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16日目 庄野宿~関宿

11月に入り日中の気温は10度台後半となり、歩くには心地よい気候が続く。10月上旬からこれくらいの気候だったらかなり楽だったのになぁ。さて今日も元気に歩いていきます。

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前回の終点の庄野宿からスタート。道幅以外はあまり当時の様子は見られない。

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本陣跡は今は集会所となっている。前回立ち寄った資料館以外に面白そうなものもなく、足早に庄野宿を去る。

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石碑がある。道中で石碑を見つけても自分で納得するだけであまり紹介していなかったが、この碑は資料館で説明を受けたため紹介しておこう。

このあたりは安楽川と鈴鹿川の2つの川の合流地点であり、度々水害が発生したため、村人はここら一体を領有する神戸かんべ藩に築堤を願い出たが、堤防ができると対岸の城下町に浸水する恐れがあるとして許可を出さなかった。

そこで村人は処罰を覚悟して工事に踏み切るのだが、工事に関わると打首となってしまい村に男手がいなくなってしまうので、女だけで工事を進めよう、女であれば罪も軽くなるだろう、ということで工事を始めた。暗夜を選んで工事を続け、苦節6年ついに完成。

しかし藩主の耳にもこの話は当然入ってくる。村の女も処刑が下るとされていたが、その寸前で家老の松野清邦の嘆願によって処刑は撤回。また築堤の経緯を知りその志に対して褒美が与えられたという。

なんだか時代劇の題材にもなりそうな話ですな。

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その安楽川を渡る。普段の水量は少ないが、増水時には大部分が水に浸かるものと思われる。治水工事が進んだ現在ですらこれなのだから、堤防がなかった時代にはそれはもう凄まじい被害が出たことだろう。

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線路によって旧東海道が分断されていたため、踏切を渡ってから旧道に復帰する。こんなにも小規模な踏切なのにちゃんと遮断器がある。

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踏切を渡るとJR関西本線の井田川駅に到着。規模の割に立派な駅舎?である。休憩がてら電車が来るまで眺めていたが、名古屋行きの快速に20名弱乗り込んでいった。

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道幅は相変わらずだが、交通量が少ないので歩きやすい。

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亀山本町郵便局。本町と付いているのでそろそろ宿場に入ったかな?

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案内板によるとここが江戸方の門の跡だそうだ。というわけで亀山宿に到着。

㊻亀山宿(三重県亀山市)

46.亀山

亀山宿は現在の三重県亀山市に位置する。江戸時代には鈴鹿峠の東側の宿場として、また伊勢亀山藩の城下町として栄えた。明治以降も旧国鉄の機関区が置かれるなど鉄道の街として栄えたようだが、今ではローカルな雰囲気が漂う。またシャープの亀山工場があり、世界の亀山ブランドの液晶テレビ生産で名を馳せた。今はスマホ用のパーツ製造をしているようだ。

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旧宿場は今では商店街に。お世辞にも賑わっているとは言い難い。当時の雰囲気を残すものもほとんどないようだ。他の宿場でもよく見かけるが、有志で玄関に屋号札を掲げているようである。

本日は時間にかなりの余裕があるため、亀山市内を歩いて回る。まずは亀山城。江戸時代初頭に丹波亀山城の天守解体を命じられた役人が勘違いをし、伊勢亀山城の天守閣が取り壊されてしまったらしい。これは懲戒ってレベルじゃすまない。また幕府の宿所としての機能があり、将軍が上洛する際には本丸を休泊に利用したそうだ。

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こちらは多門櫓。寛永13年(1636年)に設けられた。無料で内部の見学ができる。

そして亀山城も他の城と同様、跡地の一部が公園となっていた。そこにかつての鉄道の街を表すものがあった。

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C58機関車。昭和19年製造。戦時中かぁ。城内の探索はこれくらい。市内には他にも名所がある。その一つが亀山藩家老加藤家の屋敷跡である。こちらも見学無料。

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内側から門を見るとこんな感じ。立派だなぁ。

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馬の世話や門番をする若党が居住する若党部屋。屋根裏がむき出しでいいね。

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今度は旧舘家住宅。かつては呉服屋桝屋だったという。こちらは江戸時代からのものではなく、明治時代になってからの建物だが、明治初期に建てられたためほとんど江戸と言っても差し支えないだろう。こちらも見学無料。

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亀山宿の京口門跡。江戸時代にはこの京口橋はなかったが、大正時代になって架橋された。往時は坂の下から見上げると門・番所が聳える姿が壮麗で、下記のように謡われたという。

亀山に過ぎたるものの二つあり伊勢屋蘇鉄に京口御門

静岡県内の原宿でも似たようなものあったな。○○には過ぎたるものが二つありってのは決まり文句だったのかな。

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野村の一里塚。笠寺の一里塚と並んでとても立派だ。

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JR関西本線の線路を越える。亀山駅を境にJR西日本の管轄となるが、架線がない非電化区間である。

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亀山インターの真下を通る。壁面には三重県内の宿場の浮世絵が描かれていた。交通量少ないし地元の人しか目にしなさそう。

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鈴鹿川を横目に歩く。のどかだなぁ。

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そして関宿に到着。

㊼関宿(三重県亀山市)

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関宿は鈴鹿山脈の裾野に位置する宿場。名前は関だが江戸時代ここに関所はなかった。しかし壬申の乱前後には古代東海道の三関のひとつである、鈴鹿関が置かれるなど古くから交通の要衝として栄えたようだ。現在では住宅地となっているが、江戸時代当時を彷彿とされる町並みが残されている。

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街並み。電線も地中化されている。

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銀行も景観に最大限配慮した外観になっている。

関宿は噂通りの立派な景観である。東海道中でも一番ではなかろうか。観光客もそれなりにいた。外国人観光客がいた頃はもっと賑わっていたことだろう。

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JR関駅。青地に白のJRマークはJR西日本区間に入った証拠だ。

距離的には20kmちょっとしか歩いていないが、この先水口宿(30km弱離れている)までホテルがないこと、また暗い中鈴鹿峠を越えるのは大変危険であることから、関にて一泊。関宿には現在ホテルがないため、一通り宿場を見た後亀山インターまで2kmほど戻った。本日の総歩行距離は24.3km。

以上

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