見出し画像

漬け丼で明日の私の存在を信じる

カツオのたたきを漬けている最中、なんだかドキドキソワソワ落ち着かなくなってしまったので、記録として書き残しておく。今日の私が、明日の私へ続いていくものを投げかけた話。

ファミリーパックは食べ切れない

仕事の帰りに最寄りのスーパーで「ファミリーパックでお得!」のシールが貼られたカツオのたたきを買った。その時は腹ペコで、こんな大皿一飲みよ(実際は大皿に模したプラスチックトレーなのだが)と勢いよくレジに持って行ったが、家に帰ってさっそくいただくと、半分食べたあたりで箸が止まってしまった。

明日に持ち越しか、と半分剥がしていたラップを元に戻し冷蔵庫に入れようとしたが、明日も同じ味を舌に乗せるのかと思うと、悪かないけど、少しげんなり。

漬けレシピ

何か新しい食べ方はないかとキッチンからリビングに引き返しスマホで「カツオのたたき アレンジ」で調べる。焼いたり揚げたりのアレンジが出てきた。明日は調理時間が取れず、今フライパンを出して料理をするのも億劫だったため、私はその中でも比較的楽そうな‟漬け”をセレクト。

海鮮のギフト通販「山内鮮魚店」のレシピ通りの調味料を、カツオと共にタッパーに入れて漬ける(本当はそれらを鍋にいれ、一度沸騰させ冷ましておくといいらしい)。

画像1

お醤油:100cc
みりん:100cc
酒:10cc
ショウガ:お好み

カツオを一晩寝かせる

疲れた体でカツオを漬けている最中、気付いたことがある。明日食べるものを仕込むと、ドキドキするのだ。私はよく作り置きおかずを作ってタッパーに詰めたりするが、その時はこんな気持ちにはならない。言っておくが、明日の楽しみが増えたぞ~ワクワクするぞ~のドキドキではない(0%かと聞かれればそうではないかもしれないが)。

今日の私が意識を失って寝てる間に、明日の私に向けて食べ物に味が染み込み、完成していく。その変化にどぎまぎしたのだ。

作り置きは、もちろん明日も食べるかもしれないが、どちらかと言うと明日のような具体性を持たない、明日以降の何日間に向けて「あったほうがいいだろう」で作っている。

一方、この一晩寝かせる“漬け”。今日の私が、明日の私の存在を信じて作って、きっと明日の私が、今日の私の存在を味を通して確信する。明日の私に、今日の私の一部(労力や時間や知恵)を先駆けて投げ込む。その繋がりの面白さと不確定さ。

今日の私の一部が、私の働きかけがない時間と場所で、明日の私の血肉になるであろうために、変化を続けている。味を染み込ませている。ドキドキだ。

私を一晩寝かせる

浮足立ったふわふわした心ではあったが、体は述べた通り疲労していたので、両方が乖離したままベッドに倒れ込む。

目が覚めたら私も、冷蔵庫に入れてきたカツオのように、今日の味が染みた、明日の私になってるのか?26年+1日の味がしみ込んだ私を、明日の26年+2日の私がちょっとずつ消費して、26年+3日の私のために何かを投げかけるのか?その積み重ねが人生なのか?それじゃあ、私が完成するのは一体いつなのか?

ぐるぐるする思考にゆっくりと飲み込まれていくように、私は眠りに落ちた。

美味しかった!

画像2

載せるつもりがなかったので、お粗末な写真だがお許しを。お皿に統一性が無いのもご愛嬌。ご飯茶碗は、使用頻度が少ないので家にないのだ。玄米も漬けたカツオも茶色いし、少し離れて見るとなんだかカレーのようだ。カツオはもちろんだが、漬けダレをかけたご飯は、とびっきり美味しかった!ありがとう、昨日の私。

謎の思考にとらわれた昨日の私がいたから、今日みたいに「美味しい!漬け大正解😊」とえへえへできる私がいるのだ。難しい塩梅。もうちょっと意識を自己コントロールできて、それをうまく表現したり発散できる能力があればなあ。それがこの書くという行為なのかもしれないが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?