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気づきと考え方

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気づいたこと。考え方について考えた(笑)記事
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2023年7月の記事一覧

気持ちの問題なので気楽に楽しくいこう

Threads とか見ていたら(笑) 誰がこうで自分がこうで、こうしたらいいとかいけないとか、縁がないとかスルーするとか、自分が少なくともこうありたいとか、 もうウルセー!って感じですよね。 (同意は求めてない) 週初めの月曜日ですし、 気持ちだけでも南の島に行って、果物食べて、青空眺めてきょうもいい天気だと、 思ったほうが幸せじゃないですか。ねぇ。 頭をリセット。 というわけで、自分も note であーだこーだ言ってますが、必要以上に深く考えないようにしたいものです

理系は理屈だけ/ビジネスは欲だけ/〇〇は夢だけ

最近、SNS専任講師みたいになってきた感はんぱないEXPわくいです。 自分の Twitter に流れてくる投稿を見ていて、 「なんでこんなに潤いがないのだろう?」 と思った本日の朝です。 ホッとするようなことは何もない。 別にビジネスで使っているわけでもないのに。 きっと自分のフォローの仕方がよくないのでしょうね。 ホッとするようなアカウントをフォローしていないから、そうなるのでしょう。 とはいえ、 ホメラニアンさんとか フォルテさんとか フォローしていて、

物質的に豊かであれば精神も豊かになる

リアルにモノが目の前にあることほど、安心できるものはありません。 「いつでも〇〇できる」という認識は、心の余裕を生みます。 1970年代の高度経済成長の折に、精神の堕落についてずいぶん叫ばれました。便利になると確かにそういう面もあります。 あの頃は公害がものすごくて、物質的に豊かになってもみんなが病気になったらどうしようもない、というような考え方もありました。 農村から人がいなくなり、都市の長屋のようなビルに人が寿司詰めになりました。 悩ましい時代でした。 成長の結果とし

必要とされる人である限り生きていける

世の中は持ちつ持たれつ、お互いに支え合って生きているのが人間です。 日々、note を楽しめているのも、書いた記事を読んでくれる人がいて、楽しめる記事がたくさん流れてくるからなのです。 note で記事を有料にしていない場合、純粋に物々交換のようなものです。 不特定の誰かに情報を提供して、不特定の誰かから情報を得るという、インターネットに古くから存在する取引関係なのです。 親子関係親子というのは社会において特殊な関係で、お互いに保護しなければならないと、法律で定められて

不動産や食糧を売って手元に残るもの

「売る」という行為は、かけがえのないものを手放して、お金を得ることなんですよね。 今風な感覚だと、それはお金じゃなくてコンピュータ上の「数値」です。 かけがえのないもの(資産)を手放して → 数値を得る = 売ること なんです。 外国人に不動産を売る 海外に食糧を売る これらも、かけがえのないものを手放して、数値を得ることです。 売って得た数値を何に替えるか得た数値でもって、海外の不動産を買ったり、海外の食糧をゲットするならば、元の資産の形は守られますが、 例えば

テレビはオワコンではなかった

10年ぐらい前(?)に「テレビはオワコン」と言った人がいました。 もしかしてホリエモン?? 分かりません。 その当時は、僕も「そうだなあ、テレビは終わっていくのかなあ」と思っていましたが、結果的にテレビは終わりませんでした。 番組僕もあんまりテレビ番組をいろいろ見ないですが、今はNHKはよく見ます。 スイッチ入れると常にNHK(笑) NHKをボロカスに言いながらNHKを見ているツンデレオタクなのですが、最近のNHKはかなり進化しましたね。 NHKは良い番組が多くなりまし

認識のUpdate.

認識や意識、観念というのは、1回そう思うとずっとそのままということがあります。 「あいつは〇〇な奴だ!」という印象を一回持ってしまうと、何年もそう思っているわけですが、数年ぶりに会うと全然、違う感じの人になっていて「うへー!」と思うこともあったり。 人間でも、文化でも、世界・業界でも、プロダクトでも。 それが生きている限り、進化しているのですね。 いつも同じところに留まっているわけではありません。 「言葉」に関しては、古くなったら、なったままのことが多いのですが、 例え

産業構造|人口が減っているのに好きな仕事をしていて大丈夫?

好きな仕事をしている自分には言いにくい話ですが・・ 産業構造の話です。 人それぞれ好きなものは違うから みんなが本当に好き勝手なことをやれば 社会は競争もなくうまくいく という考え方もあり、それは確かに一理はあるけれど、本当にそれで大丈夫なのかという問題。 産業分野と国際競争力過去には、あらゆる分野で国際競争力を持っていた日本であると思いますが、 経済の低迷 人口の減少 人口の多い国や開発途上国の発展 などにより、あらゆる分野で国際競争力を失いつつあると考えられ

満足したら → もういい → 次に行く?

きょうもNHK「あさイチ」を見てネタを思いつきました。 結構、あさイチが好きなんですよね。 きょうのゲストはジャーナリストの稲垣えみ子さんでした。 この方は全然、知りませんでした。 SNS を探したら、Instagram はアカウントのみで投稿なし。 SNSに出てこない人の動向って全然わからないですね。僕は1日がSNSで埋め尽くされているから、何でもWeb&SNSで解決しようとしていますね。 SNSやっていない人SNSやっていない人には2通りあって、 ITについて行け

人生いろいろ|人それぞれ

今まで羽振りよさそうだった人が急にネガティブな投稿をしはじめて「どうしたんですか?健康には気をつけてください」のような声をかけても返事は返ってこない。そしてまたネガティブな投稿が続く。 僕も自営業が一回ダメになったけど、元手はいらないし、収入も微々たる商売だったから大きなダメージはなかった。 それでも、心身がおかしくなった。 会社経営している人は大変だなあと、よく思う。 確かにうまくいっている時は鼻息が荒いし、起業家だ実業家だ創業者だと周りから注目されて、たくさんの人々が

おじさんになると忘れる/おばさんはもっと忘れる

僕なんか今だに80年代がどうたらこうたら、言っていますが、同年代の人々は忘れてる人が多いんでしょうね。 同年代のおじさんあの頃一緒によく遊んだ友達も、たまに連絡取ると老化していて(笑)全然そんな雰囲気じゃないです。 基本的にみんな、忙しいんでしょうね。 なんか自分が暇人みたいで嫌だな。 同年代のおばさん女性って、昔のこと忘れてしまう人が多いですよね。ていうか、しばらく疎遠にしているだけでこっちの存在自体、忘れられています。 「え~っと、、、どなたさんでしたでしょうかー

ユニークであることは怖いけど楽しい

僕は自分自身、若い頃は「没個性だなあ・・」と思っていました。 でも今はとても個性的でユニークだなと思っています。 年齢的にはもう定年に近い自分です。 世の中の定年前のお父さん(一般的なイメージ)のような一抹の寂しさとか、第二の人生への希望とか、経済力とかいうものは持つことができません。 その代わり、若い人がやるような仕事に参加させてもらったり、ブログやSNSで好きなことを表現したりして暮らしています。 確かに今の仕事をゲットするまでは、とても不安でした。 だって、キャリ

再生

荒井由実 "雨のステイション"

1975年リリース・アルバム "COBALT HOUR" 収録曲 ライブの音源 変化する社会と風景のなかで、頑張ろうという気持ちと、癒しを求める気持ちが、交錯する時代であったことは今と変わらない。 さまざまな方向に行こうとする人がうごめいていた。 少し違うところは、人々の心のなかに「情感」があったこと。 情が深い 情が浅い 下町人情 人情紙風船 叙情 旅情 情景 ・・・ 失われようとする「情感」を、引き止めようと必死になっていた人々がいたような気がする。 僕らのような80年代の若者は、そんなものは古臭いと思っていた。もっと楽しくて、自由で、合理的な世界があるんだよと言っていた。

違う意見を言うと「仲間じゃない」と思う人は多い

とくに日本人がそうなのかもしれませんが・・ 「違う」ということを恐れる人が多いし、恐れるだけじゃなく排除しようとする人も多いと思います。 でも、そもそも男女って全然、違うじゃないですか。 大人と子供でも全然違うし、お年寄りだって全然違う。 違う人が寄り集まってできているのがこの社会ですよね。 うちの親父はA型たびたびネタにされるうちの親父は可哀想なのですが・・ とくに晩年の親父は、誰かと喧嘩すると 「もう絶対あいつとは話をしない!」 と言っていました。そしてその決