運動と脳機能との出会い~TOEICに挑戦編⑦~

奇跡の大学院合格

とある大学の医工学研究科と医学系研究科の両方合格した。これで、運動と脳機能の勉強ができると思うと嬉しかった。周りはだれも合格するとは思ってなかったみたいで、合格したと伝えた時には、みんな驚きの表情を隠せずにいた。嬉しかったのは、住んでいた寮母さんに合格の報告をしたとき、泣きながら喜んでくれたことだ。まあまあの問題児だったので、いつも困らせていたが、これで初めて喜ばせることができた。

大学院に進学した人には分かると思うが、大学院に進学したからといって自分の行いたい研究がすぐできる訳ではない。もちろん、すぐに研究に取り掛かれる学生もいる。自分はすぐには研究できなかった。その話はまた別の機会で。

筋トレ仲間のTOEIC

K君に加え、筋トレ仲間にもう一人友達がいたが、みんなTOEIC700点超えた。自分の学部で700点超える学生はほとんどいなかったのにも関わらず、、、運動して勉強時間が減る可能性が高いにも関わらず、、、この時、この結果と「脳を鍛えるには運動しかない」という本の影響で、運動は脳機能の活性化につながり、その脳で勉強するればテストなどの点数が上がると信じ切っていた自分がいた。

ただ、この確信は大失敗を引き起こす。直近で言えば、博士取得後、筋トレしながら大学受験の勉強をすることでセンター試験で9割越えの高得点をたたき出そうとするが、7割くらいであえなく撃沈した。この話は、また別の機会で。

こんな生活でもTOEICは受け続けた。3、4回受け続け、全て同じ点数の755点(くらい)だった。連続して、同じ点数をとれたのはある意味奇跡だった。大学生活でのTOEICはこれにて終了する。続きは、大学院に入ってからの話になる。

100kmマラソンと100kgベンチプレスの同時達成を追い求め

住んでいた寮から通っていた大学までは約20kmほどあった。電車に乗って学校に行くとなると、一時間ちょっとかかる。走れば、二時間ちょっとだ。そんなに変わらない。と考え、毎日ではないが、走って通学するようになった。筋トレをしない日は、帰りも走って、往復でマラソン一回分走ることもあった。

通っていた大学のトレーニングルームでは、週に一度、外部からトレーナーの方が来ていた。早速、そのトレーナーの方に「ベンチプレス100kg挙げたい」と直訴し、トレーニングメニューを組んでもらった。週に3, 4回、約1時間半程度のトレーニング。しかも、ベンチプレスがほぼメインという内容だった。

100kmマラソンは一度走ったこともあるのでケガも無く順調に進んだ。練習したミッドフット走法が自分にはあっていたみたいだ。福島の奥会津で行われた伊南川 100kmマラソンの大会では、9位くらいまでになった。標高差1200mと、前半はひたすら駆け登り、後半はひたすら下るというまあまあ過酷なレースだ。ただ、下る中にも坂道があったりするので、足に疲労がかなり溜まる。初めて出場した100kmマラソンは同じ5kmのコースを20周というものだったが、この伊南川 100kmでは周回で100kmだったので、景色に見飽きるということがほとんどなかった。大自然に囲まれた壮大なレースだった。

この大会は10月末頃行われ、何に魅了されるかというと、目の前一面に広がる紅葉だ。息を呑むようなこの紅葉を観るために、この年から毎年参加することになる。100kmマラソンに挑戦して5年くらい経つと、ただ走って完走するだけでは物足りなくなったきた。そこで、コース途中にある秘湯に入ったりと100kmを満喫するようになった。途中でお酒も提供されるのだが、自分はお酒を飲んで酔っ払い、コースを間違えると失態を犯す。その時は、間違えたコースから正規のコースに戻るため、100km以上走ることになってしまった。

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写真では伝わらないかもしれないが、直接感じるるこの紅葉に圧倒された。この写真は、標高500mから1700m駆け上がった後に待ち受ける景色である。駆け上がった疲れが一気に吹っ飛ぶくらいきれいだった。

100kgベンチプレスは、尻あげという甘い基準であったが、97.5kgまで上げれるようになった。ただ、ここで無理が生じて、肩を怪我してしまい。全く挙げれなくなってしまった。100kmマラソンは達成したが、100kgベンチプレスは達成できなかった。

この年の約6年後に、100kmマラソンと100kgベンチプレスの同じ年同時達成を果たす。100kgベンチプレスに関しては、埼玉県ベンチプレス選手権の74kg級に参加し、審査員から白旗をもらっての正式記録となった。その1ヶ月後に伊南川 100kmを無事完走し、リベンジを達成した。

大学生活での運動と脳機能の挑戦はこれで終わった。次は、大学院に進学し、運動と脳機能を研究する側に回った。まだまだ波乱が待ち受けているとも知らず、心のそこからこれからの人生に期待する自分がいた。