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気づきと考え方

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気づいたこと。考え方について考えた(笑)記事
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#SDGs

誰一人取り残さない|X ポストまとめ

スーパーが安く売ることを「デフレ」に絡めて悪く言う人がいるけど、べつに生活コストは安いに越したことはないわけで。ディスカウントストアだって別に問題があるわけじゃないですし。 ちょっと豊かになるとすぐそういうこと言う人がいるけど、もっと他に価値を上げるべき産業があるんじゃないの? +++++++ 本当の多様性っていうのは、それぞれの生活レベルに合わせて店を選べるっていうことなんだと思う。 高く買いたい人は高い店に行けばいいだけのこと。もちろんモノは違うわけだけど、それでい

物流の2024年問題っていうのは、みんながECやるからなんですよね。 だから僕も不用意にポチらないようにしないと。なるべく近所のお店で売ってるものを買うようにしないと。

再生

徳島のSDGsを体現する町とクリエイティブ

徳島県チャンネルの「わたしのS-TRIP SDGsをまなぶ徳島旅」という動画を見つけました。 徳島県上勝町など、町としてSDGsに取り組んでいる事例などが紹介されています。「学人」(レポーター)はモデルで俳優の朝比奈 彩さん。 約30分の動画のなかにエッセンスをうまくまとめているなと思いました。 上勝町の資源リサイクルの取り組みは、分別が多くて大変だなと思って、僕らが住んでいる都市では思うように実現できそうにありませんが、町の特性を活かしてライフスタイルにしている点にアイデアがあるなと感じました。 動画も取り組みもそうですが、ビジュアルデザインが可能性を表現していると思います。クリエイティブとデザインの関係にも注目できます。 SDGsもいろいろと意見があると思います。 しかし、実際にやって成果を上げたり新しい価値を作り出したりすることは、素直に評価すべきでしょう。 真面目に取り組んでいる人たちや、活動がライフスタイルになっている人々に賛辞を送りたいです。

人間は平等だけど男女は違うし貧富の差もある

人間は平等だけど、男女は生まれたときからほぼ決まっているし、貧富もある程度決まっています。 良いのか悪いのか、分かりませんが、それが多様性というものなのではないでしょうか。 生身の人間ができることは決まっているデジタルは何でもできます。論理だから。 でも、生身の人間ができることは決まっているのですよね。実体だから。 毎日眠らないといけない ご飯は食べないといけない 人生は上手くいって90年ぐらい 自分は他人になれない 1日は地球が1回転する間 どれも、どうしよ

寄せることができれば機会損失は防げる

人と出会って、一緒に何かをするとか、行動を共にするなどということが日常的にあります。 入学する 就職する 結婚する 転職する コミュニティに参加する プロジェクトに参加する 仕事を依頼される その入り口では、相手と自分がマッチングするのかを見極める段階が存在します。 入学・就職・転職では試験だったり、面接だったりします。 結婚の場合はお見合いとか、その後のお付き合いとか。 コミュニティに参加するときは参加資格が設けられていたり、プロジェクトは日頃の実績を見て

多国間コミュニケーションの時代

世界的に、みんなでなんかする、という方向に行っていると思います。 みんなでやるけど → 一人ひとりを尊重というイメージの2020年代ですね。 公用語は一応、英語だけどSNSでは・・ 自分の言語で書いて → (相手は)自分とこの言語に変換して読む という状況ですので、もうちょっと時代が進むと、会話もそんな感じになるんじゃないでしょうか? ウェアラブル・デバイスによって、 相手の言語を自分とこの言語に変換して聞き、 自分の言語で話して 相手も自分とこの言語に変換して聞く

知らず知らずのうちにテンションが上がってくるから、意識して思考をやめないといけない。 持続可能な自分を創ろう(笑)

同じ意見のなかに気づきはない

SNSのコメントで最も多いパターンは、 元気出ました 同意します なるほど目から鱗 辺りかなと思います。 でも個人的には、同じ意見ならべつに言わなくても良いだろうというのがあります。いいねで十分だと。 だから僕がコメントするときは、 僕はこう思う それはどうなんでしょうね なるほど目から鱗 のようなコメントになります。(3番だけ一緒😊) 投稿者側から見れば、あまり可愛くないコメントですよね。 結果、コメントの返事をもらえないこともあります。 いいねももらえな

リアル生活で満たされなくて → SNSに承認を求めるなど。

「なんでこんなにSNSに夢中になってるんだろ?」と時々思います。SNSのいいねや反響は、習慣性があるというか、依存性・中毒性があるというか・・ SNSを離れた日常生活で、こんなに頻繁に誰かが自分を評価してくれたり、褒めてくれたりすることって無いと思うのですね。日常生活でいちいち行動を「すごいね!」「うけるね!」とか言われたら気持ち悪いでしょ? まあ、ドラマ的にはそういう日常って楽しいかもしれないけど。 だからSNSと日常生活を比較すると、絶対、SNSの方が楽しく思えてしまう

ネガティブを否定することは人間性を否定することと同じ

だいたい、否定すること自体がネガティブなんですけどね。何を言ってるか分かりませんね。 芸術は人間の表現芸術(アート)はしばしばネガティブな意味合いを内包していますよね。 芸術は「衝動」から始まるもので、もし芸術にモチベーションがあるとすればそれは衝動です。 とても人間らしいモチベーションであるし、当然ネガティブなものだってあるでしょう。 怒り 憤り 悲しみ 憂い 屈辱 逃避 怠惰 ・・・・ てらうことなく表現するから芸術に感動や奥行きが生まれるのです。

世の中は広い

世の中は広い いろんな人がいる 良くも悪くも あり得ない人がいる 何万人も あり得ないのではなくて あり得る 自分があり得ないと思っているだけ いつもの生活 いつもの仕事 その中だけで考えていたら 井の中の蛙 でも その蛙があり得ないと思う人が どこかにいる それは 会ってみなければ分からない 会ったとき 一つの世界を知る

いろんな方言の人が一緒に活動するという状況

NHKの「舞いあがれ」のなかで、今は人力飛行機サークルのシーンが多いのですが、それを見ていると自分の大学の頃を思い出しました。 京都の大学に行っていたということもあり、全国から学生が来ているのですね。サークルにも学部にも、いろいろな方言が飛び交っていました。 言葉が目立った順(笑)長野弁(だで) 東京弁(じゃないのー?) 京都弁(やめよし) 播州弁(ちゃうけ?) 名古屋弁(みゃーみゃーとは言わないけどそんな感じ) 福岡弁(・・・?ていうかイントネーション) 石

学生時代の友達とは繋がっていた方が良い

学生時代の友達と社会人の友達とで、本質的に何が違うかは、考えてみたけどよくわかりません。 実際のところそろそろ社会から邪魔者扱いになりそうな年齢の僕が今つながっている友達は、学生時代の友達だということなんですね。 今住んでいるところが小さい頃から住んでいた家だからというのもあると思います。 あと、最初の会社の同期というのは、特に僕は寮生活をしていたこともあって、当時の結束は強かったと思います。 ただ、僕自身が彼らから遠く離れた場所にいるということで、どうしても疎遠になり、

手段を失うと弱くなる

「弱者」とよく言われますが、弱者ってどういう人のことを言うか、説明できますか? 僕もいきなり聞かれたら答えに困りますけど。 生きていく上で、人間はいろんな困難に直面します。 それを何らかの手段でもって解決していくのですね。 ある人はそれをお金で解決し、ある人は他人の協力を得て解決します。 またある人は、自分がひたすら手足を動かすことで解決したり、さらには道具を使ったり、いろんなことをします。 でも、そういう取り得る手段が少ないと、どうなるでしょうか? なかなか解決できず