恋と狂気は紙一重

水波海莉(みなみかいり)。彼は自分の感情に素直な子供だった。良くも悪くも。

彼は感情の波が激しく、喜ぶ時はずっとテンションが高く、また落ち込んだ時はロクに口を聞かない。そんな、わかりやすい子供だった。故に人付き合いも不得意で、あまり友達は多くない。そんな彼は、いつからかこう呼ばれていた。「ウェーブ」。

最初にそう呼び始めたのは、当時同じ塾に通っていた、華原二葉(かはらふたば)だった。彼女は少し変わり者の気質があり、人によってはうるさいと感じていた人もいただろう。だが海莉は、天真爛漫で豊かな感情を持つ彼女に次第に惹かれていた。

いつ好きになったか、具体的には覚えていない。だが、周りとは一際違った明るさを持っていた彼女に対し、「ただの同じ塾に通う人」というつまらない見方はしていなかったのは間違いなかった。恐らくは、時間が彼に「好き」という感情を植え付けたのだろう。同じ時間を過ごしていく中で、人柄に愛着が湧いていた。

初めて出会ったのは3月。それからしばらくは特にこっちからアプローチするような事はなかった。が、クリスマスが近づいたとある日。ついに、ラブレター(いや厳密にはそんな大層なものではなくとても簡素なものだが)を渡してみる事にした。とはいえ、自分の名前を書くような勇気など持ち合わせておらず、名前を書かずに渡した。ただ唯一、ニックネームの頭文字「W」のみを添えて。

「華原さん、これ呼んどいて。人から預かってきた。」

「ん〜?何なに?(手紙を読む) …うん。(何かを書く)  これ本人に返しといて。」

あっけなく返されたそれには、「あんた誰?」と、至極真っ当な事が書いてあった。まあ、そうだよなぁ…。そう思った海莉は、次会った時に自分が書いた事を明かそうと思っていた。…はずだった。

次に塾に行った時には、華原さんは塾を辞めていた。



それから約2年。中学の卒業式の日。海莉はその時までも、あの日のモヤモヤが消えていなかった。このまま、本当に何も無く終わってしまうのか?

2年間の間、華原との接点は一切なかった。クラスが同じになる事もなく、何処かですれ違う事も特に無かった。あの日、「あの手紙を書いたのは自分だ」と言う事を決めたのにも関わらず、それを消化不良のままずっと引きずり続けていた。何で渡した日にすぐ言わなかったのか。そもそも名前書いとけば良かった。色んな後悔を残したまま、学校を去りかけた。

「…ウェーブ?」

聞き覚えのある声。その声の主は、華原さんだった。嘘だろ?向こうから?まさかここで再開するなんて思わず、海莉は固まってしまった。

「一緒に写真撮ろ。」

そう言ってくれて、海莉は言われるがままに華原さんと同じカメラに収まった。ツーショットなら良かったのだが、恥ずかしさもあって、友達も巻き込んで3人で撮った。

(チャンスは今しか無い。このまま終わっていいのか?いや…嫌だ。)

「あ、あの、LINE交換…しませんか?」

久しぶりに話したせいで、何故か敬語になってしまった。だが彼女は違和感を特に気に留める事もなく、それを快諾してくれた。あの日、何も出来なかった海莉が、自分で一歩踏み出せた。そしてチャンスを掴めた。

(言ってみるもんだなぁ…。)そう海莉は思った。




それから海莉と華原は、LINEで話すくらいの仲にはなっていた。異性の友達って感じだ。彼女は2年経っても変わらず明るさを感じられ、海莉は会話を楽しんでいた。だが、そこに甘んじている事に違和感を覚えた。

「あの日の事、伝えなくて良いのかな。敵わない恋でもいい。それでも…。」

そうして、2ヶ月ほど経ったある日。LINEでの会話の中。

「ねえ、華原さん。僕らって今どういう関係?というか僕のことどう思ってる?」

「んー、普通に仲良い友達?まあ男女だけど。」

「…もうさ、いっそ付き合わない?」

「…え?」

「だから、その…。僕と付き合ってください。」

「…お願いします。」

海莉は一瞬、自分で言った事と現実で起きた事が飲み込めなかった。

(俺、今自分から告った…?で返事何て来たよ…?)

海莉も混乱していたが、混乱していたのは向こうもだったらしい。その後の文面が少し変だった。

それから2ヶ月。海莉は幸せな時間を過ごしていた。二人で会う回数も増え、色んなお喋りをしていた。学校の愚痴、お互いの趣味の話。そこで聞いた話によると、彼女は「宍戸潤(ししどじゅん)」というハンドルネームでネットにイラストをあげているらしい。とても可愛らしいタッチで、海莉の似顔絵も描いてもらったが、本人とはとても似つかない程に可愛く描かれていた。

何回会って、何回喋って、何回笑い合ったことか…。ずっと片思いしていた人と、こうして同じ時を過ごしている。それだけで、海莉は満足だった。それさえあれば、他に何もいらない。彼女といられるなら、それで良い…。



「勉強に集中したいから、別れて欲しい。」

そんなLINEが来たのは、付き合って2ヶ月ほど経った頃だった。海莉は唖然とした。

(何で…?僕が何かしたのか?僕の存在は邪魔だったの?大体、勉強の邪魔ってどういう事だよ…?付き合ったままでもお互いに頑張れるだろ…?まさか…最初から?最初から善意で僕と居てくれてただけなのか?それじゃあ僕の気持ちは、「あの頃」からずっと一方通行だったの?何だよ、それ…。結局、僕は一人で勝手に舞い上がってただけなのかよ…!)

海莉と華原はそれっきり、会うどころかLINEで会話する事もなくなった。たまに海莉から何か送ってみても、反応は無し。ブロックされたのか、完全に消されたのか…。付き合わないとはいえ、友達にも戻れない。別れたあとのカップルのことなどよく知らない海莉からしたら、完全に嫌われているとしか思えなかった。


それからの数ヶ月、海莉は相変わらず華原の事を忘れられずにいた。例え嫌われていたとしても、こちらから嫌いになる事はない。むしろ、思い出して胸が苦しくなるばかりだった。どう接するのが正解だったのか。告白せず、最初の友達の距離感を保っていれば良かったのか。今となっては、もはやどうにもならない。失った時間は帰ってこない。あの時の幸せは、もう…。




数ヶ月後。海莉はふとしたキッカケから、Twitterを始めた。特に深い意味はなかった。ただ、リアルでの人付き合いのせいで彼は孤独を感じていた。その穴を埋めようと思ったのだろう。卒業式のあと、進学先で彼は全く人と喋らなくなった。知ってる人間がいない状況で、コミュ障が生き残れるわけがない。遂には自殺の真似事をするくらいに精神的に追い込まれ、狂っていた。結局その後、その学校から通信制高校に転入し、とりあえず穏やかには過ごしていた。

そんなある日、海莉は何を思ったか、「宍戸潤」の名前をTwitterで検索した。もしかして、彼女もTwitterやってるんじゃないか?もしかすると、またあの頃のように話せないかな…?

あった。宍戸潤の名前のアカウント。思った通り、イラストのツイートが主だった。絵の感じも、昔見せてもらったあの感じだ。この人で間違いない。海莉は宍戸潤のアカウントをフォローした。

それからしばらくは、イラストの感想をリプ欄で言う程度だった。だが、一度知った蜜の味を再び嗜もうとするのが人間の性。遂には、DMに凸してしまった。最初こそ他人のフリをし、相手の恋愛事情について聞き込んだ。どうやら海莉の後にもう一人と付き合ったらしいが、その後また別れたらしい。理由についても聞いたが、やはり当時と同じように「成績が落ちて、勉強に集中したかったから」と答えた。

そこで終わっていれば、まだマシだっただろう。引き返す事ができたはずだ。なのに彼は、一線を超えた。

「ずっと黙っていたけど、俺ウェーブです。」


その後は…当然話など出来なくなった。いや、向こうの優しさでブロックされた訳ではなかった。ただ、DMなんて送れるわけもなかった。

だがそれから、妙に一人の人(性別は判明していないが、恐らく男)にキツい当たりをされるようになった。ユーザー名は「里鳥誠」。宍戸潤のフォロワーの一人で、熱烈なファンのようだった。だが、どこかで海莉の奇行を知ってなのか、妙に海莉に攻撃的だった。

最初に言われたのは、学校嫌い故に「自粛期間を伸ばせ」といったツイートをした時だった(当時、既に某新型ウイルスが流行っていた)。「勉強出来ないから成績落ちるだろ。そんな事も考えられないのかバカが。」といった事を言われるようになった。それ自体は確かに正しいが、やけに攻撃性が強く、海莉は内心怯えていた。何とか訂正と意見を交えながら事を終わらせたが、海莉が余計な事をリプ欄に書き込んだせいで戦争が起きた。

「お前いい加減にしろよ。何が「ブロックされてしまって」だよ。お前が潤にしつこく付き纏うからだろ。」

「いや、あの人にブロックはされてないんですけど…。むしろ僕をブロックしたの貴方では?」

「てかお前、潤の何なの?潤をどうしたいの?」

「中学の時の同級生です。」

「あ〜、なるほど。中学に「宍戸潤」て奴がいたのね。それなら人違いだよ。ハンドルネームだもん。はい残念でした〜!w 潤は俺の彼女です〜!ww 女子と絡みたいなら他を当たってください〜!www」

「知ってますよ本名。「華原二葉」でしょ。」

「ちょ、お前!本名晒すんじゃねーよ!」

「いやこれDMですよ?別に晒してないでしょ…」

「だったらお前も本名言えるよなぁ?晒してるわけじゃないんだからなぁ?! さあ早く言えよ!」

限界だ。ここまでは頑張ってやり取りを続けたが、流石にここまで言われたら怖い。海莉はそこで会話を切り、「里鳥誠」をブロックした。


(さすがに、色々まずかったよな…。まずDM凸とか普通におかしいし、何で余計な事も言っちゃったかな…。)

流石のサイコパス海莉も、ここまでの目に遭えば反省したらしい。他人のフリをして元カノ(というより片思い相手)に近づき、個人情報を探り、後から正体をバラす…。普通にホラーである。当然、二人からはブロックされた。

だが、一つだけ引っかかる事があった。後から別垢で「里鳥誠」と検索しても、ヒットしない。どうやら、アカウントが消えたらしい。そして新たに、宍戸潤のサブ垢ができていた。

薄々そんな気がしていたが、どうやら間違いなさそうだ。里鳥誠は、宍戸潤の裏垢…つまり、華原の自作自演だったらしい。いや、証拠があるわけではないので確定ではない。だが、里鳥は自分と宍戸潤を混同しているような節が見られたので間違いなさそうだ。

「俺、そこまでされるくらい嫌われてたんだな…。いや、そこまでさせてしまうくらい、俺もおかしかったんだ…。なんて事をさせてしまったんだ…。こんな事はもうやめよう。」


それから海莉は、二度と華原と話す事はなくなった。DMはもちろん、リプなんてのもしなかった。華原の事なんて考えない。華原を道で探そうともしない。華原の登校ルートの近くをあえて通る事もない。




ただ、彼のTwitterのフォロー欄には「宍戸潤」の名があり、彼のスマホの写真の中には彼女との写真と、彼女が書いた似顔絵が残っている。



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