で大袈裟なんだと思うだろう。自分でもそう思うから。snsってもっと気楽にやるものだと思う(笑)
でもやはり、ここだけはなんだか譲れない。
いいねってダブルタップでとても簡単にできる。それこそ既読感覚でつけるという人の言うことは、なんだか少しわかる気がする。
でも、簡単だからこそよく考えて行動(いいねを押)したいし、
いいねを押すことで、他人の投稿する内容に賛成したり、加担している可能性だってある。簡単だからこそ、ちゃんと見極めたい。
それに、いいねを押すことで相手や内容を「認めたこと」にもなると私は勝手に信じている。
だから、私はいいねをたくさん欲しいと思わないし、
ひとりでも私(の投稿)を「いいね」と言ってくれる人がいてくれたら、
それで私は大満足なのである。
追伸。
最近インスタグラムを久々に開けてみた。自分のページには過去に投稿したストーリーや、写真がたくさん残っていた。
「なつかしい・・・」
やっぱり、自分がその時何をして、どう感じたのか、ということを写真とともに「記録」することは良いことだなと思う。インスタグラムには「アーカイブ機能」があるが、その機能を使うことで私の投稿が人の目にもう触れることはない場所にあったとしても、私はそれらを「思い出」として振り返ることができて、それはとてもいいことだと思う。
やっぱり投稿再開しようかな、そんなに無理にsnsを止める必要もないか・・・(何よりsnsって今や、ラインと同じで人と人をつなげるツールでもある。現に私にも連絡先をインスタグラムしか知らない人もいるし、私がやめてしまったら、せっかく繋がれた人とも離れ離れになってしまう。次どこで会えるかわからない…)とも思うここ数日間。
気楽に行こーーーー
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