カンダタの醜い心にもシンパシーを感じますが


私だけかもしれませんが。

にせんえんくらいで来年の手帳を買うが、どうせスケジューリングするほどのことは何もないのだ。



ハローワークという単語を見るたびに「何がハローだ!誰も私にハローしてくれないが?見せかけだけの笑顔でヒトを絶望させやがって!ふざけんな!グッバイライフに改名しろ!」と心のなかで叫んでいる。
私の醜い心と卑屈さが、相当の罰を受けて艱難辛苦の針山に引き戻されているのかも知れない。



分かりやすく救済してくれお釈迦様。
( ˘ω˘ ).。oO(みなまで言わぬ、気付け…

という眼差しで見守るのではなく
ദി  ᷇ᵕ  ᷆  )。oO(他人を足蹴にすると地獄戻りだよ☆

と一言脳内に語りかけてくれれば、カンダタだって極楽へ行けたかも知れないじゃないか!

そういう姿勢が卑屈なことは分かります。
啓蒙のために「言わず、気付かせる」ことが必要なのもわかります。モノガタリって匂わせなところがあるのだし。察しろ。

「では、他人を踏み台にし、カネとコネでマウントを取りながら誰彼を泣かせている彼らは何故カンダタではないのですか。地獄の針山に刺されず安寧を貪り喰い、嘲笑う彼らが極楽のような毎日を過ごしているのは何故ですか」

得体の分からない死後の極楽世界を思ってじっと祈り続けられるほど今の世の中は盲目的でないし、満たされてもいないのです。

オシマイ

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