ゆるっとNote // 人間らしさと喪失

今日から、ゆるっとNoteを始めることにした。

●ゆるっとNoteとは?
→休みたいとき、好き勝手に書くNoteを指す別称のこと。(出典:私)

●始める理由
→最近、必要以上に緊張していることに気付いたから。

●他のNoteとの違い
→意味のあるものを生み出そうと考えない。話の構成に一貫性があるか気にしない。最低限の質を担保しようとしない。


というわけで、つい負荷をかけてしまう自分から脱するために、「脳死状態でもかけるNote」を目指してたまに気晴らしをしていきたい。

気晴らし方法としては既に「あつまれどうぶつの森」という素晴らしいツールなどがあるのだけど、もっとバリエーションを増やしたいよね。

ちなみに、ゲーム中はDMNの活動が抑えられるという話をみて、なるほどマインドフルネスと同じ効果があるのかーとゲームは積極的にやっています。


●今日の気晴らし

人間らしさって、なんだっけ。

この間、Summer Sonicという洋楽好きのフェスティバルがYoutubeで配信していた。そこで久々にThe 1975というバンドをみてSincerity Is Scary(真面目になるのが怖い)という曲をきいていたら、そんなことを考えていた。

ライブが良くて、Youtubeで検索したらかわいいMVを発見する。
The 1975、7年前にGirlsという曲を出した時はもっと海賊っぽい雰囲気だったけれど、数年の時を経て丸くなったのを感じる。
一言で言えば、女子化してる。


さて、歌詞をみてみると、ネチネチしてる。ここでも女子化を感じる(女子化とは現象を指しており、女子=ネチネチしてるとは思ってないよ)。

と、Girlsの歌詞もよくみたら女の子を遠回しにディスりまくるスタイルだった。本質はそんなに変わっていなさそう。

●この曲のメッセージ性

たびたびお世話になるサイトへの信頼から引用すると、

”The 1975によれば,...(中略)... どれほど望んでも人間はいつまでも子どもではいられないと認め,成長して大人として生きていくことについて語った曲だそうです。” (およげ!対訳くんより引用)

だそうです。

他にも、ひねくれたイギリス男子がたらたら彼女に文句を言っている曲(だいぶ個性的な文体だけどおもしろいブログ)という人もいれば、
"人々がポストモダンなアイロニーとシニシズムに囚われ、誠実さがしばしば嘲笑されるという社会的な風潮が蔓延していることについて語って"いる曲だと解釈する人もいる。

そこまで考えてるのか?とも思うけど、このシングルの入っているアルバムのタイトルは “A Brief Inquiry into Online Relationships” 『ネット上の人間関係についての簡単な調査』とのことで、複雑な物事を簡単そうに見せるのが好きそうな人の匂いがする。川谷絵音みを感じる。

個人的には最後の(社会的な風潮)の解釈がしっくりくるのと翻訳がシンプルなので、そこから少し歌詞を引用したいと思う。

●ポストモダン的な生き方とは

歌詞というのは言葉の余白が大きいために、聞くものの心象をよく表す。

必ずしも一致しないし、引っ張られて影響される場合もあるのだけど、なんだか気にかかる曲っていうのは心のリトマス試験紙だと思う。歌詞をみていこう。

And irony is okay, I suppose, Culture is to blame
皮肉は別に構わない、思うんだ、文化は批判してこそだ
You try and mask your pain In the most postmodern way
君は挑戦して痛みを隠す  最もポストモダン的なやり方で

冒頭からいきなりひねくれ感がすごい。でもわたしは好き。

その後の歌詞をみるに、君(彼女)はとてもストイックな女らしい。
ストイックすぎるがあまり、ヘロイン中毒(ダイエットに使用)に陥ったり性差別に厳しかったりする。

It's just a self-referential way That stops you having to be human
それはただの自己言及なんだろうね 君が人間をやめるための方法だ

"ポストモダン的なやり方"っていうのは何を指すのか。「過剰に自己を主張し奇抜に自身を飾りたてる」やり方っていう感じがする。

また、精神医学的に言えば「抑圧から解離へ」と心の葛藤モデルが変化し、無意識下で葛藤があって、欲望が上ってくるのを抑圧せずに人格をつくってしまう(参考:情報時代の社会秩序──ポストモダン論の視点から)状態とも言えるかも。

それを、"人間をやめるための方法"と批判する「僕」は、"好きだった君から何もかも失われている"と言う。

"もう一つ言いたいことがある"と言ったあとの、
どんどん言葉の切れ味が増してくる2Aメロがこちら。

And why would you believe
どうして君は信じているの
You could control how you're perceived
自分の印象をコントロールできるって
When at your best you're intermediately
君がベストを尽くしても それなりの結果しかでない
Versed in your own feelings?
君は自分の気持ちを理解しているかい?
Keep on putting off conceiving
考えるのはやめにしよう
It's only you that you're deceiving
君がだませるのは君だけだ

言い過ぎではなかろうか。

気が強そうな君(彼女)だからいいとして、ふつうなら泣いてしまわない?
というより、わたしが泣いてしまいそうです。

冒頭で言った音楽が心象を映すという話にもどれば、
この彼女の生き方がなんとなく理解できるし(ヘロインはやってない)、それに対する「僕」の批判も理解できる。

ただどちらかと言えば、自分に言われている気がしてなんだか苦しい(それは素晴らしいメロディで緩和されるけれど)。

「傷付く言葉というのは、自分が本当は自信のないことを言われて勝手に傷付いている。自信のある分野では何を言われても気にならないから」という人がいて、それはそうだなぁと思う。つまりわたしは、「僕」から言われたことをふだん結構気にしているということだ。

別にわたしが言われているわけではないのだけど、どちらかと言えば人間の本能的なものに厳しいし、どちらかと言えば脱人間化してるし、どちらかと言えば自己統制が好きだし、自分を積極的に騙し、リアルタイムの感情には鈍く、結果はそれなり。。あ、病みそう。

●人間らしさってなんだろう

ポストモダン的な生き方を目指しすぎると、かえって人間らしさが失われてしまうのだろうか。

別にポストモダン的な生き方を目指しているわけじゃない。でも、自然体で人間らしくいるっていうのはむずかしいな。理由はいろいろ。たとえば感情よりも行動を大切したいだとか。

感情で動いたり、思ったことを素直に口に出したり、共感したり、
そんなことをしても身近な人に何もできなかった経験が、時々わたしを人間らしさから引き離し、「いま何をすべきか」を考えさせる。

「愛は感情でなく、意志」とはある人が言った言葉だが、いまでも変わらず価値のある言葉だと思う。自分の気持ちに動かされるのではなく、相手が愛されていると思って人生を生きていけることが大切なんだ。

だから、つい考える。いま相手にはどんな言葉が必要なんだろう?相手が長期的にもっと良い環境を得るためにはどう接すればいいのだろうか。
相手の状態は?必要なのは共感なのか、厳しくても他の人には与えられない情報を与えるべきか。心的距離はどうか。寄り添うか、距離を保つか。

そんなことを思いながら相談にのってみるけれど、押し付けているつもりもないけど時々、冷たすぎたかもしれないと思う。すれ違ったかなぁ、タイミングミスったな。甘えたかったのかな、そういう時あるよね、ごめん。


そうやって、「相手にとっての良いこと」を考えすぎるがあまり、つい感情の発露を無視してしまう癖。
情緒性が置き去りになる。それがきっと、本来情緒的なわたしの"不自然さ"であり"人間らしくなさ"なんだと、ふと思う。

ある種の装飾行為であり、自己主張でもあり。だから、なんだか変に力が入ってしまうのだろう。わたしもそんなに立派な人間ではないのだから、本当は視座をそろえて話せるはずなのに。

実は、そうしたことを薄々思っているから、この曲が気になって仕方なくなってしまったんだろう。そんなことに気付いた。

歌詞出典:FISH FROM PAKISTAN WATER




●あとがき

書いてたら、途中で病んだ。
でも、病むのっていいな。

いかに病まないかを考えることに快感を得てしまうので、気付いたら病みそびれがち。でも病みそびれると、病む。
そう思って1日3回まで病む時間を作って、どうにもならないことをうじうじと考える時間にしてみた。これが結構いい。

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