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育休と闘病(2月編)

【育児と向き合う】
この言葉は育休を取ってる人と、取ってない人では意味合いに越えられない壁があるということがわかった。少なくとも私はそう感じた。
社会人になって漸く10年目に差し掛かろうというタイミング、これまで、実家暮らし、一人暮らし、結婚生活を経て、自分のプライベートのコミュニティと仕事におけるコミュニティを両立させつつも、時間数としては圧倒的に仕事に取られるわけで、自分と社会の繋がりは仕事を通した関係の中で作られ、その社会の中で自分の成長や自分の価値(社内外の評価価値)を感じていた。
娘が生まれて、2ヶ月は引継ぎにかかると踏んでリモートだったり、午後から出社という形で仕事と育児をやった期間もあったが、業務や会議の時間は妻やお義母さん、お義父さんに任せてしまうので世界を分けて時間を過ごすことができる。家族も入ってこれない、「仕事」という免罪符的なものを目に見えない形でかざして、境界線を引いていたんだろうなきっと、と今になって思う。モードを変えるというか、子供の面倒を見ることと仕事をすることを"ながら"で出来なかった、と言えば伝わるだろうか…。
ところがである、半年の育休(休職扱い)となると、会社支給のPCもスマホも社員証も全て返還となり、そうして今まで繋がっていた「社会」と完全に切り離された社会人が出来上がる。自分の価値や存在意義を会社や仕事に見出し、自己実現を労働によって果たそうとしていた社会人が社会との繋がりを断たれるという状況、それ以上に、働く前でさえ、小中高大院までどこかしらの組織に所属し、そこの場での社会、コミュニティの繋がりを家以外に持っていた訳で、長ったらしく書いたが、とどのつまり家庭という社会に24時間向き合うという感覚の不思議さというか、新鮮さをまざまざと感じだわけである。
これが冒頭で述べた長期で育休を取った者しか感じられ無い決定的な違い、壁だと思った次第である。
育児と向き合うということの真意は家庭と向き合う、妻と向き合う、家事と向き合う、そして子供と向き合う、これを"ながら"でなくやる、外の世界に逃げない、ことなのでは無いかと感じた最初の1ヶ月であった。
そして同時に、それを当たり前のようにやっている主婦と呼ばれる方々の置かれている環境を身を持って実感できた気がする。育児に追われて友達とも会えず、近所付き合いもない、実家は遠い、もしこんな状況で一日中赤ちゃんに泣かれたら。こればっかりは自分で直面し、経験しなければ一生掛かっても分からないと思う。是非世の中のお父さん達には頭では無く実体験として理解してもらった方がいい。と個人的には思う次第。
【闘病生活】
そんなことを書きつつ、育休が始まったと同時に実は2泊3日で入院し抗がん剤の投与も始まってしまった。副作用は殆どでないんじゃないかなと言われたもののいざ投与となると不安は付き纏う。病室は自分の父親以上の年齢かと思われる人ばかり、こんなに時間が経ってても、いつまで経っても、なんでこの歳で…という思いは絶対になくならない、残念なことに。
2時間程度の点滴で終わるわけだが、副作用は後からやってくる、そのため普通は1週間ほど入院して様子を見るようなのだが、最短でという希望をしたら2泊3日に、これは意味があるのか?と思いつつ…
点滴後も翌日も特に何の変化もなく無事退院。予期せぬタイミングで連絡をくれた友人が退院後にわざわざ顔を出してくれた、僅か2日前、唐突の告白になってしまったものの、そうやって直ぐに行動にして表せる人は中々いないと思う、有難い。
幸い、前情報の通り副作用は殆ど無く、効いてるんだか効いてないんだが分からないが生活の質は保てている。
昨日3/1に2回目の点滴を通院で終えたが今も変わらず元気ではある。
初見の看護師にがん治療の考え方に対して愚痴みたいな私見にくだを巻いてしまい、申し訳ないことをしてしまったがいいストレスの発散になった。
そんなわけで治療は続いていく。



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