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お金とは何かを知ると、人には価値があると気付く。

前々回の記事で

MMT(現代貨幣理論)を多くの人が知れば、ベーシックインカムが始まりみんな豊かになる。

MMTと古典派経済学(今までの経済学)について紹介させていただきましたが、そもそもお金とは何なのでしょうか?

それを考える上で、こちらの動画がとてもタメになりました。

(一部抜粋)

そもそもあなた達が「経済(お金)」と呼んでいるものは、「任意」ベースなものです。

ーーたしかに

単なる「合意」だけで成り立っているものですよね?

ーーたしかに

それでちゃんと「機能」するものだ、と。

ーー笑

それはそもそも単なる想像のゲームではないんですか?

「それはこれだけの価値がある」
「なるほど、OK」

ーー笑

昔はそれは岩や、骨や、石や、羽根や、玉じゃなかったですか?
そして今は硬貨と紙幣ですね。
どちらにしても「恣意的」なものです。
単なる「合意ベース」のものです。

(抜粋終わり)


これを見てハッとさせれられました。

1万円札は印刷するのに24円前後のコストがかかりますが、私たちが「同意」しなければ原価24円の紙切れに過ぎません。

つまり、私たちが原価24円の紙切れに1万円分の価値を与えているということになります。

お金そのものに価値があるという風に誤解されがちですが、自分たちがただの「紙切れ」に1万円分の「価値」を与えるという同意をして、それを自分たちのサービスや商品との交換に使っているだけなのです。


このことに気づいた時、僕はけっこう衝撃でした。

自分は何かを生み出したり働かないと価値がないと無意識に信じていましたが、自分がお金に価値を与えている側だと気づいた時、そうではないのだと分かったからです。


というのも、私たちは紙切れなどに価値を与えてお金という概念を生み出していますが、もし私たちや私たちのサービスに価値がなかったら、お金という価値があるものを生み出すことはできるのでしょうか?


原理的にそれはできません。無から有を生み出すことはできないように、価値がないものが価値があるものを生み出すことはできないからです。


逆に言えば、価値があるものを生み出せる存在は価値があるのです。


結局、価値があるのは私たち「自身」であり、また私たちの商品やサービスや労働力なのだと気づきました。お金はそれらの(交換用としての)価値を数値化し、交換するための便利な道具にすぎなかったのです。


そう気づいた時、お金を持っている人の方が価値があるという価値観も変わりました。


お金を持っている人の方が価値があるというのは、自分という存在よりもお金の方が価値があると言っているようなものなのです。それだとただの交換の道具を自分よりも価値があって偉いと言っているようなものなのです。それってなかなか滑稽ではないでしょうか?


お金を便利な道具として感謝して使うことは大事ではありますが、自分よりも価値のある存在ではありません。詳しいことは今回は触れませんが、お金をたくさん稼いだ人というのは、ある意味たくさん「貸し」をつくったというだけなのです。(交換というのは「貸し」と「借り」でできているので)

(貸しと借りとお金の関係についてはこちらのサイトが明確に書いてくれています。)

https://home.hiroshima-u.ac.jp/~ykadoya/hosoku2/#anker-2


貸しをたくさんつくった人の方が偉いわけではなく、人として価値があるわけでもありませんよね?


結局、お金というのは想像でできた交換の道具でしかないし、それが本当にわかれば自分には価値があるとわかっていろいろ気が楽になりますよというお話でした。



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