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街について

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街(町)の紹介、街について語った記事など
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#歴史

YouTube で観光地の動画をよく見るけど、 レポーターが日本人の場合はただ街を流したり、お洒落なカフェを紹介したり、外人が多い!みたいなネタだけど、 外国人の場合は土地の歴史とか施設の由来とか解説してくれるから、とても勉強になる\(^o^)/

江ノ電の現在と過去の動画を3つシェア

前回、江ノ電の公式動画を紹介しました。 今回は、現在・80年代・70年代の3つの江ノ電を遡るように、それぞれアップしている方の動画をシェアしますね。 現在の江ノ電紫陽花が咲いて人がたくさんいる光景と社内アナウンスが臨場感を盛り上げています。もうなんか、昨日行ってきたような錯覚に陥りますね。 公式動画は静かな感じでしたが、こちらは街の賑わいが感じられるカラフルな動画です。天気もよい日です。素敵です。 1988年の江ノ電これは当時の番組ですね。徳光さんが出ています。 レポー

秋葉原の歴史 → 画面に釘付け

前回の錦糸町の動画が面白かったので、同じチャンネルで秋葉原の紹介動画を見てみました。 今回は錦糸町よりもさらに興味深い内容で、画面に釘付けになりました。秋葉原は2回に分けて紹介されていてボリュームたっぷりのため、これは非常におすすめできます。 とくに2回目は近代建築の話まで出てきて、コア&幅広い内容になっています。本当によく調べているなあと感心しきり。 秋葉原の昔、失われた風景秋葉原の昔、失われた風景 第2弾Old Japanese Memories個人的には1980年代

錦糸町とか精工舎とかその辺り変遷

新年早々、懐古モードになっていますが、世の中的に今年はあまり期待感がないのと、自分自身にもそんなに期待してない(汗;)という両面があるような気がします。 というわけで、今朝なにげに YouTube を見ていたら、こんな動画が出てきましたよ。 【昭和の錦糸町】錦糸町が発展した意外な理由個人的に、1980年代は関東にいて、当時錦糸町にあった精工舎に6年弱、勤務していました。松戸に寮があったため、錦糸町と松戸を往復する毎日でした。 僕が勤務していたのは錦糸公園の北側にあった工場

S・O・G・O そごうへ行こう♪

JR三ノ宮駅のホームから見た2017年「そごう神戸店」です。 今は「神戸阪急」に変わっています。 タイトルは昔よく聞いたCMの歌です。 百貨店の呼び方百貨店には違う呼び方があるのが不思議です。 百貨店と言ったり、デパートと言ったり。 そごう神戸店も「神戸そごう」とも呼ばれていました。横浜そごうもそうですよね。 大丸もそうです。大丸神戸店は「神戸大丸」と呼ばれることもありますし、そもそも大丸は「こうべてん」と言わずに「こうべみせ」と言うんですね。 阪急などは正式に「神戸阪急

ACTUSと小泉製麻

しばらくアクタスに行っていません。サザンモール六甲にあるアクタスです。この写真を撮ったのが2014年で、その後1回行ったかな?どうかな?という感じです。 以前、インテリア業界に絡んでいた頃に、よく行きました。2003年から数年ぐらいですね。別に自分が買うわけじゃないんです(笑)アクタス高いので。小物ぐらいは買いましたが。 その頃には、アクタスの向かい側もインテリアショップで、カサブランカとかイノベーターとかいうちょっといい家具と、北欧のインテリアアイテムが揃っていました。

旧居留地の境界

記憶によれば、この花時計線を境にして南側(写真の左側)が外国人居留地だったと思います。 そしてこの少し向こう、三宮神社の辺りで明治維新の神戸事件が発生しました。 備前藩の隊列は、西国街道を東に向かい、現在の元町商店街を通って三宮神社に差し掛かりました。(元町商店街は西国街道だったんです) 西国街道は、三宮神社から北に折れていくたロードを進み、(閉店した)東急ハンズ前の交差点を東に折れて進む道でした。(下記参照) だから、この写真の場所は西国街道ではないんですけどね。 花

旧外国人居留地

神戸に行くと、ついつい旧外国人居留地の方に足が向きます。 あのゆったりとした雰囲気が好きなんでしょうね。 だけど昨今の情勢からか、旧居留地に路面出店しているアパレル系ショップが次々と閉店しているのが残念です。路面店は風景を構成しているので、僕などは風景が好きだから、それが無くなるという喪失感みたいなものがあります。 背景には、実店舗から通販への移行があると思いますが、ネット社会で、そうした三次元的なものへの関心が薄まり、今後は二次元の中の三次元に変わっていくのかなと思うと、