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幸せになる勇気

アドラー心理学を分かりやすく紹介した245万部のベストセラー

の続編

も240万部を超えている。

うむ、これはスゴイ。一作目よりもさらに過激。どういう事?の連続で面白かった。

一作目のまとめも紹介されるのでこの本から入ってもいいけど、アドラー心理学自体が常識化している考えに逆行するものなので、ちょっと理解しづらいと思います。

ただアドラーについてはブームになってたくさんの関連本も出たので、今回は二作目の方の内容を紹介してみる。

教育について

対話という形式の前作を踏襲し、今作も哲人と質問を投げかける青年が登場する。前回の別れから三年後、青年は大学の図書職員を辞め、母校の中学教師になっています。

教師という立場で生徒にアドラー心理学を実践したものの、うまく行かず元々懐疑的であった性格が再燃し、怒りにうちふるえながら再び哲人の部屋を訪れます。

つまり、今回は「教育」というテーマから対話が始まるのです。

青年は、アドラーにおける「課題の分離」とは「自分の課題」と「他者の課題」を分けるはずなのに、教育こそ他者への介入ではないかと哲人に問います。

それに対し、哲人は教育の目標とは子どもの自立を促す事であり、自立への援助をすべきであって、介入ではないと答えます。

そして教育の入り口として、まずは生徒を尊敬しなさいと。

ここで言う「尊敬」とは、従来の意味ではなく、「他者の関心事に関心を寄せる」こと。それが共同体感覚につながると説きます。

「自分の」ではなく、「他者の」目で見て、「他者の」耳で聞き、「他者の」心で感じること。

もしも私がこの人と同じ種類の心と人生を持っていたら?と考え、共感する、それは技術であって身につけることが可能である。つまり、「相手に介入する」のではなく、「相手に飛び込む」感覚。

その意味で生徒を「尊敬」すれば、それは周り(共同体)に伝染する。

いかなる権力者でも強要できないものがこの「尊敬」と、そして「愛」であると。

だから、生徒を叱っても褒めてもいけない。

例えば、生徒がよくない事をした場合は、それがよくない事と知らなければ教える。知っていてあえてその行為をやっているなら、その背景には次の5つの心理が働いている。

生徒の心理

1.称賛の要求=褒めてもらう事で共同体の中における特権的地位を得ようとする

2.注目喚起=褒められなくてもいいから目立つ事で共同体の中における特権的地位を得ようとする

3.権力争い=積極的な生徒は反抗を、消極的な生徒は不従順な態度を取る事で共同体の中における特権的地位を得ようとする

4.復讐=自分を認めてくれない、愛してくれない人への憎しみから注目を引こうとし、今の境遇を周りのせいにする

5.無能の証明=これ以上自分に期待されたくないという思いから、自分がいかに無能であるかをあらゆる手段で証明する

4と5については、専門家に任せるしかないが、問題行動の大半は3の段階でとどまっているので、それ以上の段階に踏み込ませないのが教育者の大きな役割であると。

そのためにも「尊敬」し、自立を促すべきである。

生徒を褒めてはいけない?

では、褒めるのはなぜいけないのかと言えば、対象の生徒を褒める事で競争原理が働き、他者は敵であるという考えが生まれ、自立を妨げるから。

アドラー心理学では、「タテの関係」は否定され、「ヨコの関係」を肯定します。教師と生徒の関係ではなく、一人の人間として生徒をアドラーの文脈で「尊敬」する。

ここで思い出すのが、このドラマ。

成績順位により生徒に賞罰を与え、教師という特権を使って教室を支配する女教師・阿久津真矢(あくつまや)。

まるで恐怖政治そのものの独裁者と生徒たちの一年間の戦いの記録。

スペシャル版では、なぜ彼女が生徒に冷徹な態度を取るようになったかが描かれる。生徒と友達の関係を築いた事で起こる悲劇。

このドラマは社会の厳しさを子ども達に直球でぶつける教師の行動が、物議を醸し出し当時話題となりました。あまりにも子ども達に現実を見せすぎではないかと。

しかし回を重ねていくうちに、これは生徒の自立を促した教育の一つの姿という事が分かります。

一方で、教師ドラマの名作と言えば、やはり金八先生ですね。

金八先生は一見友達のように生徒に接しますが、根底にあるのは生徒を人間として見ている点。とことん生徒に寄り添うのが心情。まるで自分の家族のように生徒の人生に入り込む。

そういう所が、多くの人の心をつかみシリーズとして人気を博しました。

パワハラや体罰の問題を考えるとなかなか感慨深いですね。

閑話休題。

ここまでは教育というテーマを軸に話が進んできましたが、

対人関係の幸福とは?

アドラー心理学の根幹は「人間の悩みはすべて対人関係の悩みである」とし、「対人関係の幸福」へと話は移る。

それは以下の3つ。

1.仕事の関係

他者とは条件つきの「信用」の関係。自分の得意分野を活かす事で他人の苦手な部分を補い分業する事で、自己の幸せを追求する「利己」が「利他」につながり、共同体の幸せにつながる

2.交友の関係

他者を無条件に「信頼」し、「尊敬」する事が他者の幸せにつながる

3.愛の関係

利己的に「わたしの幸せ」を求めるのではなく、利他的に「あなたの幸せ」を願うのでもなく、不可分なる「わたしたちの幸せ」を築く事が共同体全体の幸せにつながる

最後についてもう少し補足すると、

「幸せ」とは「わたしは誰かの役に立てている」という貢献感であり、生まれた時は自活できないため己の弱さをアピールし、自己中心的にならざるを得ないが、人を愛する事で自分から解放され、世界を受け入れ、自分は世界の一部であると自覚し、自己中心性から脱却した時、初めて「自立」し、幸せを得る。そしてそれがみんなの幸福につながると結論づける。

だから、アドラーは自分の不幸な境遇やトラウマにこだわっている人は自己中心的であり、それはいわば甘やかされた子どもと同じであると厳しく批判する。

アドラーはこの思想が時代に合わせて更新される事を望みます。彼は自らの心理学を「すべての人の心理学」と位置づけ人々の中に生き続ける事を希望したのです。

2番目の無条件に相手を信頼するという部分について補足をすると、アドラーは他人から認められたいという「承認欲求」を否定します。相手に受け入れられたいと願うなら、まずは自分が相手を受け入れる。相手の理解できない部分をも含めてありのままを。そして見返りは求めない。

それが「課題の分離」であり、他者の評価を気にしない事で、ありのままの自分を受け入れる事が自分を含めたみんなの幸福につながると。それが嫌われる勇気であり、幸せになる勇気であると。

やや駆け足になりましたが、前半の教育における質疑応答が伏線となり、アドラー心理学の大きなテーマである対人関係の悩みの解決へ集束する構成は見事ですね。

本の終わりで、哲人は青年に別れを告げます。青年を勇気づけ、自立を促し終わるのです。哲人は常にヨコの関係を築いており、青年はそれに気づくという素敵なエンディングを迎えます。

読者は、アドラー心理学を知る以前は「青年の側で」疑問を持ちながら読んでいきますが、再度読み直すと今度は「哲人の側から」青年を見れるようになると思います。

そうして繰り返し読む度に、果たして自分はどちら側の考えを選択するのかと悩むでしょう。

これまで「わたし」の視点で読んでいた時の「あなた」は各人の「わたし」であるのに、いつしか「わたしたち」と変化していく不思議な体験。この感覚はうまく表現できないな。

この本に書かれている言葉は易しく、内容はシンプルですが、深く、忘れがたい難題です。僕はこれからもいろんな局面でその意味を考えていく事になるでしょう。

こちらはライターの古賀さんのノウハウが詰まった本↓

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