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【内的キャリアとは何か?】内的キャリアとは、生涯を通じて打ち込める何か。その何かに秘められている意味。

生涯を通じて打ち込める何か
と表現すると、熱しやすく飽きっぽい私をはじめとする多くの方が、
「生涯を通じてだなんて、そんな大仰な」とか
「長すぎないか、それ」とか
「3秒で変わる自身がある」とか(いや、飽きっぽい割にうじうじと悔やんでしまう者にとっては、これはこれで憧れの才能かもしれない…)
と思われるのではないかと


人間、加齢によってできることは変わりますしね、興味や関心も変わるでしょうし
そもそも打ち込む対象だっていつまでもあるか分かりません
そうしたこともあって「生涯を通じて打ち込める」といわれると、すいすい腰が引けてしまいそう


ところで、打ち込める「何か」と言ったとき、私たちの頭に(心に)浮かぶのは、何か形のあるもの、名前のあるものなのではないでしょうか
形のあるもの、名前のあるものであるが故に、それが果たしていつまでもあるものだろうかとか、長続きするかしらんと思ってしまうのではないでしょうか


というわけで、「なぜ」それに打ち込めそうなんですかねということを考えてみたいわけです
なんでなのでしょうね…
その「なぜ」「なんで」が分かれば、その発現形である「何か」にはある程度の広がりが出てきます
「あんみつ」が大好きなのも良いですが、なぜ好きかと言われれば「あんこの甘さが練乳の甘さとあいまってたまらんからです」ということであれば、あんみつじゃなくてもアンバターサンドにホワイトモカでもよいじゃないということになるわけです(ちょっと遠いか…)


あ、あと、留意しておきたいのは「なぜ」の方も.「今のところは」ということにしといた方が良いかと思います
変わりますからね
いろんな経験や知識を得ることで、人と出会うことで、経験することで-変わりますからね、こういうのって
「変わる」のはある種の成長ということでしょう
とすれば、幾つになっても成長できるわけですな
A.アドラー先生もそう仰っていらっしゃるようですし


そもそもこのnoteでは、この「内的キャリア」というものにこだわりまくっているわけですから、打ち込んでいる「何か」であるということになりますね
この項、あと何度か書き換えて熟成させていきたいので #熟成下書き  としました


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