机を変えてみる。
僕の人生を変えたモノを一つ挙げるとすれば、それは机だ。
僕はある時にギックリ腰を経験して以来、イスや腰痛サポートグッズをいろいろと試して来た。
高価なゲーミングチェア、バランスボール、椅子の上に敷いて使用する商品など。それら全てを否定するわけではないし、個人差があることも否めないけど、その中で自分にとって一番効果があったモノが机だった。
僕は販売員をしていて、以前はそういう商品の接客をする機会があったので、いろんなお客様とお話をさせて頂いた。
で、思ったのは人それぞれみんな違うということ。
リモートワークが当たり前になったことでますますそういった商品が注目され、職場に限らず、普段使いや運転中など様々な所で腰痛の防止や緩和の悩みを持つ人が増えた。
そんな時、たまたまスタンディングデスクがいいですよとお客様から教えて頂いたのがきっかけだった。
残念ながらお店では机に関しての扱いが無かったせいもあって、そもそも僕には机を変えるという発想が無かった。
コロンブスの卵、目から鱗。
腰痛持ちの方なら分かって頂けるだろうけど、朝起きた時からもうそれは始まっている。
物を持つ時、席に座る時、何かの動作をする度に、痛みを意識する。
あまりにも当たり前すぎて、意識すらしないくらいにそれはいつも付きまとう。
映画を観たいと思う時にまず気になるのが上映時間、次に映画館の座席の質だ。健康な人は駅のベンチに何気なく腰かける。しかし、我々は違う(笑)
電車の座席で身体との相性が悪いと座りたくない。
あまりに痛い時は立ったままの方が楽だとさえ思う。
ガラガラの車内でこの人はなぜずっと立っているのだろう?と思ったら、腰痛持ちの人かもしれない。
それほどに日常生活の切実な悩みなのだ。
だから僕は座ることばかりに注意を払っていた。
つまり、椅子やサポートグッズを試すことばかり考えていたのだ。
幸い、僕は販売員なので普通の人よりも立つことに慣れている。1日8時間のほとんどを立って過ごしている。
だから、スタンディングデスクというものに抵抗は無く、すぐに興味がわいた。
購入してからもう4年ほどになるけど、そのおかげで僕は机で作業することが苦にならなくなった。
note、YouTube、音声配信、学びのインプットもアウトプットも机の上でかなり効率よくできるようになった。
座るという行為は立っている時より腰に負荷が大きい。さらに長時間同じ姿勢で座っていると血流が悪くなり体にも悪い。
しかし、事務作業で姿勢を正しく保つことはなかなか難しいし、頻繁に立つこともできない。
その点、スタンディングデスクは、立つのに疲れたら座ればいい。
任意の高さに変えられるので、その人に合った高さでいい姿勢を保つことができる。
また、立っていると同じ姿勢でずっといることは難しいので、眠気に襲われにくく、集中力も増すと実感している。足に筋肉もつくし、第二の心臓と言われるふくらぎを鍛えることにもつながる。他の動作に移るのもたやすい。
最近は自宅待機中に購入して埃をかぶっていたフットステッパーを取り出して、机の下で運動しながら読書を愉しんだりもしている。寝転んで読書をすると思考は停滞し、眠気に襲われ、怠惰な時間しか過ごせない。
これではまずクリエイティブな作業はできない。
もしスタンディングデスクを買うのに抵抗がある人は、今使っている机の上に置いて使用する商品もある。
値段はいろいろあるけれど、気に入れば一生使いできるものなので、持っていても損は無いと思う。
少なくとも僕はもし今使用している机が壊れても間違いなくスタンディングデスクを買う。
そしてもし次に購入する機会があれば、今使っている机より大きな物を買いたい。
現在のサイズは縦50㎝、横幅90㎝のものだ。これでも、ノートパソコンが2台おける程のスペースで十分ではあるけど、机のスペースは広ければ広いほどいい。
作業スペースは広ければ広いほど思考の整理もたやすい。
仕事が遅い人の机は乱雑だ。しかも物を置きすぎて作業スペースが狭いことが多い。まるで頭の中の物が具現化したように感じる。
何かのメモがどこからか出て来たり、作業の優先順位がうまくつけられなかったりする。
プライベートの僕の机は油断すると、あっという間に本の山が出来上がる。
こうなると、あれも読まなきゃ、これも読まなきゃという気持ちが、やがて面倒臭いに変わり、いつまでも積ん読になりやすい。
だから、僕は定期的に本棚の本を並び替え、机の上に今読みたい本だけを置くようにする。
本棚を眺めていると今の自分がどんなことに関心があるか一目瞭然だ。その中で学びのあったことはこうしてnoteに書いてみたりする。
もし僕に机が無かったら、ただ寝転んで読書をしているだけだったら、読書はただの暇つぶしにしかならない。
昔の僕はそうだった。
でも今は、好きな高さで、その時の体調に合わせた姿勢で、アウトプット作業ができる机がある。
アウトプットする手段と環境があれば、当然インプットにも影響する。
本を読んでいて、あるいは道を歩いて何かを目にして、あるいは誰かと話をしていて、気づきを得たらスマホにメモしておく。
可能ならそれをnoteでつぶやく、YouTubeや音声配信で話してみる。
そうやって形にならない思考の断片がいつしか自分だけの思考につながっていく経験を、机を変えてから何度も味わった。
作業スペースは大事だ。
思索を深める習慣が無いと心に余裕が無くなり、心は亡くなってしまう。
それが「忙しい」ということだ。
心にゆとりがある人は物事を冷静に受け止め、適切に対処できる。
特に僕はせっかちな性分なので、そういう時間の過ごし方をしないと判断を誤る。
仕事なら基本的にマニュアル化できるし、過信は禁物なものの、経験則で補えることが多い。
しかし、人生はそうはいかない。
気持ちは日々変わるし、物の見方や考え方も常に周りに影響される。
昔の僕は本は読みっぱなしだったので数日もすれば記憶に残らず、休日はテレビをダラダラと見るか、ゲームして時間を潰していた。
今思えば、虚しい時間の過ごし方をして歳を取ってしまった。
でも、今さら過去を悔やんでも遅い。後悔している間も時間は過ぎ、着実に歳を重ねていく。
今の僕は読みたい本が本棚に並び、録画したテレビは見ないまま溜まり興味が失せたものから消去され、ゲームをしていても実況動画にするか、オーディオブックをかけながら遊ぶ。
そして、学びの蓄積をノートに書き留めたり、どこかで形にしていく。
もうそれは今の僕にとっては日常の習慣だけど、時々noteの記録を振り返ってみると、とんでもない量になっていてビックリする。
自分ではあまり意識が変わったとは思っていないけれど、机で作業するようになってから、確かに僕は変わったのだろうし、これからも変わっていくのだろう。
学べば学びは深くなり、自分の知らないことや考えが増えていく。
あまりに知らないことが多すぎてもどかしさを感じる。
でも、それは学ばなければ感じることのない感情だ。
たとえば、全く興味の無いものには焦燥感など感じることも無い。
ところが、何かのきっかけで関心を持った途端、それに関連するものが次々と目に飛び込んでくる。
それらは今まであったものだ。
人は自分が見たいものを見ている。
そして、その世界が全てだと考えがちだ。
僕のお気に入りの映画に『トゥルーマンショー』がある。
主人公の生活は全て人気番組で放送されているけれど、本人は知らない。
彼はやがて自分が見ている世界が作り物であったことに気づく。
最初はコミカルなシーンが続くので、我々も設定の視聴者と同じように笑いながらアリの生活を楽しむような面持ちで、この先どんなストーリーに巻き込まれていくのかと思って見ている。
しかし、段々笑っていられなくなる。
果たして、現実にこの世界は存在するのだろうか?
胡蝶の夢。
あなたが今日通らなかった隣の道で遭遇したかもしれない何かは無かったものへと変わる。
ニュースで身近な場所での悲劇を知ったとしても、遠くにいる人には一瞬の記憶でしかない。
あれ?
何の話をしているのだったか?
机というものは、このように恐ろしいものなのだ。
もしも、机が無かったらー。
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