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気づきと考え方

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気づいたこと。考え方について考えた(笑)記事
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#多様性を考える

なんで日本人って敵意をむき出しにするんだろうね。 異質だというだけで敵意をむき出しにする。 意見や考え方が違うだけで相手をボロクソに言う。 そういう日本人の嫌な性格が X では露骨に現れる。普段、街ではニコニコしているくせに。 ウラハラな人々。

鉄道の特別車両が増えているのは、付加価値の高いものを、求める層に提供するためだろう。 みんなが一律に何かを体験する時代は終わっていて、さまざまな層がそれなりの体験ができる時代になっている。 格差をネガティブに捉えない発想で、企業は売上を確保しようとしている。

自分の理想を追求する

日々、SNSに投稿している自分を振り返るとき、 僕は自分の理想を追求しているんだなと認識する。 自分の理想を追求することに際限はない。 他人や世の中に対して理想を追求すると、どこかで挫折する。 理想に関してネガティブに捉える人も多いと思う。 どうせ実現できないじゃないかと。 しかし理想はあくまで理想であって、実現できるか否かは関係ないものなのだ。 理想を現在に展開した場合、崇高な理念や在り方であるともいえる。 しかし、自分が実現できなくても、他人には実現できる場合があ

自分の嫌いなもの、異質なものを拒否するという文化が、とくに若い人の間で浸透しているように感じられる。 これは多様性とは逆の考え方だ。 前にも話したけど、ニューヨークでさえ、エレベーターのなかで会話するのが一般的だという。 日本はひたすら逆進している。

成功者には汚れた英雄もいればホワイトナイトもいる

すごいタイトルですみません。 SNS界隈で暮らしていると、しかも X みたいなSNSで暮らしていると、物事を正しく見つめられなくなるような気はしています。 「有名になると散々disられて、めちゃくちゃにされる」というイメージを持っている人は多いのではないでしょうか? 「それならば最初からブラックで居よう」と思う人もいるかもしれませんね。 でも、有名人や成功者が、常になんらかの汚れを身にまとっているかというと、そうでもなくて、女優の吉永小百合さんのようなクリーンなイメージを

人間は平等だけど男女は違うし貧富の差もある

人間は平等だけど、男女は生まれたときからほぼ決まっているし、貧富もある程度決まっています。 良いのか悪いのか、分かりませんが、それが多様性というものなのではないでしょうか。 生身の人間ができることは決まっているデジタルは何でもできます。論理だから。 でも、生身の人間ができることは決まっているのですよね。実体だから。 毎日眠らないといけない ご飯は食べないといけない 人生は上手くいって90年ぐらい 自分は他人になれない 1日は地球が1回転する間 どれも、どうしよ

ユニークであることは怖いけど楽しい

僕は自分自身、若い頃は「没個性だなあ・・」と思っていました。 でも今はとても個性的でユニークだなと思っています。 年齢的にはもう定年に近い自分です。 世の中の定年前のお父さん(一般的なイメージ)のような一抹の寂しさとか、第二の人生への希望とか、経済力とかいうものは持つことができません。 その代わり、若い人がやるような仕事に参加させてもらったり、ブログやSNSで好きなことを表現したりして暮らしています。 確かに今の仕事をゲットするまでは、とても不安でした。 だって、キャリ

同じ意見のなかに気づきはない

SNSのコメントで最も多いパターンは、 元気出ました 同意します なるほど目から鱗 辺りかなと思います。 でも個人的には、同じ意見ならべつに言わなくても良いだろうというのがあります。いいねで十分だと。 だから僕がコメントするときは、 僕はこう思う それはどうなんでしょうね なるほど目から鱗 のようなコメントになります。(3番だけ一緒😊) 投稿者側から見れば、あまり可愛くないコメントですよね。 結果、コメントの返事をもらえないこともあります。 いいねももらえな

稼ぎたいのか食いたいのか〇〇したいのか

よくわかりませんが(笑) 稼ぎたいならWebライターなんかしなくていいだろ 稼ぎたいならSEなんかしなくていいだろ 稼ぎたいなら芸人なんかしちゃダメだよ とか、いろいろ言われます。(言わないか) 何をやってる人も、きっとそう思っている人はそれぞれ半分以上はいるんじゃないでしょうかね。 セドリだってきっとそう思ってる(思わんか😢) 寿司食いてぇーって思う人もいれば、寿司のどこが美味いんだ?って思う人もいるし。 海に撒いてくれ遺影には最高の姿を見せたいって思う人もい

アバウトな性格は損なのか得なのか

どうですかね。 「アバウトな性格」は、大雑把であまりいい印象がないのですが「細かいことに拘らない」と言い換えれば、いい性格に感じませんか? ディティールに目が行く人と、全体を見る人がいますよね。 アバウトな性格の人は、ディティールよりも全体を捉えて判断するのではないでしょうか? 血液型との関係血液型占いを信じる人と、信じない人がいますが、僕は個人的には血液型と性格は関連があると思っています。 その観点から言うと、アバウトな性格なのは、O型ですかね。 シビアな性格なのは、A

リアル生活で満たされなくて → SNSに承認を求めるなど。

「なんでこんなにSNSに夢中になってるんだろ?」と時々思います。SNSのいいねや反響は、習慣性があるというか、依存性・中毒性があるというか・・ SNSを離れた日常生活で、こんなに頻繁に誰かが自分を評価してくれたり、褒めてくれたりすることって無いと思うのですね。日常生活でいちいち行動を「すごいね!」「うけるね!」とか言われたら気持ち悪いでしょ? まあ、ドラマ的にはそういう日常って楽しいかもしれないけど。 だからSNSと日常生活を比較すると、絶対、SNSの方が楽しく思えてしまう

世の中は広い

世の中は広い いろんな人がいる 良くも悪くも あり得ない人がいる 何万人も あり得ないのではなくて あり得る 自分があり得ないと思っているだけ いつもの生活 いつもの仕事 その中だけで考えていたら 井の中の蛙 でも その蛙があり得ないと思う人が どこかにいる それは 会ってみなければ分からない 会ったとき 一つの世界を知る

いろんな方言の人が一緒に活動するという状況

NHKの「舞いあがれ」のなかで、今は人力飛行機サークルのシーンが多いのですが、それを見ていると自分の大学の頃を思い出しました。 京都の大学に行っていたということもあり、全国から学生が来ているのですね。サークルにも学部にも、いろいろな方言が飛び交っていました。 言葉が目立った順(笑)長野弁(だで) 東京弁(じゃないのー?) 京都弁(やめよし) 播州弁(ちゃうけ?) 名古屋弁(みゃーみゃーとは言わないけどそんな感じ) 福岡弁(・・・?ていうかイントネーション) 石

いろんな人がいる空間

昔は、大規模小売店や、ニュータウンなどは無かったから、住宅と商店は隣り合わせにあったのです。 「街」と呼ばれる場所には、商店は多かったけれど、商店主がそこに住んでいることも一般的だったのですね。 工場なども、町中にあったので、通うのも楽でした。 だから、昼と夜で町の人口が極端に増減することもなく、いつもそれなりに賑わって、人の気配がいつもするような空間でした。 それはいわゆる「眠らない街」なのではなく「眠るけど人がいる街」だったのでした。 街には、多くの人が住んだり活動