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気づきと考え方

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気づいたこと。考え方について考えた(笑)記事
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2023年4月の記事一覧

誰かの役に立つという考え方のニュアンス

いまは「誰かの役に立ちたい」と言う人が多いと思います。 僕が若い頃は、そう言うのはカッコ悪い、照れ臭い、という風に捉えていました。他人の前で「誰かの役に立ちたい」と言うのはちょっと勇気が必要だったかも? うっかりそういうことを言うと「偽善」や「売名」だと言われかねない雰囲気がありました。 もちろん、本心でそう思うなら、それはとても素晴らしい考え方だと思います。 お役立ちブログブログなどで「役に立つ内容」を書こうと思う人も多いと思いますが、なぜそう思うのでしょうか? 自分

テンションアゲアゲ 松任谷由実 "Man In the Moon"

モチベーションというのはさほど変化の少ないものですが、テンションというのは日々変わります。 近頃の僕はテンション低め。 日々の興味とか目標とかインスピレーションとかいうものが見当たらなくなったときに、低くなります。 そういうときの行動は、迷走しがちです。 単にテンションが低いだけなら迷走しないけど、焦って高くしようとか、頑張ろうとか思っちゃうと迷走するのですね。 テンションを維持するにはSNS見てて、常にテンションが高い状態を維持している人が稀にいますが、ビョーキなので

安藤忠雄 【関西リーダー列伝】 の動画を見て元気を出す。

さっき YouTube で安藤忠雄の動画を見て元気が出たので、皆様にも見てもらえたらいいなと思いました。 今までわりと建築プロジェクトの話をよく見聞きしましたが、この動画は人間性やリーダーとしての在り方などに迫った、とても良い内容でした。 したがって建築そのものの話はあまり出てきません。 どちらかというと経営的な内容ですが、これからを生きていく上では参考になる話がたくさん詰まっています。 日経スペシャル 関西リーダー列伝 安藤忠雄テレビ大阪ニュース YouTube より

礼や儀式を重んじる文化の滑稽な側面

ツイッターに投稿していてふと思った話です。 日本には、礼や儀式を重んじる文化がありますが、おそらく 武家社会 → 礼 貴族社会 → 儀式 から来ているのだろうと思います。 具体的根拠はありませんが。 戦いの折に「やあやあ我こそは〇〇〇〇」と名乗りを上げてから戦うという習わしが、元寇の際にモンゴル軍に通じなかったとかいう話を聞いたことがあります。 そのような滑稽さを、今の日本社会でも感じることがありますね。 プロフィールプロフィールに「ああしてくださいこうしてくだ

ハッシュタグを沢山入れるのはNGと言われる理由が分からない

「ハッシュタグは5個以内にしましょう」みたいなことが言われるのですが、その理由が分かりません。 僕は馬鹿なのでしょうか? なぜハッシュタグを沢山入れるのは良くないのでしょうか? 不明です。誰か教えてください。 NGと言われる理由として考えられることシステム上、処理が多くなり重くなる 沢山あると読む人が鬱陶しい このぐらいしか思い浮かばないのですね。 もし1が理由なら、少し控えようかなとは思います。 自分でも検索システムを作っていたことがあるため、データベースの処理と

同じ意見のなかに気づきはない

SNSのコメントで最も多いパターンは、 元気出ました 同意します なるほど目から鱗 辺りかなと思います。 でも個人的には、同じ意見ならべつに言わなくても良いだろうというのがあります。いいねで十分だと。 だから僕がコメントするときは、 僕はこう思う それはどうなんでしょうね なるほど目から鱗 のようなコメントになります。(3番だけ一緒😊) 投稿者側から見れば、あまり可愛くないコメントですよね。 結果、コメントの返事をもらえないこともあります。 いいねももらえな

そっちに行ってはいけないと言ってあげる

世の中には、人道的によくない世界が存在します。 その世界にいて、人間として決して幸せに・心豊かにはなれない世界。 本当の幸せを追求する人は、決してその世界への道を選ぶことはないだろうけれど、単に欲望のみに従う人は、えてしてそのような世界に入り込んでしまうのです。 善良な人にも欲があるどんなに「いい人」にも、食欲があるし性欲もあります。 それと同じように金欲や、名誉欲や、支配欲など、さまざまな欲を潜在的に持っていると思います。 欲は良い方向に人々を導いてくれる場合もあるけ

アイデンティティの深い話

過去一年ほどの間、note に投稿しながらいろんなことを考えました。 アイデンティティについてもしかり。 きょうTwitterでこの記事が流れてきました。 ちきりんさんが5年以上前に書いたブログの記事です。 こういうのを読むと、ある面では楽になるけれど、別の面では苦しくなる。 そんな印象があります。 真実ではないが、AI的なもので真実めいたものが分かってしまう、恐ろしい世の中の到来です。 知らなくてもよいことを知って、そのことを前提として事実が作られていく世の中なんです

難しい 「アイデンティティの確立」

この画像は以前にも選んだことがあるような気がします。 ここで言う「アイデンティティの確立」の意味するところは、単に精神的な問題ではなくて、客観的な認識のことを指していると、自分では思います。 組織に所属しないで確立するのは難しい何か、信頼される組織に所属している場合は「私は〇〇に所属しています」と言うだけで、社会的に信用され、自身もそれを認識できます。 長い間、そういう属性を持ち続けている人には「アイデンティティの確立」ということを特に意識しなくても、自信の存在を当たり前

相手が人間だと信じないくせにAIだと信じる人がいるのは滑稽。どちらも同じ。人が言うことも信じたほうがよい。

歳のせいにしてはいけないが、感じることは多い。

80歳でシステムエンジニアになるとか、山のてっぺんで半自給自足の暮らしをするとかいう人から見れば「なにを言ってるんだ」というような、決して格好よくないつぶやきですが。 老化正直なところ、医者に観てもらったときに 老化ですね しかなたないですね 薬でどうこうできるものでもないですね みたいな診断を受けがちなお年頃です。 だいたい40代後半あたりから、そのようなシーンが多くなりました。 たとえば「飛蚊症」という目の病気がありますが、医師によると病気というよりは老化現象

他人と同じ or 違うで一喜一憂する人々

他人って気になる存在ですよね。 それはたぶん、僕らが社会に生きているからだと思います。 他人の存在なしに社会は成立しませんから。 他人は二通り他人といっても、いろんな人がいますが、大きく分けて二通りあると思います。 関係のある他人 関係のない他人(赤の他人というやつ) 普段のリアルな生活では、この二つはわりあい、明確に区別されていますが、SNSではしばしばあいまいになります。 いいね いいねを押すときの感情って、どんなものでしょうね? それも二通りあるように思いま

真実は瞬時に判るが進むのは遅い

好きとか嫌いとか 本物だとか偽物だとか 真実だとか虚構だとか 自分にとってのそういうものっていうのは、直感的に瞬時に判っていると思うけど、知識・経験が邪魔をして判断が鈍ることってありますよね。 バズった投稿が真実だとは限らないし、むしろ真実でなく何か極端に歪められたものの方が多いのではないでしょうか。 嘘だと分かって受け止めていることもあります。 早く進むものには気をつけよう短気な人は、じれったいのを嫌うし、とにかく早く決着したいと思うでしょう。 でも、急がば回れと

自分の居場所は自分で見つける

ごく当たり前のような考え方だけど、実際、その通りできないことも多いと思います。 社会と自分との関係性まったく自分の考えだけで行動できる人は滅多にいないかもしれなくて、大抵は社会との関係性を考えていると思います。 自分は社会にとってどういう存在なのか、社会に何かをもたらせるのか、社会に無視されていないか、などと。 日本人は、人間関係が希薄と言われる現代でも、海外の人と比べると社会に対する帰属意識とか、社会のためということをよく考えるのではないかと思います。 それはそれで良