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言葉遣いに気をつける。

この記事は僕が本を出したいなシリーズの続きです。過去の記事が気になる方はこちら↓からよろしくお願いします。

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7.言葉遣いに気をつける

僕はYouTubeやnote、音声配信をするようになって気をつけていることがあります。

それが言葉遣いです。

僕は昔から頭の中で思ったことをすぐに口に出してしまうタイプなので、特に若い頃は感情的な発言をして人間関係がうまくいかないことがよくありました。歳を重ねた今でも、自分が使った言葉に後悔や反省することがあります。

自分の考えがまとまることに無しに話し出してしまうのは良くない癖だなぁと思ってはいるのですが、たとえばゲーム実況の時などはとりとめもなく心に移りゆくよしな私ごとをそこはかとなく話してついつい熱くなってしまうのも味かなと話しまくっています(笑)

ただし、接客や発言が求められている改まった席、書籍紹介をしている動画では、一旦、頭の中で整理してなるべく丁寧な言葉遣いになるように心がけています。

しかし、この言葉遣いというものは、日頃から使っている言葉がベースになっているわけで、自分に語りかける内面の言葉が表面化するものです。

僕はどんなに人気のあるYouTuberさんでも、言葉遣いに品が無いと抵抗を覚えます。

今では西野亮廣さんのサロンに入っていますが、なぜか昔は彼の言うことが頭に入ってきませんでした。

ところが、ある時たまたまVoicyという音声配信を聞いていると、穏やかな口調で話す西野さんの声が耳に入り、その心地よいトーンと素敵なお話の数々にすっかり魅了されてしまい、サロンに入るまでになりました。

西野さんが話していた内容で、なるほど〜と思ったのが、単語脳と文脈脳という考え方です。

西野さんの昔の本や発言を覗くと、語気が強く感じられ、ケンカ腰な印象を覚えていました。Amazonのレビューなどを見ると、自慢が多い、上から目線などと言った意見も散見されます。


しかし、今の僕はたとえ西野さんがそれっぽい発言をしようとも、彼のファンなので、特に気になりません。

彼が何を考えて、どんな作戦を立てて、人の関心をひきつけるのかというテクニック面よりも、自分の思い描くエンタメにみんなで実現するんだという信念の方が、日々の姿勢から痛いほど伝わってくるのです。僕は、その姿勢が好きなんですね。

これは一種の信者と言えるものでしょう。自分で自分に好きになる暗示をかけているんです。

でも、宗教と違うのは、彼は税金を納めているし、僕は周りを勧誘したりはしません。僕が彼の考えに賛同し、自分に良い影響がある部分を参考にしながら、夢を叶えて欲しいと願うから、月額1000円というお布施をしています(笑)

それがいつまで続くかは分かりません。

サロン特典として、彼が毎日のように書くフェイスブックの記事には、勉強になることも多いのですが、それが読めるからではなくて、ただ単に自分の1000円が西野さんやサロンメンバーさんの生活と夢を助けることに使われるのなら、有意義な使い方で何だかいい事をしているような気分になるからサロンに入っています。

お金の使い方なんて人それぞれですが、気持ちよく使えるなら他の人からは無駄に見えたとしても、損した気分にはなりません。

話がずれてきたので、戻しますね。

では、彼が言う単語脳と文脈脳とはどういうことかと言えば、たとえば「お前はバカだ!」とか、「こんなのクソだよ!」という言葉が僕は苦手です。

正直、今こうして文章にするのでさえ嫌です。

こういう言葉を使っている人が僕は嫌いです。嫌いという言葉を使いたくないので、普段は苦手と言うようにしていますが、ここでははっきりと書かざるを得ないのであえて書きました、本当は嫌なんですけどね。

それはなぜかと言えば、僕の嫌いな言葉をその人が抵抗なく、普段から使っていると思えるからです。

「バカ」という言葉は、周りを見下している考えが無ければ出てはきません。「自分はバカだったなぁ」という風に使うのならいいのですが、人に使うのはいい気持ちはしない。内心で思うのなら自由ですが、それをわざわざ人の前で使っても平気だという考えが僕は好きになれないのです。

品性の無い言葉を僕は嫌います。

つまり、僕は自分の嫌いな単語に過剰に反応し、その人が伝えたい文脈を組もうとしない脳になっているのです。

それでも、文脈が僕に届いたら、僕がその言葉に感じている苦手レベルがその人とは違うんだなと思って、その人に対するハードルを下げます。

ただ、基本的にはそういう言葉は使って欲しくないなと思っているので、自分の中で置き換えて聞く感じになります。

たとえば、僕は関西人なので、「バカ」よりも「アホ」という言葉には抵抗がありません。

関東の人が何気に使う「バカ」というレベルで、関西人はしょっちゅう「アホ」という言葉を使います。そこには悪気はありません。うっかり屋さんやな〜というニュアンスでつい口から出てしまうのです。

しかし、もうこの「アホ」という言葉がダメなんだという人が今読んでおられる方にもいらっしゃると思います。関西弁自体が嫌いやねん!(なぜに関西弁)という人もいるでしょう。

「あかん」と言われても何も思いませんが、「ダメだね」と言われると結構心に刺さるのは僕が関西人だからなのでしょう。

つまり、デフォルトで使っている言葉の違いくらいにしか大差ないのだろうと自分の脳をだますことにしています(笑)

それでも苦手な単語が多い人は、いいことを言っていると周りが褒めていても避けてしまいます。頭が固いのですね。

僕らの時代は、「全然―ある」という間違った副詞の呼応や「れる」「られる」という日本語の乱れが問題視されました。今だと「ヤバい」という言葉(もう古いですか?)の多様な意味の使い分けやいわゆる若者ことばみたいなもので、言葉の使われ方は時代を反映しますから、これはいつの時代にもある問題でしょうね。

以前は抵抗があった僕も今では瞬間的に「ヤバい」を連発しています。

ただ、やっぱりこの言葉だけはどんなに流行っていても使わないな、使えないなという言葉があります。それが自分にとって下品だと思う言葉です。

知性をひけからすような言葉を使いまくる人も苦手です。そこには、自分はあなたよりも言葉を知ってますよとか、そんな事も知らないなんて話にならないといった感じを受けるからです(考えすぎでしょうか)

つまりは、相手に敬意を払っているかどうかという点が僕の判断基準です。

人の注目を集めるために使っている動画のサムネイルなら仕方ないなとは思いますが、品の無い言葉のオンパレードはその人の内面がそのまま出ていると考えてしまって、なかなか文脈を理解する気になれないのです。

そういう人の周りに集まっている人も僕は苦手です。たとえば、ある動画を見ていてーその人は僕が苦手とする方だったのですが、いいなと思っている人がゲストに出ていたので、つい見てしまいました。

そうすると、そのホスト役の方があまりいい反応をしていないという空気感が見ている人にはあったようで、当然そういう人たちは動画主のファンですから、コメント欄には、「明らかに噛み合ってないよね」「私もこの人嫌い」「俺も」などアンチコメントが溢れかえっていました。

挙句の果てには、対談相手の人格を否定するようなコメントがたくさん出ていて、僕は不快になって見るのを辞めました。ああそういう人の集団がこの人のファンなんだと思ってしまったのは偏見かもしれません。

ですが、その時により強く単語脳が働いてしまいました。そこに出ているコメントには品性を感じられなかったのです。

一応、断っておきますと、その動画には西野さんは出ていませんし、西野さんのことではありません。

しかし、たとえば西野さんの悪口が書かれているコメントを見ると僕は避けます。中には一理あるなという意見もあるし、まぁそういう面もあるなと思えるものなら読んだりもしますが、そういうコメントには客観性があり、品性があります。何よりも言葉遣いが丁寧なのです。

と、ここまで書いてきて、では自分自身の発言に品性や丁寧さがあるのかと言えば、見る人によって感想は異なると思います。あくまで自分としてはそう心がけて発言をするようにしているつもりです。

そうなるためには、日常生活で誰かと交わしている言葉や自分の中の辞書を絶えず更新し、できるだけキレイな言葉や明るい言葉を選ぶようにしています。

また、そういう言葉を使っている人のブログや動画を見てもいます。そうすると、自然に自分の中の言葉が置き換わり、考え方も変わります。

僕が本を好きなのは、基本的には本になる文章というのは洗練されていて、品性を感じられるものが多いからかもしれません。

そもそも苦手な言葉で埋め尽くされている本はそっと書店の本棚に戻しますから、自分の本棚に並ぶことはありません。

逆に僕の本棚にある本は、「ああ何てステキな言葉を使うんだろう」とか「考え方が素晴らしすぎる!僕もそういう風に考えよう!」と恋してしまいます。そうです、かなり危ない人です(笑)

言葉は自分の考え方に影響し、生活態度を変え、人生をも変えると思っています。知らない言語には何の感情もわきませんよね。

あなたの辞書にはどんな言葉が載っていますか?

↑僕の動画です。どんな言葉遣いか確認してみて下さい(笑)

読んで頂いてありがとうございました。

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