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4日目 小田原宿~箱根宿

箱根に挑む。その前に小田原宿の紹介から。

⑨小田原宿(神奈川県小田原市)

09.小田原

あっ、マンホールの蓋はこれを描いたものか?

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小田原市は神奈川県の南西部に位置する街。静岡県に近く、相模湾を臨み、温暖な気候。東海道線の特急踊り子や湘南、小田急のロマンスカー、東海道新幹線が停まるなど、交通の便が良く、東京まで通う人も少なくない。新幹線に乗っていると明治製菓ファルマの工場やAmazonの倉庫が見えたら小田原に着いた目印になる。名物は小田原提灯、鈴廣かまぼこなどなど。

日本史においてもよくその名が出てくる。戦国時代には北条氏の城下町として栄えた。「長引くだけで、いつになっても結論の出ない会議や議論」という意味で「小田原評定」という故事成語があるが、これは北条氏の重臣会議が基となって生まれたものである。江戸時代には小田原藩の城下町、そして箱根峠より東の宿場町として人々が集まった場所である。

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さすがに小田原城をスルーはできない。写真は銅門あかがねもん。大地震や富士山の噴火で小田原藩の懐事情はだいぶ寂しく、城を維持するのも困難を極めたようだ。
銅門の特別公開もしていたようだが、10時開始とのことで断念。今日は多少余裕があるとはいえ、あと30分も待つのはさすがになー。

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クッキーの自販機。昨日の二宮駅前にもあった。石だたみと寄木細工は上手いこと考えたなー。さて箱根を目指そう。

箱根は急峻な山であり言わずもがな東海道の難所。そこに挑むということで不安もあるが、それよりも楽しみな気持ちのほうが大きかった。箱根八里の歌の世界を実体験できるんですもの。

箱根の山は 天下のけん
函谷關かんこくかんも ものならず
萬丈ばんじょうの山 千仞せんじんの谷
前にそびへ 後方しりえに支ふ
雲は山を巡り 霧は谷を閉ざす
昼猶闇き 杉の並木
羊腸の小徑は 苔滑らか
一夫關にあたるや 萬夫も開くなし
天下に旅する 剛氣の武士もののふ
大刀腰に 足駄がけ
八里の岩根 踏みならす
かくこそありしか 往時の武士

小学生の時に習うやつ。旧道を歩いてみて、この曲が本当に箱根峠を上手いことまとめていることを実感した。とりあえず箱根湯本を目指す。

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電車の音が近づいてくる。ロマンスカーだ。全然人乗ってねぇ。

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また来た。いいなぁ~乗りたい。

この道は箱根駅伝のルートにもなっている。見覚えあるわ。小田原中継所がこの近くだったと思う。

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線路が近い。タイミングよくロマンスカーがまた通らないかなーと思ったら、過ぎ去った直後に通過した。残念。ちなみにここは立入禁止場所でもなんでもない。

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早川と箱根湯本駅。この先の函嶺洞門を見たい気持ちを抑え、三枚橋を渡って旧道へと進む。旧道に入ると勾配がきつくなってきた。箱根の本領発揮か?温泉旅館も増えてきた。

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たまには注意喚起でも入れておく。旧道は勾配がきつく、いよいよ来たか!と感じるものの、道幅も狭まり、また歩道も途中でなくなる。ここから先はしばらく車道の端を歩き続けなければならない。

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ここはまだ良い方で、場所によっては側溝が草で覆われていて足の踏み場もないこともある。

また「昼猶暗き 杉の並木」「羊腸の小径」の歌詞のとおり、道は杉に覆われ暗く、また曲がりくねっているため、ドライバーからは歩行者がかなり視認しにくいと思う。歩行の際は五感を研ぎ澄ます必要がある。カーブでは前後を確認し、車が近づいてきたら極限まで端に寄って避ける。体力と集中力がなければ箱根は乗り越えられないのだ。

少し話は逸れるが、徒歩旅を紹介しているブログで持ち物に「イヤホン!音楽聞いて無心になろう!黙々と歩くのはつらい!」的なことを書いている大馬鹿野郎がたまにいるが、なぜ五感の一部を自ら奪うのか理解に苦しむ。そして黙々と歩くのがつらいなら徒歩旅をするなと3時間くらい説教したい。

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写真を撮り忘れたのでグーグルマップから。箱根の舗装路の中で一番急だと感じたのがここ、箱根大天狗山神社の坂。前傾姿勢を取らないと登れなかった。ここは歩道があるがすぐまた消える。

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体感で一番急な坂に続いて女転し坂。由来がすごいな。ここは歩道も側溝もないため車道の端を歩く。前後に要注意だ。旧道への入り口は右側にあるため、道路横断時は大変注意されたい。旧道を抜けて国道732号線に戻る際も注意してね。戻ってすぐにまた左側に旧道。

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お!江戸時代!
車の危険はなくなったものの、石畳の敷かれた古道ということでこちらも注意が必要。

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おおー、石畳だー。歴史を感じる。しかしここは序の口である。本当の険しさはまだ先。

石畳を抜けると畑宿に到着。伝統工芸、寄木細工の発祥の地。

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江戸から京都までの宿場を表したものがあった。はぁ~まだまだ先は長いねぇ。

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おーまた石畳の旧道だ。これを越えたら芦ノ湖かな~。

ゴールが近づいていることを実感して気分も上がる。だが予め言っておくと、ここからが箱根の本領発揮だった。

高低差

小田原宿から箱根宿までの高低差を表したものである。正確なものを作るのが面倒だったため、地理院地図の断面図で代用。実際に歩いた道は何らかの形で整備されており、断面図ほどアップダウンは激しくない。というよりほとんど登り。各地点の標高はおおよそ正確である。

小田原宿~畑宿間、畑宿~箱根宿間ではそれぞれ400mほど登ることになるが、それに対して水平方向の移動距離が全く違う。畑宿~箱根宿の方が圧倒的に短い、すなわち急峻な坂である。ここまでの道のりはウォーミングアップに過ぎなかったのだ。

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昼猶暗きィ!杉の並木ィ!
日が当たらないおかげでとっても涼しい。下手したら寒い。たぶんマイナスイオンめっちゃ浴びてる。

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羊腸の小径はァ!苔滑らかァ!
苔で滑りやすいので注意。また変なところの石に足を取られて挫かないように注意。
自分の呼吸と足音以外に何も聞こえないね。静寂の独占とはなんという贅沢。

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車道に出たり旧道に戻ったり。この七曲りなんてまさに羊腸の小径。バイク乗りと自転車乗りが増えてきたな。こっち見んな。

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ところどころ石段を登る。石畳の後にこれはかなりしんどい。足が上がらねえよ!

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石段も苔滑らかだなぁ。ふとももへのダメージは大きく、この石段の途中で30秒ほどフリーズした。ケツも痛い。

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草木が生い茂り、かき分けて進まねばならない箇所もいくつかあった。長袖は必須だ。

間違いなく難所だが楽しくもある。古来より難所と呼ばれる場所に挑む高揚感、大自然、歴史の体感、これらが綯い交ぜとなっているのだろう。

畑宿から1時間20分ほど歩くと、甘酒茶屋に到着。時刻は14時過ぎ。

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江戸時代初期創業だってさ。観光客で賑わっていた。

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甘酒1杯400円也。砂糖未使用なのに程よい甘さで疲れた体に染み渡る。

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力餅(うぐいす)500円也。ほんのり甘いきな粉がこれまた染みる。思えば今日は朝食を摂ってから水分以外何も口にしていなかった。江戸時代の旅人も関所を目前にここで一休みしていたのかなー。

体力を回復し、また歩き出す。足取りも軽くなってきた。甘い物効果すげえ。
このペースで行けば箱根宿までは1時間ちょいで到達するはず。よっしゃー頑張ろう。

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一部石畳のない箇所があったが、ひどく泥濘んでいた。試しに足を踏み込むと靴が沈んで身動きが取れない。石畳の効果を身をもって知った。

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目的地はすぐそこだ!

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登れ登れ!

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箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川
箱根馬子唄の一節を彫った石碑があった。おそらく大井川にも同じようなものがあることだろう。

このあたりから下り坂へと変わる。

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下りは下りで急だな。しかしなんでこんなところに自転車があるのか。不法投棄にしては綺麗過ぎる。誰かが登ってきたのか?

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写真じゃとてもわかりにくいがキラキラ輝く水面を発見!芦ノ湖だ!ゴールはすぐそこだ!

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箱根神社の大鳥居だァ!

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芦ノ湖と富士山だァ!

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関所だァ!

というわけで箱根宿に到着!

⑩箱根宿(神奈川県足柄下郡箱根町)

10.箱根

箱根町は箱根山の東側に位置する街。箱根山は火山のためひとたび噴火すれば人間の活動への影響は避けられないが、一方で温泉が湧くなどの恩恵もある。湯本、塔ノ沢、大平台、宮ノ下、小涌谷など、温泉街として古くから名が知られている。江戸時代には関所が置かれていた。明治維新以後はリゾート地としての開発が進み、特に小田急と西武がこの地を巡って熾烈な争いを広げた。

今日の行程では大自然に包まれながら、この難所を越えるために人々が知恵を絞った跡をしっかりと学ぶことができた。この雄大な自然も火山活動によって生まれたものであり、またいつか火山活動によって灰燼に帰すだろう。大自然の前に人間の力というのはあまりに無力だ。芦ノ湖を眺めつつそう思った次第である。

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本日の宿。あえて和室にしてみた。2食付きのプランにしたしまさに旅籠。

以上

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