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酔いが覚める前に

こんばんは。福です。良い夜をお過ごしですか。
ぼくは久々に良い酔い方をして。
こんな夜は、酔いが覚める前に、この気持ちを残しておこうかな。

酒に強い家系に生まれ、遺伝子に組み込まれた耐性は誰にも止められるものではない。ここしばらく疲れと孤独感と虚無感とに追われていた。理由などない。気づくと寂寥の思いが込み上げ、無性にアルコールを摂取しなければと焦る。昼間から梅酒を、日本酒を、焼酎を、夜には友人の作ったカクテルやおすすめのワインを。それでも酔いが回ることはなかった。付き合ってくれる友人もいるが、次第に潰れてゆく様を見て、そして酔いが回らない自分がいて、より鮮明にはっきりとした孤独を感じずにはいられなかった。眠る前には散らかったつまみや空き缶をひとり台所で片付けて、酔いきれずにいる自分の遺伝子を、自分の気分を責めずにはいられなかった。

次第に酔ったふりをするのがうまくなってきた。酔ったふりをして、今の彼女とも仲良くなったし、もともと得意だったのかもしれない。酔ったふりして人に甘えたり、人に語って、相槌を打って、そうやって生きてきた。

Photo by @Jongmin

だから、本当に気持ちよく酔えている今、ぼくは心の底から喜びを享受している。
いつぶりだろう、こんな気持ちは。
なんてことない。資本主義の権化、チェーン店で均質的なお好み焼きを、愛する人と食べに行った。日曜の夜、変哲のない店内、喧騒と静寂のバランスが心地よい。明太もちチーズもんじゃとお好み焼きを囲んで、唐揚げなんかもつまみにしながらビールを喉に流し込む。たったそれだけのこと。冷えた生を二杯、たったそれだけで。あんなに悩んでいたぼくは気持ちよく酔ってしまった。酔えたのだ。

今晩のお好み焼きを忘れることはないだろう。

酔うために必要なのは、強い酒じゃない。愛する人と飲む一杯の生ビールこそ、至高の一杯だった。精神の安らぎに身を任せ、飲む。あるいは飲むことで、精神の安らぎに身を任せる。愛する人と腹を割って話すなら、精神世界で向き合っていたなら、きっと水でも酔えるだろう。

だから人を愛そう、なんてことを言いたいわけじゃない。
まぁ少しのろけてしまっているのかもしれないけれど。笑
でもきっと自分に、愛する人に酔えるということが本質なんだろうな。
どれだけ濃いハイボールが手元にあっても、自分と相手を愛せなければ酔うことはない。

ぼくの酒耐性はある意味では幸せな授かりものかもしれない。
過程を踏まなければ酔うことはできない。酔った人間をそばにして。
いつかこの気持ちを絵画にしたい。
そして誰かが気持ちよく酔っているときに、そっとつまみを出せるマスターになりたい。

今日の話はここまでに。
さて、こんな気持ちのいい夜だ、まだ惜しい。
寝るのはスミノフを飲んでからにしようかな。
思い出の酒なんだ。酔ってるんだから、もう少しだけ飲んだって構わないだろ。
今晩は自分に、愛する人に、酔ってるんだから。



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