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変なおじさんは断じて変なおじさんではないんだよ!

今日紹介する本はこちら↓

この本は1998年に出版された『変なおじさん』と2000年に出された『変なおじさんリタ〜ンズ』を合本したものになります。

読んでみて、素敵なところがたくさんあったので、今回はほんの一部ですが抜粋してご紹介しようと思います。

志村さんは3人兄弟で育ち、中学生の時にはすでにお笑いを仕事にしようと決心していたそうです。お父様は小学校の教頭先生をされていました。

その頃のことをふりかえって、こう書いておられます。

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厳しくて堅いオヤジで、家の中にあまり笑いがなかったから、逆に笑いにすごく飢えていたのだろう。よくテレビでお笑い番組を見て大笑いしてたけど、そうしてると、多少嫌なことがあっても、その一瞬だけは日常を忘れられる。だから「人を笑わせる仕事っていいな、僕もそういうことをしたい」と考えるようになった。
オヤジの名前は志村憲司(けんじ)という。僕の本名は志村康徳(やすのり)で、志村けんという芸名はオヤジの名前からもらったものだ。

お父様は、残念ながら志村さんが中学生の頃に交通事故に遭われ、5年くらい経って後遺症が出始め、志村さんがドリフのメンバーになる前に亡くなられてしまいます。

付き人時代にはこんな苦労話もあります。

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ドリフのメンバーは、仕事に行くとラーメンとかをよく頼んだ。5人が食べ残したラーメンを合わせると一人前になった。それを付き人同士で分けて食った。

そんな下積み時代を経験し、荒井注さんの代わりに急遽ドリフの見習いとしてメンバーに加入。無名新人の突然の乱入に、世間の反応は冷たく、苦悩している姿も書かれています。

危なっかしいコントを体をはってやってたけど、僕が入ってから1年くらいは、自分はあまり受けた記憶がない。お客が身を乗り出して見てたのに、僕が出たとたんにサーッと引いて、シーンとなる。それが手にとるようにわかるから、つらかった。どうしても荒井さんと比べられるから、何をやってもダメで、悲惨だった。
今思うと、あのころの僕はただ無我夢中で、なんでも一生懸命やろうとして力が入り過ぎていたのだ。後になってわかったことだけど、本当はその逆で、楽しく遊んでるように見せるのがお客さんを笑わせるコツだ。
「こいつら本当に楽しそうにやってるな」って思うから、お客さんは笑う。やってる方に余裕がなくて一生懸命さが伝わってしまううちは、がんばってる気持ちがわかる分だけ、見ていても笑えない。それは今だからよくわかる。

かわいがってもらった加藤茶さんの才能をたたえる文章もある。カトちゃんケンちゃんと親しまれ、相方みたいなイメージがあるけれど、実際は先輩・後輩の仲だ。

加藤さんがすごいのは、僕がたぶん加藤さんはこんなことをするだろうなと思っていると、現場では必ず予想以上のリアクションを返してくることだ。それで、僕がツッこむと、もっとすごいことをして、跳ね返ってくる。
加藤さんがボケで、僕がツッコミという役割だけど、同じボケるのでもいろんなことをやってくる。突拍子もないことというよりも、その役の中でこなせる演技の幅がすごく広い。そのへんはまさに天才肌だ。だから加藤さんを動かすととっても面白い。

加藤さんはダウンタウンの番組で、志村さんのあまりの快進撃に「こいつには負けちゃうのかな」と複雑な心境を語っています。

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二人の年齢は7つも離れていますが、幼い頃の僕にとっては名コンビで、大の仲良しというイメージで見ていました。

天才は天才を知る。お二人とも日本の宝ですね。

「芝居」についても語られます。

僕は芝居を「演じている」と見られるのが一番嫌いだ。オーバーな演技やクサい芝居をしてると「そんな奴いねえだろ」となってしまう。「いるいる、こんな奴が」と思ってもらいたい。「らしく見える」のが一番大事だ。
亡くなった太地喜和子さん(名女優)は、僕のコントが好きで『だいじょうぶだぁ』をいつもビデオに録って、座員の人と一緒に見ながら、「ね、志村さんは本物のおばあさんに見えるでしょ。だからおかしいのよ。芝居をするんじゃなくて、まずそう見えるかどうかなのよ」
僕には一番嬉しい言葉だった。僕はコントでいろんなキャラクターになるけど、なかでも酔っぱらいやばあさんの場合は、らしく見えるのがとても大事だ。やることが自然に見えていれば、あとは何かにぶつかって怒ろうが、泣こうが、おかしいものだ。
じゃあ、らしく見せるコツは何か。僕の場合は、その人物を徹底的に好きになることだ。好きになれば、例えばこのおばあさんはこういうことはしないとか、こういうしゃべり方はしない、というのが自然とわかるようになってくる。
やっぱり僕は、子どもが見ても、大人が見ても、年寄りが見ても、笑えるコントをやりたい。だから、どうしても設定が大事だと思うし、出てくる人物が真剣になればなるほどおかしく見えるってコントになる。それには、芝居がちゃんとできることが大事だろう。

奇しくも山田洋次監督の『キネマの神様』で菅田将暉さんとW主演を務めることは叶わなかった。

そこで今回、憧れの高倉健さんたっての希望で、唯一出演した浅田次郎さんの大ベストセラー映画『鉄道員(ぽっぽや)』を久しぶりに見返しました。



志村さんは、職を求めて流れてきた炭鉱夫の役で原作にはないおじさんの役柄だ。幼い一人息子がいて、せっかく新生活を夢見て引っ越してきたのに、あえなく事故で命を落としてしまう。時間にすれば10分くらいの短い出演だ。

あくまでお笑いを追求することに徹した芸人がここでは、本当に酔っぱらいのおじさんになりきっている。

小林稔侍さんに背負われて歌う替え歌には、笑いの要素があるものの、酔っぱらいを「らしく」演じることで、その人の人生までもが見えてきそうな哀愁のあるオヤジだ。

志村さんが演じる人物にはいつも哀愁がつきまとう。その哀愁はどこから来るのかと言えば、それは演じる人そのものを、人生を、愛しているからなのだろう。

僕が好きなキャラクターを3つあげろと言われたら、変なおじさん、ひとみばあさん、バカ殿になるかな。ひとみばあさんは、自分でもなぜかすごく気に入っている。ドジをするんだけど、すごくかわいらしい。

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ひとみばあさんにはモデルがいる。新宿にある「ひとみ」という居酒屋にいるおばあさんだ。その店には、『だいじょうぶだぁ』の本番が夜中の2時か3時ごろに終わってから、よく飲みに行っていた。24時間営業で朝まで飲めるからしょっちゅう通ってた。
そこで飲んでると、夜中なのに僕らのとこにあいさつに来るおばあさんがいる。多分夜の7時か8時ごろに寝て、夜中の2時か3時ごろに一度目が覚めてたんじゃないだろうか。それが、あんなヘアスタイルで、ちょっと派手なメガネをして、ものの言い方がすごく丁寧なんだ。
その様子がなんかかわいらしくて、すごくおかしい。「いいキャラクターしてんなぁ、枯れてるなぁ」と思った。それで声を変えて、しゃべり方や雰囲気をオーバーにして真似てみた。

どこにでもいそうでいない、いや、やっぱりいそうと思ってしまうキャラクターをコミカルに演じさせたら、志村さんの右にも左にも360度どこにもいないくらい上手い。

志村さんは、こんな人いたら面白いだろうな〜と、もはやキャラを、じゃなくてその人そのものを、好きになってしまわせるくらいの没入感を生み出してしまう。

松本人志さんの伝説のラジオ番組『放送室』に面白いエピソードがある。

ある日、松本さんがレンタル屋さんに行ったら、時代劇の棚に「バカ殿」が紛れていて思わず笑ってしまった、と。誰かのしたイタズラなんだけど、なんと粋な計らいなんだと感心したそうだ。

日常の中の非日常。

いそうでいない変なキャラ。

桂枝雀さんのいう「笑いとは緊張と緩和」を体現した人こそ志村けんさんではないだろうか。

志村さんの笑いはまるでアドリブのように見えるのだけど、実際は入念なリハーサルと勤勉な努力によって成されたものだ。

『だいじょうぶだぁ』の頃は、サスペンスやホラー映画もよく見ていた。構図や照明に凝ったシーンを見てて、コントを思いつくこともある。気になるシーンがあったら、必ずビデオを止めて1コマずつ送って見ていた。
カメラワークとかカット割りは、僕とディレクターとカメラマンとで「この角度がいい」とか「寂しい画(え)をどう撮ろうか」とか相談して、最終的には僕が決めさせてもらう。収録前にディレクターが、台本のセリフ上の余白にカット割りを書いたものを見せてくれて、それを直していく。僕が「違うんだなぁ」と言うと、カメラマンが「じゃあ、こういうのは?」とか「これならどう?」って、そういうやりとりはずいぶんやった。
だから、僕のコントは・・・なんて言ってるけど、実際はスタッフ連中の協力がないと何もできない。コントの出来を決めるのは個人の力じゃなくて総合力だ。逆に言うと、自分だけじゃできないからコントづくりは面白い。みんなの力があわさって、いいものができた時には格別の満足感がある。
人間がほかの動物と違っているのは、笑うことだ。つらいことや嫌なことがあっても、思い切り笑えば忘れられる。もっと言えば、笑いがなければ生きられない。だから僕は笑いを大事にしたい。でも、コントは一人じゃできない。テレビにしても舞台にしても、共演者やスタッフが支えてくれないと何もできないのだ。
クイズやゲームに比べて、コントは何倍も手間と時間と費用がかかる。だからこそ、うまくいった時の喜びは何ものにも代えがたいものがある。それがあるから、コントはやめられない。これまでも、そしてこれからも、僕はずっと好きなコントをやっていきたい。死ぬまで「あいつはバカでどうしようもない」って、言われ続けたい。

志村さんは決して周りへの感謝を忘れない。誰にでも敬語で接し、謙虚で腰の低い、芸に厳しく自分に厳しく、周りに優しい人。

先日、『天才!志村どうぶつ園』の特別追悼番組を見て、僕は号泣してしまった。共演している相葉雅紀さんをはじめ、みなさんの愛のあるメッセージを聞いて嗚咽してしまうくらいに感じ入ってしまった。今も思い出すと泣いてしまう程に。

志村さんはこんなにも周りの人達に、優しくて温かい愛情を注いでいるから、画面のこっち側にいる僕にも深い悲しみとそれ以上の笑いをくれるのだなぁ、と。

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志村さんの笑いは一見すると下品だが、人を小馬鹿にはしない。バカにする時があるとすれば、権力のある人にイタズラを仕掛ける時だ。

まるで、チャップリンが偉いさんのお尻を蹴り飛ばして逃げるように。だから心おきなく笑えてしまう。

笑いと言えば、これから芸人をめざす若き人へのメッセージも載っている。

これからお笑いをめざそうとするのなら、なんでもそうだと思うけど、自分が好きでこの道だと決めた以上、あとは貪欲にやるしかない。年齢は何歳まで大丈夫だとか、何年やったら才能の見きわめがつくとか、いちがいには言えない。年がそこそこいってから、人気が出る人もいる。
それに僕だってお笑いではまだ新人だと思ってるくらいだ。芸事は奥が深いから、いくつになったからどうこうというもんじゃない。それより自分の一生なんだから、自分が好きなことを思い切りやればいいと思う。売れるか売れないか、先のことは誰にもわからないけれど、自分が納得いくまでやれば、それでいいんじゃないか。
そもそも、なんの仕事にしてもそうだと思うけど、本当に嫌だったら辞めればいい。でも、辞めないってことは、自分が好きで選んだ道だということだし、やり遂げる責任を追うことになる。だから、少々嫌なことや辛いことがあっても、それは自分が我慢すればいいことじゃないか。僕はそう思ってしまう。
そして、自分のやりたいことができるようになるまで、もっともっと努力すればいい、とも思う。もちろん楽な努力があるわけがないから、忍耐と努力はイコールなのかもしれないけど。

若い人へのエールもある。

僕は子どもの頃からテレビのお笑い番組が好きで、中学生の時にはもうコメディアンになろうと決めていた。そしてドリフの付き人になって、今までずっとお笑いの世界で生きてきた。だから自分がやりたいことが昔からはっきりしてたし、それに向かって努力を重ねてきた。だから、今の自分があると思ってる。
そんな僕を、うらやましいと言う若い人たちがいる。自分がやりたいことが見つからないからだそうだ。僕はそんなことを思った経験もないから。本当のところは、そういう人たちの気持ちはよくわからない。
でも、もし僕が彼らになにかアドバイスできるとすれば、世の中というのは、自分が動かないことには、絶対になにも起こらないということだ。だから、やりたいことが見つからないと嘆く前に、いろんなことをやってみたらいい。そして、少しでも興味ひかれたものがあったら、それを一生懸命続けてみることだ。
なんでもそうだけど、ずっと続けているとうまくなる。うまくなると、また面白くなってきて、さらに一生懸命やろうという気になってくる。そうやって、一人前になっていくんだと思う。
天才なんて、どこにもいない。ある意味じゃ、努力できる人間が天才なんだ。辛いことの後には、必ず楽しいことがくる。それは間違いないんだから、自分が選んだことを、とことんやり遂げることができるかどうかだ。

現在放送中の朝ドラ『エール』は、天才作曲家の古関裕而さんとその妻の生涯を描いた作品だ。古関さんの名前を知らない人でも、彼の作品である全国高校野球の大会歌『栄冠は君に輝く』や数々の球団歌を聞いたことはあるはずだ。

その彼もまた逆境から努力の末に、東京オリンピックの開会式で『オリンピックマーチ』を鳴らすまでに至った。

そんな努力の天才が憧れる作曲家の重鎮・小山田耕三さんを志村さんが演じる。昨年12月から撮影に参加し、3月6日まで計4回、スタジオ撮影に参加していたという。

志村さんは第5週(4月27日~)の5月1日に登場予定だそうだ。若くして受賞する古山さんの活躍を知るシーンで登場するらしい。

彼が若者にかける言葉があるとすれば、それは志村さんの言葉でもあるのではないだろうか。

ところで、志村さんの代名詞とも言えるのが「変なおじさん」だ。

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僕はこのおじさんが大好きだ。女好きでスケベで、僕の分身みたいな人だから。彼はコントの中だけの人物だけど、実生活では僕もすいぶん「変なおじさん」だと思う。バカがつくほどのお笑い好きだからだ。
高校卒業の直前に17歳でドリフターズの付き人になってから、ずっとお笑いの世界で生きてきた。それもコントにこだわってきた。
本当に一本道を歩いてきたと思う。今は、どうせ一度の人生なら、あれこれいろんなことをやってみたいという若い人が多いようだし、芸能人でも、なんでもできるマルチタレントがもてはやされる時代だ。僕のような生き方は、きっと時代遅れなのだろう。
僕はコントしかできない人間だし、これからもやっぱりコントにこだわって、お笑いをやり続けていきたい。それだけは、なにがあってもずっと変わらない。

志村さんは、人を笑わせることが誰よりも大好きで、お酒と女性好きな寂しがり屋で、寡黙で、シャイな「変なおじさん」であった。

「変なおじさん」は僕の中ではいつまでも「変なおじさん」であり、その人をとことん愛して演じる志村けんさんは、決して変とは言えない偉大なおじさんだ。

松本人志さんは『遺書』の中で尊敬する一人に挙げているし、岡村隆史さんは自分の笑いの大半は志村けんさんのコピーだとまで言う。偉人なおじさんの笑いは芸人だけに限らず、日本中にあまねく広がっている。

最近、公式のYouTubeチャンネルができたそうだ。

2本目以降は広告付きとなり、その収益から必要最低限の経費を除いた全額を日本赤十字社に寄付すると発表している。

みんなを笑顔にして、誰かを助けることができるなんて、志村けんさんの理想そのものではないだろうか。

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僕はこれから先もこのおじさんを愛し続ける。何か辛い気持ちになったら、公式サイトを通じて元気をもらう。

志村けんさん、あなたは僕が幼い頃ヒーローでした。

本当のヒーローって、お笑いが武器なんですね。

志村さんの笑顔があまりに素敵でつぶやいたら、

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これだけ多くの人が賛同してくれましたよ。

こんなにも多くの人がおじさんに感謝しているなんて、案外日本って変な人ばっかりじゃないんだね。まだまだ大丈夫かな。

だからこれからも、どうか「大丈夫だぁ」と言って下さい。会いたくなったら、いつでも会えるから、お別れなんて言いません。

こんなに長い記事を読んでくれるなんて、あなたも志村さんの大ファンですね。だったら一緒に感謝しましょう。

志村さん、いつも笑顔にしてくれてありがとう!

だっふんだ!!

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ずっと忙しく働いてきた志村さん、どうかゆっくり休んで、また笑わせて下さいね。


スキはログインしていなくても押せます!ワンちゃんでも押せるほど簡単です。励みになりますので、ここまで読んでくれた記念に押して下さい。いくつになっても勉強は楽しいものですね。サポート頂いたお金は本に使いますが、読んでもらっただけでも十分です。ありがとうございました。