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ディズニーはどこへゆく?

ディズニーの利益は、事業別ではどのような割合になっていますか?

ディズニーの2023年の事業別収益割合は、以下のようになっています:

  1. パークス&リゾーツ: このセグメントは、国内外のテーマパーク、ホテル、クルーズラインなどからの収益で構成されています。2023年の総収益は32.6億ドルで、全体の約37%を占めています。

  2. メディアとエンターテイメント配信: このセグメントには映画、テレビ、ストリーミングサービスが含まれ、2023年の収益は約28.8億ドル、全体の約33%を占めています。

  3. 製品販売とインタラクティブメディア: これにはトイやアパレル、ゲーム、アプリケーションなどが含まれ、2023年の収益は約5.2億ドル、全体の約6%です。

  4. その他の事業: このカテゴリーには様々な収益源が含まれており、全体の約24%を占めています。

これらのデータは、ディズニーの年間報告と市場分析から得られたもので、各セグメントの動向と会社全体の戦略的方向性を示しています​ (The Walt Disney Company)​。

ESPN以外のメディア収入は、どのようなものがありますか?

ESPN以外のディズニーのメディア収入には、以下のようなものがあります:

  1. 映画制作: ディズニーは多くのヒット映画を制作しており、これにはマーベル、スターウォーズ、ディズニーのアニメーション映画などが含まれます。

  2. テレビネットワーク: ABC、Disney Channel、Freeformなどのテレビチャンネルを通じて広告収入とケーブルサブスクリプション料を得ています。

  3. ディレクト・トゥ・コンシューマー & インターナショナル: ディズニー+やHuluなどのストリーミングサービスが含まれ、サブスクリプション料や広告収入を得ています。これらのプラットフォームは、ディズニーのデジタルメディア戦略の重要な部分を形成しています。

これらの事業はディズニーのメディア収益の大部分を占めており、特にデジタルストリーミングサービスの成長が顕著です。各事業の詳細な分析や最新の業績は、ディズニーの公式財務報告書やメディア業界の分析レポートで確認できます。

ディズニー創業家の保守的な事業から、大きな変換ですね。

確かに、ディズニーの進化は非常に注目に値します。創業者のウォルト・ディズニーが1923年に設立した当初、会社は主にアニメーションと映画製作に焦点を当てていました。しかし、時間が経つにつれて、ディズニーはテーマパーク、テレビネットワーク、そして最近ではデジタルストリーミングサービスなど、多岐にわたる事業に拡大しました。

この大転換は、ディズニーがただのエンターテイメント会社から、全世界的なメディア巨大企業へと変わる過程で、革新的な技術の導入、新しい市場への進出、多様なコンテンツの開発など、多くの戦略的な判断が伴ってきました。例えば、ディズニープラスのようなストリーミングサービスは、消費者の視聴習慣の変化に対応するための策として導入されました。

ディズニーの変遷は、一企業が時代とともに進化し続けるためには、革新的で柔軟な戦略が必要であるという事例として、非常に興味深いものです。

ピクサーの買収は、一時的に利益を上げましたが、その後、アニメや映画興行は不振でしたね。

ディズニーによるピクサーの買収は2006年に行われ、初期には両社の強みを組み合わせることで大きな成功を収めました。『トイ・ストーリー』シリーズや『ファインディング・ドリー』など、多くのヒット作が生まれ、アニメーション業界におけるディズニーの地位をさらに確固たるものにしました。

しかし、その後の一部の映画については、興行収入が期待に達しなかったものもありました。例えば、『ザ・グッド・ダイナソー』や『オンワード:キミとつながる冒険』などが挙げられます。これらの作品は、批評家からは比較的好評価を受けながらも、予想されたほどの興行成績を上げることができませんでした。

アニメーション業界は非常に競争が激しく、視聴者の嗜好も変化しています。ディズニーとピクサーは、新しい技術の採用やストーリーテリングの革新を続けながら、市場の需要を捉えることが求められています。また、ディズニープラスなどのストリーミングサービスへの注力も、新たな視聴者層の獲得と収益の安定化に寄与していると考えられます。

ポリティカルコレクトネスの行きすぎた配慮が、エグゼクティブクラスの意向と実際の視聴者層との解離が大きかったせいではないでしょうか?

ディズニーのような大手メディア企業では、ポリティカルコレクトネス(政治的な正しさ)に関する問題がしばしば議論されます。特に、エグゼクティブ層の意向と実際の視聴者層の期待との間にギャップが生じることがあります。このような状況は、コンテンツの創作過程における意思決定に影響を与えることがあり、時には視聴者からの反発を招くこともあります。

  1. コンテンツの変更や自己検閲: 企業が社会的な感度を考慮してコンテンツを修正する場合、それが過剰に感じられることがあります。例えば、過去の作品を現代の価値観に合わせて編集することで、一部のファンからは「オリジナルの意図や芸術性が損なわれる」との批判が出ることがあります。

  2. 市場とのズレ: エグゼクティブの意向が視聴者層の実際の要望や文化的背景と合致しない場合、作品の受け入れられ方に影響を与えることがあります。多様性を重視する方向性は賞賛されることもありますが、場合によっては強引に感じられることもあり、視聴者からの違和感を招くことがあります。

  3. 視聴者層の反応: 結果的に、これらの行動が視聴者からの批評やボイコットを引き起こすことがあります。視聴者はしばしば、ストーリーテリングやキャラクター開発における自然さや信憑性を求めており、それが損なわれると感じると反応が強くなることがあります。

企業としては、多様な視聴者層のニーズと期待に応えるバランスを取ることが求められます。このプロセスは複雑であり、特にグローバルな視聴者を持つ企業にとっては、異なる文化的背景や価値観を考慮に入れる必要があります。

視聴者は、ほとんどの場合、ステレオタイプな物語や主人公を欲していますが、ポリコレ配慮によって、あまりにイメージがかけ離れると困惑します。

確かに、視聴者が期待するステレオタイプな物語やキャラクターと、ポリティカルコレクトネス(政治的正しさ)による配慮が大きくかけ離れている場合、困惑や反発が生じることがあります。エンターテイメント業界全体において、このようなジレンマがしばしば議論の対象となっています。

  1. キャラクターと物語の進化: 従来のステレオタイプを維持することが、一部の視聴者には安心感を与えるかもしれませんが、社会の多様性や変化に対応するためには、新しいタイプのキャラクターや物語が必要です。これにより、異なる背景を持つ視聴者が自分たちの体験や価値観を画面上で見ることができるようになります。

  2. 文化的感受性の向上: 一方で、物語やキャラクターに対する深い理解と尊重を持ってアプローチすることが重要です。これは、単に新しい形式を取り入れるだけでなく、それらが持つ意味や文化的背景に敏感であることを要求します。過度な政治的正しさが反感を買うこともありますが、それに対する配慮がないと、別の視聴者層を疎外することにもつながります。

  3. バランスの取り方: 最終的には、クリエイターとプロデューサーは、新旧の視聴者層の期待と要求のバランスを取る必要があります。これは簡単な作業ではありませんが、ストーリーテリングの質を高め、より広い視聴者に受け入れられる作品を生み出すためには欠かせない過程です。

エンターテイメントの内容がどのように進化していくかは、常にその時代の文化的、社会的な動向に影響されます。ポリティカルコレクトネスがどのように影響を与えているかについては、さまざまな意見があり、これが業界全体での継続的な議論のテーマとなっています。

製作者による過剰な自己検閲に留まらず、最近はポリコレの検閲組織、またポリコレに対するコンサルタント等が生まれ、そこでまた儲けようとする風潮も気持ち悪いです。

確かに、文化的感受性や政治的正しさ(ポリティカルコレクトネス)に関するコンサルタントや専門機関が登場し、エンターテイメント業界におけるコンテンツ制作に影響を与えていることはあります。これらのサービスは、メディアの多様性と包括性を高める一方で、一部ではその動機や方法に対する批判も存在しています。

  1. 専門機関の登場: 映画やテレビ番組などの制作にあたって、文化的正確さや感受性を評価するために、第三者の専門機関が関与することが増えています。これは、社会的に敏感なテーマを扱う際に誤解を招くリスクを減らし、様々な背景を持つ視聴者に対して敬意を表するための措置として導入されることが多いです。

  2. 商業化の問題: 一方で、このような評価サービスが「儲けるための手段」として使われることへの懸念も表明されています。文化的感受性を確保する名目で行われる過剰な自己検閲や、創造性の抑制が、クリエイティブな自由を損ねる可能性があると指摘されることもあります。

  3. 制作側のジレンマ: 製作者たちは、作品が広く受け入れられるよう配慮しながらも、本来の芸術的なビジョンやメッセージを保持しようとするジレンマに直面しています。文化的な正確性や感受性が求められる一方で、過剰な配慮が本来の創作意図を損なう場合があるため、バランスを取ることが非常に重要です。

この問題は、クリエイターや業界全体が今後も取り組む必要がある複雑な課題です。文化的感受性と創造性の間でどのようにバランスを取るかは、個々のプロジェクトごとに異なるアプローチが求められます。

最近は、洗濯洗剤や食器洗いの洗剤のCMには、若い男性アイドル達ばかりが起用され、違和感があります。

確かに、最近の洗剤のCMに若い男性アイドルを起用する傾向が見られます。これは、広告業界におけるターゲットオーディエンスの拡大と、性別役割のステレオタイプに対する見直しの一環と考えられます。従来、家事関連商品の広告には女性が多く起用されていましたが、性別の役割に対する現代的な理解と変化が反映されているのです。

  1. ターゲットオーディエンスの拡大: 広告において多様な性別の人々を起用することで、製品の使用者として男性もまた積極的な役割を担うことが示されます。これにより、男女問わず製品に興味を持つ消費者を引きつけることができます。

  2. 性別のステレオタイプの打破: 若い男性アイドルを洗剤のCMに起用することで、家事が女性だけの仕事ではないというメッセージが強調されます。これは、性平等と多様性を推進する社会的な動向を反映しています。

  3. マーケティング戦略: 若い男性アイドルの人気を活用することで、特定のブランドや製品への注目を集め、消費者の購買意欲を刺激することが意図されています。アイドルのファン層をターゲットにすることで、広告の影響力を高めることができます。

このような変化は、広告が単なる製品の宣伝から、文化的な価値観や社会的な意識を形作るツールとしての役割を果たしていることを示しています。それにより、違和感を感じる人もいるかもしれませんが、これは社会の変化とともに進化するマーケティング戦略の一環と見ることができます。

しかし、近代において、女性を家事から解放してきたのは、そういった家電や家事のツール、インスタント食品であったはずです。 そういった層にPRするのは当然だと思うのですが?

おっしゃる通りで、家電やインスタント食品などの家事関連製品は、近代において女性の家事負担を軽減する重要な役割を果たしてきました。そのため、これらの製品の広告には伝統的に女性が多く起用され、女性向けのマーケティングが一般的でした。

  1. 女性と家事製品の関連: 女性が家事を担当するというステレオタイプは、家電製品の広告に長らく影響を与えてきました。例えば、洗濯機や食器洗い機、クイックミールといった製品が女性をターゲットにした広告で頻繁に取り上げられています。

  2. 広告戦略の変化: 近年では、家事が個々人の性別に関係なく共有されるべき責任と捉えられるようになってきています。これは、家庭内での役割分担に対する考え方が変わってきていることを反映しており、男性もまた家事製品の有効な使用者であると見なされています。

  3. 多様性の推進: 広告において様々な背景を持つ人々を取り入れることは、製品が広範な顧客層に受け入れられることを目指す戦略です。これにより、性別の役割に対する現代的なアプローチが強調され、消費者の関心を引くことができます。

広告における女性の起用が「当然」とされる背景には、確かにそのような歴史的経緯がありますが、広告業界全体の多様性と包括性を高めるための努力が見られる現代においては、さまざまな性別の人々がさまざまな役割で登場することは、より広い意味での社会的進歩を反映しているとも言えるでしょう。このような変化は、多くの人々にとって新しい見方や理解を促す機会を提供するものです。

最近、ポリコレを含めた企業の倫理的な採点システムがあると聞きます。

最近の企業評価システムでは、倫理的な基準を含め、さまざまな側面から企業を採点する方法が導入されています。これには、政治的正しさ(ポリティカルコレクトネス)や社会的責任のほか、環境への配慮や労働条件など、広範な要素が考慮されています。

例えば、『Ethical Consumer』というプラットフォームでは、企業が動物福祉、気候変動、従業員の扱い、税金の払い方、会社の倫理規範などにどのように対応しているかに基づいて評価されます。各カテゴリーで企業はスコアが付けられ、その結果が消費者ガイドに反映されています​ (Ethical Consumer)​。

また、ビッグデータの活用が進む中で、企業は個人情報の取り扱いや自動化された意思決定プロセスにおいて、透明性と倫理的責任を持つことが強く求められています。これにより、差別やプライバシー侵害のリスクを最小限に抑えつつ、公平性と正確性を確保する必要があります​ (Emerald Insight)​。

さらに、企業の社会的責任(CSR)の一環として、L'Oréalなどの企業は環境保護、人権尊重、多様性の推進などに積極的に取り組んでおり、それが「世界で最も倫理的な企業」の評価につながっています​ (L'Oréal)​。

これらの評価システムは、消費者がより倫理的な選択をするための情報を提供し、企業に対してもその責任を果たすよう促す効果があります。

ただ、それが企業価値を高めたり、投資を呼び込む手段となっており、実際の消費者やユーザを置き去りにしている傾向があります。

その指摘は大いに理解できます。企業が倫理的な基準や社会的責任を強調することで企業価値を高め、投資を呼び込むことができる一方で、これが形式的なものになりがちで、実際の消費者やユーザーのニーズが後回しにされることがあります。

企業価値の向上: 多くの企業が、倫理的な行動や持続可能性の取り組みを通じてブランドイメージを向上させ、投資家からの評価を高める手段としています。ESG(環境・社会・企業統治)投資が増える中、これらの活動は特に注目され、企業価値の向上に直接的に寄与しているとされます​ (Ethical Consumer)​​ (L'Oréal)​。

消費者ニーズの置き去り: しかしながら、これらの倫理的な評価や認証が、実際には企業のマーケティング戦略の一環として利用されることがあり、消費者の実際の利益やニーズに対する真の配慮が欠ける場合があります。倫理的なラベリングやスコアリングが透明性や公正さを高めることを目的としているものの、時にはそれが表面的なものに留まり、消費者にとって実質的な意味を持たないことがあります​ (Emerald Insight)​。

企業は、倫理的な基準や社会的責任の尺度を単なるマーケティングツールとしてではなく、実際に社会的な価値を提供し、消費者の真の利益を考慮に入れた持続可能なビジネスモデルを構築する必要があります。消費者や投資家も、表面的な報告やスコアリングを超えて、企業が実際に社会的責任を果たしているかを評価することが重要です。

スターウォーズ・サガは、私の大好きなものですが、ディズニーが買収してからのストーリーは、つまらないです。

ディズニーによるスターウォーズの買収後のストーリーラインについて、ファンの間で評価が分かれていることは確かです。ディズニーは2012年にルーカスフィルムを買収し、その後「スター・ウォーズ」シリーズの新しい映画を製作しています。これには「フォースの覚醒」(2015年)、「最後のジェダイ」(2017年)、そして「スカイウォーカーの夜明け」(2019年)が含まれます。

一部のファンは、新しい映画が持つ視覚的なスペクタクルや、新しいキャラクターに魅力を感じています。しかし、他のファンからは、これらの新作がオリジナルシリーズやその神話に比べてストーリーが弱いとの批判もあります。特に「最後のジェダイ」は、その斬新なアプローチが一部の伝統的なファンからは不評を買い、物語の方向性に関して激しい議論が巻き起こされました。

ディズニーはスターウォーズの世界観を広げようとしており、映画だけでなく、ディズニープラスで配信されている「マンダロリアン」のようなシリーズも生み出しています。これが新旧のファンを引きつけている一方で、一部のファンには元の三部作の魅力には及ばないと感じられているようです。ディズニーの取り組みが「スター・ウォーズ」の伝統をどのように影響しているかは、引き続き議論の的となっています。

ディズニーの過剰なポリコレへの配慮が大きな要因ではないでしょうか?

ディズニーがスターウォーズシリーズにおいてポリティカルコレクトネス(ポリコレ)に過剰に配慮しているという意見も一部にはあります。特に新しい映画シリーズや関連メディアで、より多様なキャラクターを導入し、異なる背景を持つ人々を表現しようとする試みが見られます。これには、より包括的な視聴者層にアピールするというポジティブな側面もありますが、一部のファンからはスターウォーズの伝統的な物語やテーマから逸脱しているとの批判も受けています。

ディズニーのこのアプローチは、映画業界全体のトレンドに沿ったものであり、映画やテレビが社会的な多様性や平等を促進する手段として使用されることが増えています。しかし、物語の元々のファンからは、そのような変更が強引であると感じられることもあり、作品の核となるストーリーテリングやキャラクターの発展に悪影響を与えていると感じる人もいます。

このようなバランスの取り方は極めて難しく、全てのファンの期待に応えることは不可能に近いです。ディズニーとしては、新旧のファンを取り込みながら、現代の価値観を反映した内容を提供しようとしているのが現状です。ポリコレが作品に与える影響は、視聴者の個々の感受性や価値観によって異なり、その評価も分かれるところです。

ポリコレ信者からして、ディズニーキャラクター達の性別表現がステレオタイプだと騒がないのが不思議です。

実際には、ディズニーキャラクターたちの性別表現についても、ポリティカルコレクトネス(ポリコレ)を重視する視点から批判や議論がなされていることがあります。特に、ディズニーの古典的なキャラクターたちが示す性別のステレオタイプは、時に現代の多様性やジェンダーの平等を求める視点から問題視されることがあります。

例えば、ディズニープリンセスたちが伝統的に受動的な役割や救済を待つキャラクターとして描かれがちなことや、男性キャラクターが力強さやリーダーシップといった属性で描かれることに対する批判があります。これに対し、ディズニーは近年、『アナと雪の女王』や『モアナと伝説の海』のように、より自立的で能動的な女性キャラクターを前面に出す作品を増やしています。

また、『ラヤと龍の王国』のような映画では、従来のジェンダーロールを逸脱するキャラクターが登場し、性別に縛られない多様な表現が試みられています。これらの変化は、社会の変化や視聴者の期待に応えようとするディズニーの試みと言えるでしょう。

ただし、これらの取り組みが全ての視聴者からの支持を得ているわけではなく、一部には伝統的なキャラクターの魅力を重視する声もあります。ジェンダー表現に関する議論は、文化的な価値観や世代間での見解の違いも反映しているため、一様に解決するのは難しい課題です。ディズニーがどのようにこれらのバランスを取っていくかは、今後も注目されるテーマでしょう。

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